アイディンティティーの違いを乗り越えてこそ大和魂 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

帝国主義の世界規模の戦国時代の頃、
欧米諸国はアフリカをまるで
チーズでも切り取るかのように、植民地支配した。


そのために現在のアフリカの国境は、不思議なほどに直線になっている。


その結果、アフリカでは一つの国に異なる民族が住むことが多く、
そして民族間の摩擦が、そのまま民族紛争になることも少なくない。


ルワンダという国には、ツチ族とフツ族という民族が住んでいた。


それはちょうど、現在の中国に、
ウイグル民族やチベット民族や漢民族が住んでいるようなものである。


しかしフツ族は、ツチ族から見下され、蔑まれる傾向があり、
長い間、じっとその差別に堪えてきた。


そしてその「怒り」が頂点に達し、
「憎しみ」へと変わって爆発することで、
10人に1人の人間が殺され、
わずか100日間で80万から100万人もの人間が亡くなったのだ。


昨日まで友人同士であった者が、突然、敵味方になり、
レイプや殺人や強盗が繰り広げられたのだ。


それはまさに、そこら中に死体が転がる地獄絵図だった。


「民族」というこの問題を、世界はまだ解決していない。


そのために、世界中で民族問題が勃発し、そして悲惨な結果をもたらしている。


2009年、6月25日、ウイグル人男性が広東省市で十八人も殺された。


中国政府は「二人」と発表しているが、

実際は大勢の漢民族によって、殴る蹴るの暴行を受けて、

十八人もの人間が殺された。しかもその際の暴行の現場を、

漢民族の一人が携帯電話の動画で録画し、

そしてインターネットにアップした。


その動画映像には、
「殺せ!殺せ!」と叫ぶ漢民族、
地面に倒れるウイグル人、
そのウイグル人を殴打し続ける漢民族、
「やったぞ!」と歓声を上げている撮影者自身の声、
生きているのか死んでいるのか分からない身動き一つしないウイグル人、
そのウイグル人をさらに棒で殴打する漢民族、
そしてそれらの一部始終を

傍観している制服を着た公安(警察)さえ映っていた。


今、中国国内で、チベット人やウイグル人は、

人間として生きていくことができない。


なぜなら法律を守り、治安を守るはずの公安までもが、
リンチといった暴力を黙認し、大勢の若者が虐殺されているからだ。


これが日本のマスコミが伝えない国連常任理事国、中国の実情だ。


6月25日のウイグル人虐殺事件を受けて、十日後の7月5日、
ウイグルの人々はデモ行進を行った。


中国政府は、これを「暴動」と発表しているが、
しかし真実は、ウイグルの人々が、中国政府に対して、
「虐殺を行った人々を正当に処罰してもらい、再犯を防いでもらいたい」
という悲痛な訴えの平和的なデモ行進だった。


デモ行進を行った彼らは、中国政府に対して、
「これは独立運動ではない」という意思を示すために、
あえて五星紅旗を掲げて歩いた。


しかし中国政府は、この平和的デモを、軍隊を派遣して虐殺した。


あるジャーナリストによれば、
中国政府はアメリカからの人工衛星から監視されないために、
あえて街を一斉に停電にして、暗闇の中で、銃声を鳴らし続けたそうだ。


「鎮圧のために拉致された者、殺された者を合わせて、
 一万人のウイグル人が、一夜にして姿を消した」
と言われている。


これは天安門事件の時も同様だが、

中国政府は国際社会の批判を避けるために、
たとえ大勢の人間を殺しても、すぐさまその死体を片付け、
そして人の血で汚れた街をきれいに洗い流しますために、
殺されたのか、

それとも拉致されたままなのか、それが分からないのだ。


だから天安門事件の時も、ウイグルでのデモ行進の時も、
大勢の人間が「行方不明者」という形になってしまう。


そうしたことから夫はどこに行ったのか、
息子は死んでしまったのか、恋人は生きているのか、
それが分からずに苦しむ人々が、今も昔も後を絶えない。


多くのウイグル人が行方不明になった7月5日のあの日、
ある少女は人民解放軍が放った銃弾の流れ弾が手をかすめて、

病院で診察を受けた。


しかし彼女が家に帰ると、
白衣を着た「医者」と称する人々がやって来て、
「精密検査をするから」と言って、彼女を連れ去って行ったそうだ。


その後、彼女は三ヶ月を過ぎても家に帰って来ない。


家族が心配して病院に問い合わせても、病院側は「知らない」と返事するだけだ。


つまり中国政府は、虐殺の事実を隠蔽(いんぺい)したいがために、
「虐殺の流れ弾が当たって怪我をした」という証言を封じ込めるために、
彼女の行方を分からなくさせているのだ。


