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中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

コメント、返信できず、スミマセン。

そしてブログもアップできずにスミマセン。

イシュマルさん、

菩提心さん、

お二人のコメントをアップしないのは、

単純に言って、

内容が難し過ぎるからです。

形而上学的な質問で、

お答えするのに、

時間がかかるために、

今はまだ、あえてアップしてません。


いつか、皆さんのコメントにお答えします。

なぜ、こんなにも忙しいのか、

それは動画作りに精を出しているからです。

近頃は大人しく見える私ですが、

しかし、

前よりも遥かに熱い情熱と闘志を、

胸に秘めております。

ただしかし、

闘志だけではダメなのです。

情熱だけではダメなのです。

闘志と情熱だけならば、

暴れ牛だって、

ヤクザだって、

谷山秀行だって持ってるのです。

熱い情熱と闘志だけで、

そこに仏教でいうところの慈悲が無ければ、

そこにキリスト教でいうところの愛が無ければ、

そこに儒教でいうところの仁が無ければ、

その情熱と闘志は、

破壊と闘争を呼ぶ間違ったものなのです。

与国秀行には、

そんな情熱も闘志もありゃあしません。

情熱と闘志にも、

正しいものと間違ったものとがあり、

人の欠点や過ちを裁き、

暴力と破壊と闘争を生み出す、

そんな間違った情熱と闘志を、

「阿修羅的」と称し、

慈悲と愛と仁を含み、

争いや戦いを終わらせていく、

そんな正しい情熱と闘志を、

「不動明王的」

と称することもできるでしょう。


まぁ、

仏教でいうところの慈悲も、

キリスト教でいうところの愛も、

儒教でいうところの仁も、

基本的には同じです。

私が学んでいる幸福の科学でいうところの「与える愛」です。

今は、

少しばかり心の修行が進み、

心境が高まり、

前よりも、

慈悲を高め、

愛を深め、

仁を磨くことができました。

ですから前よりも、

さらに闘志と情熱でもって、

戦ってまいります。

優しくなければ、

優しくなければ人間じゃないし、

優しくなければ男じゃないですよ。

優しさがすべてですよ。

優しい人に出会うことを求める人生を生きるのではなく、

誰よりも優しい人に自分自身が成ろうとする、

そんな愛に溢れた人生を生きようではありませんか。

人生に大切なのは、

愛ですよ愛、

しかもその愛は、

誰かに求める愛でもなければ、

誰かから奪う愛でもなく、

見返りを求めることのない与える愛ですよ。

なぜなら、

愛を与える真に優しい人であるからこそ、

人々に囲まれた愛ある人生を生きられるからです。


「優しい人に出会うより、
 優しい人になりなさい」
BY 与国秀行(YMCAのリーダーから学んだ言葉)