ここでこの日本で起きた特に変わった臨死体験を述べてみたい。
それは木内鶴彦氏という方の臨死体験だ。
木内氏は6才の頃のある思い出が、ずっと気になっていた。
その思い出とは、2つ年上の姉と外で遊んでいた時のことである。
「危ない!」という不思議な声が、
どこからともなく聞こえてきたので、木内氏はふと前を見た。
すると前を歩く姉に向かって大きな石が転げ落ちてきた。
そこで幼い木内氏は、とっさに姉を突き飛ばした。
そのために姉は転んで怪我をしたが、おかげで石の直撃を避けることができた。
しかし周囲を見回してみても、彼と姉以外には誰もいない。
姉もそんな「危ない!」という声は聞いていないというし、
姉は転がり落ちる石を見ていない。
そのために彼は、姉から
「理由もなく、突き飛ばされて、怪我をさせられた」
と、怒られ責められたのだった。
それから十六年後、木内氏は激しい腹痛で病院に運ばれた。
上腸間膜動脈性十二指腸閉塞という、
当時世界でも120例しか症例のない難病であり、
これまでに助かった前例はないために、
彼は「あと1週間の命」と医者に宣告されてしまった。
72キロあった体重も、
なんと翌日には42キロにまで落ちるという激しい脱水症状で、
臓器機能も低下して体力も消耗したために、
満足な検査をすることさえできなかった。
そして彼はナースコールを押そうとした瞬間に、
首がガクンとうなだれて、
こめかみに感じていた脈動が消えるのを感じたのだそうだ。
ここから世にも稀な臨死体験が始まった。
木内氏は光に向かってトンネルを抜けていき、
その先にはお花畑が一面に広がっていて、
そこで亡くなった親戚や喪服を着た見知らぬ中年女性に出会ったそうだ。
後に分かったことだが、その見知らぬ中年女性は、
木内氏が一度も会ったことのない亡くなった叔母であったという。
そして木内の意識は、病室に戻ってきた。
不思議なことに、何時の間にか苦しみは消え去り、彼らの身体は軽くなっていた。
そして彼の足下には、父親が呆然と立ち尽くしていたそうだ。
彼はそんな父親の姿を見て、
「自分を死んだと想っているのではないか?」と感じ、
とりあえず軽く成った上半身を起こしてみた。
しかし父親は相変わらず微動だにせずに、木内氏の腹部を見つめている。
次に彼は父親の所に行こうとベッドの脇に立った。
しかしふとベッドを見ると、なんとそこにはまだ、
自分の肉体が横たわったままになっていたのだ。
彼はパニックに陥った。
意識は普段通りにありながら、
見えるものも、聞こえるものも、すべてが普段とは全く変わらないというのに、
今、自分は肉体の外にいて、
そして自分の肉体を見下ろしているからだ。
つまり彼は肉体を離れて、意識だけ、個性だけ、心だけの存在となってしまったのだ。
そこで
「とりあえず自分はまだ生きているのだということを、父親に伝えなくてはならない」
と、そう考えた彼は、
彼の肉体を呆然と見つめている父親の耳元で、大声で叫ぼうとした。
ところが次の瞬間、さらに驚く事件が起こった。
なんと父親が目の前から消えたかと思うと、
彼は自分の肉体を足下の方から見下ろしていたのだ。
つまり彼は意識や心だけの存在と成り、
しかも父親に向かって叫ぼうとしたら、次の瞬間には、
父親の肉体の中にすっぽりと入ってしまったというのだ。
次に彼は、
「母親はどうしているのだろう?どこに行ったのだろう?」
と想うのだが、不思議なことにその様に想った次の瞬間、
彼は病院の一階のホールで電話をかけている母親の横にいた。
母親は息子が難病を患い、今にも死にそうになっているということで、
ひどく気が動転しているらしく、なかなかダイヤルが回せないでいるようでだった。
そこで木内氏はアドレス帳を覗き込み、電話番号を読みあげたのだが、
母親に声は全く聞こえない。
彼は次に自分の肉体のある病室が気になった。
するとやはりその次の瞬間には病室に戻っていたのだ。
そしてどうやら彼が病室を離れている間に、
看護婦さんが駆け付けたらしくて、
看護婦さんが必死に彼に心臓マッサージを行っていた。
その様子を木内氏は、まるで他人事の様に
「大丈夫だろうか?助かるのだろうか」と、心配そうに眺めていたという。
そんな様々なやり取りを続けている内に、
木内氏はだんだんと落ち着きを取り戻していった。
そして冷静に成ると同時に、彼は今の自分の状態に対して、
好奇心すら沸いてきたそうだ。
父親の中に入り込んだり、または母親を想うだけで移動できるということは、
「これは紛れも無く三次元世界の常識が覆されている」
と、理系の人であった彼はそう確信した。
そこで彼は次の様に考えた。
「三次元の常識が覆されているために、
自分は空間を飛び越えることを可能にしているのではないか?