もちろん中国政府の暴政も問題だが、
しかし我々人間が考えなければならない問題、
あるいは避けては通れない問題の一つに、
やはり「アイディンティティー問題」がある。


アイディンティティーとは、
「自分とは何者であるか?」という問に対する答えだが、
「自分は日本人である」とか、
あるいは「自分は大和民族である」とか、
もしくは「自分は中国人である」とか、
「自分は漢民族である」とか、
そうした自分の存在に対する意識とも言えるだろう。


我々人間は、
アイディンティティーが同じであれば、
同胞や仲間を生み出すこともあるが、
しかしアイディンティティーが異なれば、
誰かとの間に壁を作って敵を生み出し、
時にはルワンダやウイグルで起きた大虐殺さえ起こるわけである。


国を否定して「地球市民」を名乗る人々は、
人類が未だにアイディンティティーの問題を
解決することができていないというのに、
なんとも安易な考えでもって民族の壁を飛び越えようとする。


しかしルワンダから我々は多くのこと学ぶべきなのだ。


ブライアン・L・ワイス医師は、催眠療法を行っていくうちに、
偶然のように過去の人生を語り始める患者と出会い、
「人は心を唯一の持ち物に生まれ変わりを繰り返し、転生輪廻している」
という真理と出会ったわけだが、実は彼と全く逆の体験をした方がいる。


それは二十世紀のアメリカにおいて、
「眠れる預言者」と呼ばれたエドガー・ケイシーという方だ。


ワイス医師の場合は、生まれ変わりの知識の無い人々が、
催眠状態の中で歴史や地理など、本人の全く知らない知識を色々と語ったが、
しかしケイシー氏の場合は全く逆だった。


つまりケイシーという方は、普段は医者ではなく、
むしろ医学に対しては全く無知無学な人間であったのだが、
しかし医学知識の全く無い彼は自分が催眠状態に成ることで、
難病の患者の治療法を答えるという不思議なことをしていた。


彼が催眠状態の中で語るその内容は、
「まるで偉大な医者が語っている様に素晴らしい」と人々に言わしめたほどであった。


ある日、一人の少年が母親に連れられて、とある病院にやって来た。


その少年の右足の傷口からは黄色い膿が滴り、
危険な状態であることは誰の目にも明白であったが、
しかし担当医は治療法が分からずに頭を抱え込んでいた。


するとその医者は、少年と母親を病院に残して、

写真館を営むケイシーのもとを訪れる。


実はその医者は自分に判断のつかない患者が訪れると、
医学部どころか高校さえ出ていないケイシーにいつも助けを求めていたのだ。


つまりエドガー・ケイシーという方は、
催眠状態になることで能力を発揮するタイプの霊能力者であったわけだ。


さっそく催眠状態になり、ケイシーは少年の病状について答える。


「少年の足は感染症が長引いたために、
 適正に治療しないとこのままで切断することになってしまう。
 最初はただのひっかき傷であったが、泥に触れて、
 子どもが石鹸できちんと洗わなかったので雑菌が入った。
 そこに色々な薬をつけたために逆に傷が悪化した。
 薬が感染部に浸透して自然治癒力を妨げている」


医者は「ではその適正な治療法は?」と質問すると、ケイシーは続ける。


「オイル・オブ・スモーク、この薬は今では製造されなくなっている。
 しかしケンタッキーにあるルイビルには、この薬をまだ売っている薬局がある」


そこでその医者は、すぐさまその薬局に問い合わせた。


しかしその薬局の主人によると、
「確かにその薬を以前は扱っていたが、今ではもう扱っていない」と言う。
そこで医者はケイシーに「今はもう売っていないそうだ」と、
伝えたが、催眠状態のケイシーはすぐさま返す。


