中国に侵略されている日本を護り抜け -6ページ目

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

この国はかつて、

礼儀礼節を重んじる、

礼の国であったが、

しかしいつしか礼の心が失われている。

礼の心、

これは何も、

長幼におけるものだけではない。


つまりは、

目下の者が、目上の者に対する礼だけが、

本当の礼ではなく、

目上の者が、目下の者に対する礼の心もある。

年老いた者が、

地位高き者が、

力ある者が、

年若き者に対して、

地位低き者に対して、

力無き者に対して、

謙虚に、

威張らず、

奢らず、

粋がらず、

上目線で物事を語ることなく、

常に己を振り返りながら接する、

これもまた礼である。

しかしこの礼乏しき国では、

年幼き者が年老いた者に対して、

礼の心を忘れることは、

まだあまり無いが、

年老いた者が年若き者に対して、

礼の心を忘れることなど、

多々、見受けられる。

地位高き者が奢り高ぶり、

地位低き者に接していることなど、

日常茶飯事で見受けられる。

力ある者が粋がり、

常に己を振り返ることなく、

力無き者に威張り散らしていることなど、

北海道から沖縄まで、

どこにでもあることだろう。

なぜならば、

目下の者が、

目上の者に礼を取ることなど、

生きていくための一つの術(すべ)であり、

仕方の無いことであり、

誰でも出来ることだからだ。

たとえば、

コーヒーショップで働いていて、

お客さんに、

礼を取らなければ、

一日で首になるだろう。

あるいは、

新入社員が社長に礼を取らなければ、

やはり簡単に首になるだろう。

しかし、

では客の立場で、

ウエイトレス、ウエイターに、

礼を取る者がどれだけいるだろか。

社長で新入社員に礼を取る者がどれだけいるだろうか。

「モンスタークレーマー」

なんてものが存在するが、

これこそ、

礼の心が失われたその証明と言えるのではないか。


そう、すなわち、

礼の心というものは、

己自身が強者になった時にこそ、

真に試されるのである。


己に礼の心があるかないか、

それを知りたくば、

自分が何らかのカタチで、

目上の立場に立った時に、

威張ることなかったか、

粋がることなかったか、

相手の中に、

自分をはるかに超えていく、

そんな未来の可能性を信じて、

相手に謙虚であり続けたか、

こうしたことを、

振り返るべきだろう。

そして礼の心とは、

「思いやり」

より生まれるものである。

相手に対する思いやりが、

「礼の心」となって現れ、

礼儀礼節を重んじる言動として、

表面に現れていくのである。

礼失われし礼の国・日本。

それはつまり、

思いやりを失いつつある思いやりの国、

ということに他ならない。