空間を飛び越えられることが可能のならば、
時間も飛びこ超えられることも可能なのではないか?」
と。
そして彼は実験を試みてみようと想い立ち、
ずっと気になっていたあの6才の頃のことを心に念じてみたそうだ。
なぜなら、あの時の「声の主」が誰であったのかを、
彼は知りたかったからだ。
すると次の瞬間には、彼の意識はあの6才の頃に戻っていた。
つまり信じられないことに、心だけの存在と成った彼は、
「時間」も「空間」も飛び越えて、
すなわち彼はまさしく「時空」を飛び越えて、
崖道を歩いてくる幼い自分と姉の姿を、崖の上から見下ろしていたのだ。
ふと見ると、やはり崖の上から大きな石が、幼い姉を目掛けて落ちてくる。
その様子を見ていた、心だけの存在と成った木内氏は、
思わず「危ない!」と叫んでしまった。
そして木内氏は、長年に渡って悩んでいた「声の主」が、
誰であったのかに気が付いたのだ。
こうして過去を見て来た木内氏は、
「過去にも行けるのであるならば、未来にも行けるのではないだろうか?」
と、そのように考えた。
しかし未来は、過去とは勝手が違う。
なぜなら過去はその場所や状況を思い出して、
心の中で念じることができるが、
しかし未来は見たことのない世界であるために、
想像がつかず、状況を思い浮かべて心で念じることができないからだ。
それでも木内氏は、未来を見て来た。
彼が見てきた未来の光景の一つは、大きな畳の部屋で一人の男性が、
三十人くらいの人に何かを真剣に話していて、
人々が熱心に彼の話を聞いている、という状況だった。
心だけの存在となっている木内氏は、その何かを話している男性の背後から、
その様子を見守っていた。
話の内容が全く理解できなかった彼は、
「何を話しているのかな?」と、そう想って、その男性の顔を覗き込んでみた。
すると驚いたことに、その男性は中年に成った木内氏本人であったのだ。
もちろんまだ見ぬ未来であるために、
それがどういう状況で、そこがどこの場所であるのか、
彼にはさっぱり理解できなかった。
木内氏は、こうした臨死体験の後に奇跡的に回復し、
そして天文観測家の道を歩み、彗星の発見によって天文学界に衝撃を与え、
今では天文観測家として世界的に有名になっている。
そしてあの臨死体験から十九年後、
木内氏は高野山で天文学会の講演を行うことになった。
それはかつて臨死体験で見た場面と全く同じであった。
三十人くらいの人々や部屋の様子を見て、
彼はあの臨死体験で見てきた未来を思い出したのだそうだ。
実は木内氏は、他にも未来の光景を見て来ていた。
その光景とは、廃墟と化した荒れ果てた大地に、
茫然と立ち尽くす60歳くらいの木内氏の姿。
まるで大規模な災害か、それとも戦争か、それは定かではないが、
しかし建物という建物は崩壊し、山々には一本の木々も見当たらず、
まるで砂漠と化し、周囲には大勢の人々が倒れていて、
生きているのか死んでいるのかさえも分からなかったそうだ。
そしてその中を、未来の中年の木内氏が、やるせない悲しい表情を浮かべて、
幾人かの人々と彷徨い歩いていたそうである。
しかし木内氏によると、かすかにそうした悲惨な光景に、
同じ時刻、同じ場所に、もう一つの光景が重なって見えたそうだ。
もう一つの重なっている光景とは、
緑あふれる世界の中で、
年老いた木内氏が、子供たちに楽しそうに星の話をしていたそうだ。
荒れた廃墟の未来の奥に、かすかに穏やかな平和な未来が、彼には見えたわけであり、
それはまるで、カメラを二重写しにした様な奇妙な光景であったという。
実は臨死体験によって、こうした二重写しの未来を見てくる人は少なくないそうだ。
これらのことから考えられること、
それはすなわち未「来とは変えられる」ということであり、
「未来は確定している訳ではない」ということであり、
当然のことながら、
「我々人類は、未来の地球を荒れ果てたものにすることも出来れば、
より美しいものにすることも出来るということであ」ということであり、
「未来には絶望と希望の二つがある」ということに他ならない。
この木内氏の世にも稀な臨死体験は、
「霊には空間や時間に対する三次元の常識が通じない」
ということを裏付ける臨死体験であると、そうも言えるだろう。
確かにこの臨死体験を「そんなの嘘だ」と、そう言うことは簡単だ。
こんな詐欺や偽装が日常茶飯事の日本ならば、
「人を信じる」ということが見失われて、
「人を疑う」ということの方が多いことだろうから、
木内氏を「嘘つき」呼ばわりすることも簡単かもしれない。
しかしでは何のために、
木内が嘘をついて、臨死体験を語る必要があるのか。
そこに何のメリットがあるというのか?
