100年レール 信越線 | 幸せ信州

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>>>100年レール 信越線

信越線は,1888(明治21)年12月に関山(新潟県妙高市)-軽井沢(北佐久郡軽井沢町)が,開業してから,今年で130周年をむかえました。1872(明治5)年10月に新橋-橫浜で日本初の鉄道が開業してから16年後のことです。

 開業当時は直江津(新潟県上越市)一長野には朝夕各1往復の旅客列車が走り,直江津一長野の所要時間は3時間25分。開業時の旅客運賃は直江津一長野で下等(現普通車)で60銭,中等(現グリーン車)で1円15銭。当時の労働者の平均日給は17銭ほどでしたから,汽車は大変なぜいたくな乗り物でした。

開業以来,信越線は長野県と首都圏や日本海側との交流を支え,長野県内で生産された生糸は信越線を通って横浜から世界に輸出されるなど,長野県内の経済や文化の発展に大きく貢献してきました。北陸新幹線の開業に伴い,県内の信越線のほとんどがしなの鉄道線,北しなの線に経営分離されました。しなの鉄道 https://www.shinanorailway.co.jp/ は,1997年に軽井沢-篠ノ井間を,2014年には長野-妙高高原間を並行在来線として引き継がれました。                

  1888(明治21)年:5月 関山-長野 開業
           8月 長野ー上田 開業
          12月 上田ー軽井沢 開業
  1914年(大正3)年  信越線と改称
  1963年(昭和38)年 長野-軽井沢 電化 
  1997年(平成9)年  長野新幹線開業。篠ノ井-軽井沢は「しなの鉄道」へ。
            軽井沢-横川は廃止。

       -信越線-
1893(明治26)年,直江津(新潟県上越市)から長野方面へ延びてきたルートと,高崎(群馬県高崎市)からのルートが軽井沢(北佐久郡軽井沢町)一横川(群馬県安中市)の開通で結ばれて全線開通。1907年に直江津一新潟が編入された。1997年,長野新幹線(北陸新幹線)開業に伴い,県境をつなぐ軽井沢一横川は廃止。篠ノ井(長野市)-軽井沢はしなの鉄道(上田市)のしなの鉄道線に。

1954(昭和29)年10月,金沢一上野で初の急行「白山」の運行が始まりました。61(昭和36)年5月には善光寺御開帳に合わせ,長野一上野に急行「志賀」が登場。同年10月には長野経由で大阪一上野を結ぶ信越線初の特急「白鳥」が走り,長野一上野を3時間45分でつなぎました。

1966(昭和41)年10月,長野一直江津が電化し特急「あさま」が登場。蒸気機関車に代わって電気機関車が主役になり,68年のダイヤ改正では長野一上野間 3時間を切る列車も登場しました。



2017年の北陸新幹線長野一金沢)延伸開業
で,長野一妙高高原(新潟県妙高市)はしなの鉄道の「北しなの線」,妙高高原-直江津はえちごトキめき鉄道(上越市)の「妙高はねうまライン」に。長野県内の信越線は長野一篠ノ井の9.3㌔のみとなりました。
鉄道開通前は徒歩で6日間を要した長野一東京がわずか9時間5分でつながりました。

◆碓氷峠
 1997年,長野新幹線(北陸新幹線,長野一東京)の開業に伴い,碓氷峠を越える信越線の軽井沢一横川は105年の歴史の幕を閉じました。同区間11.2㌔は標高差が553㍍の急勾配。この難所を通行するために日本初のアプト式鉄道が導入されました。1963(昭和38)年に複線化されてアプト式はなくなりスピートアップしました。