「そんなことはない。薬剤師がいつも使うガラス棚、
 その棚の奥のほうに壁にくっついて薬は隠れている」と。


半信半疑で薬剤師は、いつも使っているガラス棚の奥を調べてみると、
確かにケイシーが言うように、オイル・オブ・スモークという薬が見つかった。


そしてその薬によって少年の右足は直り、その出来事は雑誌にも取り上げられた。


なぜ医学知識の全く無い彼が、催眠状態の中で難病患者の診断が行う、
という医療行為を行なうようになったのか、その経緯を簡単に説明してみたい。


エドガー・ケイシーという方は若い頃、突然、声が出なくなってしまった。


地元の医者は誰一人として彼を助けることは出来ず、
彼は助けを求めるあても無く、困り果てていた。


そして藁にもすがる想いで、当時、流行していた催眠術に彼は頼ることにしたのだ。


催眠術師はあまり役に立たなかったのだが、
ケイシーは催眠術の方法を自分で学び、
自分を催眠状態に持っていくことができた。


というよりも催眠状態の時に出ている脳波を、アルファー波と言い、
この脳波は坊さんが瞑想状態の時に出ている脳波でもあるので、
エドガー・ケイシーは自分から瞑想状態になることで、
催眠状態になっていたのかもしれない。


そして催眠状態の彼に、色々と質問してみると、
声が出なく成っていた彼が、不思議なことに自分の病状と治療法を語り始めたのだ。


そして実際にその治療法を行うと、
医者さえも直すことのできなかった彼の病は直り、声は元通りに治った。


ケイシーのこの行為は、ある医者の興味をひいた。


この医者は
「医学知識が全く無いケイシーが、
 自分の病の治療法を語れるのであるならば、他人の病の治療法も語れるはずだ」
そのように考えた訳だ。


そしてその医者とケイシーの実験は見事に成功した。


つまりエドガー・ケイシーは、医学の知識が全く無いにも関わらず、
自らが催眠状態になることで、
医者が見離した難病患者の治療法をも見事に語ることができたのだ。


こうして彼による不思議な医療行為が始まった。


しかしケイシーには悩みがあった。


なぜなら彼は、一度として催眠状態の自分が何を語ったのか憶えていなかったからだ。


そのために彼は、催眠状態の中で自分が間違ったことを語って、
誰かを迷わせたり、苦しめてしまうのではないかと、初めは常に恐れていた。


しかし彼に助けを求める難病患者は、後を絶たなかった。


たとえばある少女は理性を失って錯乱状態になり、

精神病院に入れられてしまった。


なぜその少女が、その様な状態に成ってしまったのか、
医者も家族も誰も分からず、

困り果てていたために、ケイシーの元を訪れた。


ケイシーが催眠状態になり、そして彼に質問してみると、
「少女は親知らずが歯ぐきにくい込んで、
 脳神経を刺激しているのであって、
 その親知らずを抜きさえすれば脳神経を刺激しなくなくなり、
 錯乱状態は直り、理性を取り戻す」
と言うのだ。


実際にその少女からは埋没した親知らずが見つかった。


そしてケイシーの診断とおりにその歯を抜くことによって、
彼女は正常に戻ったのだ。


またある赤ん坊は、生まれつき病弱で四歳の時に発作をおこして、
「もう幾日も命はもたない」と三人の医者から宣告されてしまった。


絶望の淵にいた母親は、藁にもすがる想いでケイシーの元を訪れて、
催眠状態の彼に治療法を訊ねた。


ケイシーが言うには、毒薬であるベラドンナ剤を一回分与え、
続いて尚も必要であるならば解毒剤を飲ませるように、と指示した。


医者はこのケイシーの治療法に猛反発したが、
それでも母親はケイシーの言葉を信じて、我が子に毒薬を与えてみた。


すると発作は即座に止まり、続いて解毒剤を飲ませると、
赤ん坊はゆったりとした表情で、すやすやと眠り始め、命は助かったのだ。
現代の常識から考えれば全く不思議なことだが、
医学に関して何の知識も無い彼は、催眠状態に自分が成ることによって、
様々な医学の専門用語を使って、
医者もお手上げだった難病の患者に対する治療法を答えていたのだ。


多くの人々の病を癒していく中で、
ケイシーは「人間の生命」に関しても質問された。


すなわち「医学知識が全く無い彼が、

様々な治療法を語れるのであるならば、
『生命の真実』に関しても、何か語れるのかもしれない」と、
その様に考えたスピリチュアルに強い関心を持っている友人に、
「人間とは死だらどうなるのか?」と、そう彼は質問されたのだ。


そしてやはりブライアン・L・ワイス医師と同様に、
催眠状態の中で彼は、
「人間とは肉体が滅んでも、心だけは滅びることなく、
 様々な時代に、様々な土地で、心だけを唯一の持ち物にして、
 何度も、何度も生まれ変わりを繰り返している」
と語ったのだ。ある時は白人として生まれたり、
ある時は黒人として生まれたり、
またある時はヨーロッパに、アジアに、アメリカに、アフリカに、オセアニアに・・・。


