尾崎豊、
もう、彼が亡くなって19年も経つのか。
尾崎豊、子供の頃は少しスキだったが、
だが、あの頃も、
「盗んだバイクで走り出す」
とか、
「夜の校舎窓ガラス壊して回った」
とか、
俺には、
ちょいとばかし受け入れられなかった。
「やるなら、
とことんやれよ。
ダサいこと言ってんな。
窓ガラス壊すならば、
真昼間の校長の前でやれよ。
誰がやったか分からないようにするなら、
痴漢して逃げるダサイヤツや、
弱い子猫をいだぶる少年とか、
放火してる変質者と一緒じゃねえか。
バイクで走りだしたなら、
バイトして稼いで買えよ。
必死にバイトして、
やっとバイク勝って、
盗まれた奴の気持ち、
考えたことあんのか、クソガキ!」
てなことを、
クソガキながらに考えてた。
俺なんざぁ、
中学生の頃、
すでに「杉並で一番喧嘩が強い」なんて言われてたけど、
校内じゃあ大人しい奴だったよ。
もちろん、
窓ガラスなんて一枚も割ったことないし、
担任の先生を、
いつも自分の親のように大切にしてた。
他校の中途半端なボンクラ中学生をひっぱたいて、
それが担任の先生にバレると、
先生が悲しむから、
悲しませないように努力したもの。
まぁ先生にも恵まれてたからね。
今、考えると、変わった少年時代を過ごしたな、俺は。
三度の飯よりも、
喧嘩と神輿が好きで、
喧嘩ばっかししているにも関わらず、
そのくせ文学が好きで、
本を持ち歩いていて、
独自に勉強ばっかしていて、
聖書も読めば、
中村元の仏教の本なんかも読めば、
スピリチュアルの本も読んだかと思えば、
関東連合、CRS、府中、江東区、川崎、八王子なんかの不良少年なんかと、
朝まで酒を飲めば、
YMCAってキリスト教系のボランティア団体に所属してたから、
慶応、フタバ、学習院、ぽんじょ、立教など、
そうした、いわゆる、
お嬢様、お坊ちゃんとも、交流があって、
彼ら上流階級の文化も、
少しばかし学ばせてもらったからね。
いや~驚いたね。
ぽんじょの女の子が、
高校二年生なんだけど、
「父や兄、親戚以外のオトコの方とお話をしたのは、
今日が生まれて初めてです」
って言われた時にはね。
ハハハ、そんな人には、
俺みたいなヤツは、
刺激が強すぎたかもね。
尾崎豊も青山だったっけ。
まぁとにかく、
しかし知らなかったよ。
尾崎豊と松本人志に、↓こんな接点があったとは。