コメント、返信できず、スミマセン。
そしてブログもアップできずにスミマセン。
イシュマルさん、
菩提心さん、
お二人のコメントをアップしないのは、
単純に言って、
内容が難し過ぎるからです。
形而上学的な質問で、
お答えするのに、
時間がかかるために、
今はまだ、あえてアップしてません。
いつか、皆さんのコメントにお答えします。
なぜ、こんなにも忙しいのか、
それは動画作りに精を出しているからです。
近頃は大人しく見える私ですが、
しかし、
前よりも遥かに熱い情熱と闘志を、
胸に秘めております。
ただしかし、
闘志だけではダメなのです。
情熱だけではダメなのです。
闘志と情熱だけならば、
暴れ牛だって、
ヤクザだって、
谷山秀行だって持ってるのです。
熱い情熱と闘志だけで、
そこに仏教でいうところの慈悲が無ければ、
そこにキリスト教でいうところの愛が無ければ、
そこに儒教でいうところの仁が無ければ、
その情熱と闘志は、
破壊と闘争を呼ぶ間違ったものなのです。
与国秀行には、
そんな情熱も闘志もありゃあしません。
情熱と闘志にも、
正しいものと間違ったものとがあり、
人の欠点や過ちを裁き、
暴力と破壊と闘争を生み出す、
そんな間違った情熱と闘志を、
「阿修羅的」と称し、
慈悲と愛と仁を含み、
争いや戦いを終わらせていく、
そんな正しい情熱と闘志を、
「不動明王的」
と称することもできるでしょう。
まぁ、
仏教でいうところの慈悲も、
キリスト教でいうところの愛も、
儒教でいうところの仁も、
基本的には同じです。
私が学んでいる幸福の科学でいうところの「与える愛」です。
今は、
少しばかり心の修行が進み、
心境が高まり、
前よりも、
慈悲を高め、
愛を深め、
仁を磨くことができました。
ですから前よりも、
さらに闘志と情熱でもって、
戦ってまいります。
優しくなければ、
優しくなければ人間じゃないし、
優しくなければ男じゃないですよ。
優しさがすべてですよ。
優しい人に出会うことを求める人生を生きるのではなく、
誰よりも優しい人に自分自身が成ろうとする、
そんな愛に溢れた人生を生きようではありませんか。
人生に大切なのは、
愛ですよ愛、
しかもその愛は、
誰かに求める愛でもなければ、
誰かから奪う愛でもなく、
見返りを求めることのない与える愛ですよ。
なぜなら、
愛を与える真に優しい人であるからこそ、
人々に囲まれた愛ある人生を生きられるからです。
「優しい人に出会うより、
優しい人になりなさい」
BY 与国秀行(YMCAのリーダーから学んだ言葉)