エドガー・ケイシーはこうした経験を通して、
病に関して答えて人々の肉体を癒すだけではなく、
人々の過去世を紐解いて、人生の悩みに関しても答えて、
人々の精神をも癒していった。


たとえば彼によると、仕事や才能というものは、
過去世と深く関わっているというのだ。


過去の人生において、音楽関係の仕事をして努力していた人は、
今回の人生においても、
やはりモーツアルトのように音楽の才能を持っていることがあるし、
絵画などのビジュアル関係の仕事をして努力していた人は、
今回の人生においても、
やはりダ・ヴィンチのようにそうした才能を持っているわけである。


そしてエドガー・ケイシーは、
現代の唯物的な価値観の強い世の中からすれば、驚くべきことを語った。


それは
「人間は転生輪廻を繰り返して自分の魂を磨き、
 そして少しずつ神に近付いている存在であり、
 そこに人間が地上に生まれてくる目的がある。
 自身の持つ愛によって、世界の平和に貢献するところに、
 本当の人生の目的があり、実は霊界こそが本来の人間の住処である」
ということだ。


こうしたことと同様なことは、
ブライアン・L・ワイスから催眠療法を受けた女性も語っていた。


催眠状態の女性は、自分の過去の人生と、
そして人生の意味について、次のように語ったのだ。


「私はもっと優しくであるべきでした。


 しかし私は優しくありませんでした。


 人が私に対して何か悪い事をすると、私はそれを絶対に許せなかったのです。


 でももっと人に対して優しくするべきでした。


 私は人を優しく許すべきだったのです。


 しかし私は他の人の悪や過ちを許せませんでした。


 その想いをずっと心の中に溜め込んで、私は何年もずっと人を恨み続けていたのです。


 人は自分の心の欠点に気づかなければなりません。


 もしもそれを怠ると、次の人生にそれを業として持ち越すことに成るからです。


 自分で溜め込んだ心の悪い癖は、
 実は肉体を持っている時にだけ取り除くことができるのです。


 人間は肉体を持たなければ学べないことがあります。


 なぜなら霊だけで天国にいる時には、痛みも無く、傷つく事も無く、
 安らぎと幸福感だけであるからです。


 ある人が地上に生まれてきても、
 もしも争いを選び取って自分の心の悪い癖を取り除く努力をしなければ、
 その業(カルマ)は他の転生に、また持ち越されることになるのです。


 そして自分がその業を克服することができたと想うまで、
 何度もその人は同じ業を持ち越さなければなりません。


 地上で生きている私たちは、霊魂と肉体を持っている時が自然であり、
 肉体を離れて霊だけになった時が異常な状態であると考えがちです。


 しかし実は違うのです。実は肉体に宿っている事が異例であるのです。


 実は肉体に宿っていない霊魂だけの時こそが自然であるのです。


 肉体に宿ってこの地上に生まれるということは、
 実はあたかも未知な世界に送り込まれる様なものであるのです。


 人はこの地上に、愛を学びに生まれてくるのです。


 私たち人間の使命、それは学ぶことです。


 知ることによって人間は神に近づくのです。


 人間はほとんど何も知らないのです。


 だから私たちは多くのことを学ばねばならないのです」


エドガー・ケイシー氏とブライアン・L・ワイス氏が、
催眠術によって明らかにされた、しかも共通している事柄は、次のことである。


「我々人間は心を唯一の持ち物に生まれ変わりを繰り返し、
 人は心を磨き、そして学ぶために、この地上に生まれてくる存在であり、
 実はこの世こそが仮の世の中で、あの世こそが実在の世界である」
ということだ。


実はエドガー・ケイシー氏は、時には予言的な質問に対しても答えている。


つまり
「過去の出来事を事細かに語れるのであるならば、
 これから起こる未来の出来事も語れるのではないか?」
という考えから、
未来について様々な質問が彼にされて、彼は予言も残しているのだ。


