40代会社員。
田舎育ち、東京暮らし20年目。
だんなさんと電車大好きぼっちゃま
(2020年生)の3人家族。
子どもの頃から本が好き!
夢は図書館に住むことでした。
念願かない?、図書館から徒歩1分に居住中。
本の話題を中心に
暮らしのなかのうれしい・楽しいの記録。
ぼっちゃまの影響で、電車率が高め!
▼紙書籍と電子書籍で迷いましたが...
三連休、読書三昧とはいかないまでも、
すき間時間で読み進め、最後は、ぼっちゃまが寝たあとに
一人起きて、深夜にようやく上巻を読了。
真夜中の読書中、ケヴィンの母上について記述にドキリとする。
あら、私のことでしょうか?(笑)
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小説も(つまらぬものでも)読み始めると明け方まで読んでしまって、次の日は使いものにならなかった。(中略)そしてそれを彼女は自己管理ができないせいではなく、架空の世界にかくまで没頭できる自分の芸術的資質のせいだと思っていた。(上巻、205ページ)
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『本格小説』もしかり、水村作品には、
「ホンモノ」と「ニセモノ」の概念を意識させられる。
まず、物語の外から。
作者の歴史・文化・文学への深い造詣や、数々の異文化体験に裏打ちされた
この上なく高尚な小説世界。
そして一庶民でしかない私は、フィクションでしか目にしたことがない
いわゆる「上流階級」の人たち。
「ホンモノ」ではない私は、小説を覗かせてもらっているような感覚に陥る。
物語のなかでは、ケヴィンは、さまざまな「ホンモノ」を語る。
まずは、日本、キリアン、そして貴子と篠田。
ケヴィンの「ホンモノ」語りは、単純な憧れだけではない、
嫉妬や恐れ、ときに軽蔑もまじえて、
だからこそ思考の深みに落ちていくような感じ。
そして、「ホンモノ」のはずの貴子にも、なにかがある。
上巻の最終盤(あと8ページ!)、篠田の
「もう見当がついておられるかもしれないけれど……」
から語られはじめる、貴子の過去。
いやいや、私、まったく見当ついてませんでしたけど...
折り返しのはずのここから、いったいどこに連れていかれるのでしょう?
早く読み進めたいのだが、続きは来週末までお預けだな...