しかし予言に関しては外れることもあった。


なぜならすでに述べたように、未来というものは決まっているものではなく、
我々人間の努力と堕落によって、変更が可能であるからだ。


だからケイシーの予言が外れることもあったことなど、当然と言えば当然と言えるだろう。


ケイシーに助けを求めた人々は、肉体的、精神的を問わず、大勢であった。


そのために彼は忙しくなり、本業の写真屋はおろそかになってしまった。


だから途中から彼は、仕方なしに僅かな報酬を受け取らざるをえなくなった。


しかし彼の不思議な能力は、善意と愛によって、
人々の苦しみを取り除き、幸福と平和のためだけに使われた。


その証拠に彼について書かれた本は、現在でも世界中の書店で売られているが、
しかしキリスト教的な清貧を重んじていた彼の生涯は、
常に富や名誉や地位とは無縁であり、常に質素なものであり、
むしろ彼の生活は貧しかったのだ。


ケイシーの語るその内容は、常に一貫していた。


記録に残された最も古い言葉は1909年だが、
それから彼の亡くなる1945年までの間に、
全部で約一万五千件もの記録が残されている。


そしてその中のかなりの人が、二度以上に渡って、
ケイシーに様々な過去世を語ってもらったのだが、
その語る内容は十年後も、二十年後も一切矛盾が無かった。


つまり予言に関しては、エドガー・ケイシーも外れることがあったが、
しかし転生輪廻に関する記述、
あるいは誰か個人の過去世に関する記述は、
決してブレることなく一環していたのである。


今、中国共産党の脅威が沖縄から日本に迫っているわけであり、
そして沖縄県民の中にも、
あるいは中国人の中にも、
「沖縄はかつて琉球という一つの国家であり、
 その琉球は日本よりも中国と親しかったのだから、
 これから沖縄は琉球として、
 日本ではなく中国と仲良くしていくべきである」
と、そう考えている人もいるくらいだ。


しかし唯物思想の共産主義は間違いである。


またチベットやウイグルも、かつては中国の属領国だったが、
今、チベット人やウイグルの人々は、
日本をはじめ世界各国に亡命している。


また漢民族の方々であっても、
一部の人は豊かな暮らしが出来ても、
大多数の人々が貧しい暮らしを強いられていて、
暴動につぐ暴動の繰り返しである。


また、アイディンティティーの問題を解決し、
民族の壁を乗り越えていくものは、
あくまでも「人は生まれ変わりを繰り返している」という悟りであり、
私もかつて中国人として、
あの広大な大地で生きていたこともあったかもしれないし、
今、中国人として生きている方も、
かつてはこの日本で、
大和魂をもって国造りに励まれたこともあったかもしれない。


つまりどこかの国を憎んだり、
どこかの民族を敵視したりするということは、
結局はかつての祖国や同胞を憎んだり、
敵視していることに他ならないことであると、
人類全体が悟れば、
ルワンダのような悲劇は二度とこの地球では起こらないことだろう。


聖書にこんな話がある。


かつて人々は協力し合って、高い塔を築き上げて、

天にまで届かせようとしていた。


その様子を見て、神はこう言ったそうだ。


「そんなことを人間が簡単に出来てしまうのは、
 人々の言葉が同じあり、心が通じ合うからだ。 
 ならば人々の言葉をバラバラにしてしまおう」


そして神によって、人々の言葉がバラバラになってしまうと、
塔の建設は出来なくなった。


この話は、こうして人間には神から、
民族の違い、人種の違い、文化の違い、国家の違い、宗教の違い、
といった「厳しい試練」が与えられた、という物語だ。


人類がすべて同じ言語、同じ民族、同じ人種、同じ国家、同じ宗教で、
アイディンティティーに違いが無ければ、
世界には簡単に平和が訪れるのだろうが、しかし現実はそうではない。


人類には様々なアイディンティティーがあり、
そしてアイディンティティーの違いが、
確かに時に差別も生み出せば、

戦争も生み出せば、虐殺さえも起こし、宗教紛争をも激化させている。


しかし神より与えられた、こうした厳しい試練こそが、
霊的存在である我々人間の悟りを、
より高めさせ、
そして魂を成長させてくれるのではないだろうか。


大和魂とは、平和を求める精神であり、
決して日本一国のみを愛する精神ではなく、
またアイディンティティーの違いによって、
人間が戦争や虐殺さえ起こしかねない以上、
悟りによってアイディンティティーを乗り越えることも、
大和魂と言えるのではないだろうか。



アイディンティティーの違いによって、

差別どころか虐殺や戦争さえ起こっているというのに、

他民族、他文化、他国家、他宗教を蔑むなど、

大和魂からは程遠いと、そう言い切ることができるだろう。