それに確かに日本は今、国難を迎えているが、
しかし世界規模の危機があることも、我々人間は決して忘れてはならない。
つまりこのまま何ら解決策を出すことなく時代が進んでいけば、
日本がチベットやウイグルのように消滅するばかりか、
キリスト教・ユダヤ教系国家(アメリカなど)VSイスラム圏(イランなど)との争いは激化し、
いつの日か核戦争さえ起こりかねない、という現実である。
アメリカは世界中の生物を死滅させられるだけの核兵器を持っていて、
敵対しているイランが核開発を進めているために、
アメリカは核兵器を捨てたくても捨てられないのだ。
そうであるならば、
中国共産党の脅威を打ち払い、
この国を護った後は、
この日本を毅然たる態度の出来る国家に造り変えて、
そしてアメリカとイランとの対決ムードに調和をもたらし、
世界平和に貢献してこその真の大和魂ではないか。
何千年と続いているユダヤ教・キリスト教とイスラム圏の諍(いさか)いには、
明らかに仲裁役が必要であり、
その仲裁役は、無宗教国家の中国にできるわけなど到底なく、
八百万の神々によって築き上げられてきた、この宗教国家日本こそ、
真理という名の平和の要を駆使して、その仲裁役を果たすことができる。
大和魂というものは、
決して日本一国の平和と繁栄を願うものなどではなく、
あくまでも大調和を追い求める精神である以上、
世界の平和を求める魂である。
そして世界情勢を知る者ならば、誰が考えてもわかるように、
地球の未来には希望と絶望の二つがあるのならば、
地球の希望を追い続けるところに大和魂があることなど、
もはや歴然たる事実である。
しかしただ平和だけを愛して、
この日本を無宗教国家中国から護らなければ、
世界そのものさえ闇に沈みかねない。
なぜなら相手がアメリカやイランという国家が相手である以上、
仲裁役も国家でなければならないからだ。
たとえばよく、愚かな輩が「地球市民」などと称して、
死の覚悟もできていなければ、
宗教についても何も知らないというのに、
「ただ平和を愛する」という人間ならば誰もが持っている感情と、
「人から善人に思われたい」という偽善の心によって、
宗教紛争に首を突っ込むことがある。
そしてイスラエルやアフガニスタンやイラクまで行って、
現地のイスラム教徒に殺されているが、
はっきり言って「愚か」としか言いようがない。
もし宗教紛争に首を突っ込み、
イスラエルやアフガニスタンやイラクに行くのであるならば、
まず死を覚悟するべきであり、
そしてキリスト教、ユダヤ教、イスラム教といった、
いわゆるアブラハムの兄弟宗教について、死ぬ気で勉強するべきであり、
そしてさらには、「真理の学習」というものを、「命より大切である」と考えて、
死んだ気で学習するべきである。
死の覚悟、
アブラハムの兄弟宗教の勉強、
真理の学習、
この三つが無いにも関わらず、
安易な気持ちで宗教紛争に首を突っ込むことなど、
はっきり言って笑止千万である。
しかしその一方で、
科学の発展によって地球そのものを死の星にしてしまうことができるようになり、
アメリカと敵対するイランが核開発を進めている以上、
やはりどこかの誰かが、宗教紛争に首を突っ込まなければ、
世界が滅びることさえ確かにあるのだ。
しかしこの日本は、アメリカに何ら強いことが言えない。
なぜなら日本はアメリカの植民地だからだ。
かつて沖縄で米軍のヘリが墜落事故を起こした時、
日本の警察も、自衛隊も、事故現場に立ち入ることはできなかった。
なぜなら米軍機には、米軍の機密情報が盛りだくさんだからだ。
もしも首相官邸や国会に米軍機が墜落したら、
日本の警察や自衛隊は、首相官邸や国会にさえ近づけないわけである。
これでどうして「主たる権利が日本にある」と言えようか。
日本はアメリカから、毎年、「年次改革要望書」なるものを突きつけられて、
アメリカ好みの国になるように命令されているが、
この国の主たる権利は確かにアメリカにある。
「この国の主権はアメリカにある」
とはつまり、
「日本はアメリカの植民地」ということであり、
そのアメリカの植民地を、
今度は中国が自分たちの自治区にしようとしているのが、
現在おかれている日本の状況である。
この事実に、
いい加減、日本男児は平和ボケから目覚めて、
一刻も早く気が付くべきである。
世界が未だに軍事力によって動いている以上、
明らかに日本とアメリカの関係は、水平ではなく、上下である。
では宗教紛争には明らかに仲裁役が必要であるというのに、
宗教紛争の主役の一国であるアメリカと日本の関係が、
「上下関係」のままで、
どうして宗教紛争の仲裁を、
我々日本が行えるというのか。
親分と子分の関係のままで、
どうして親分の喧嘩を、
対等な立場から子分が止めることができるというのか。
つまりこの宗教国家・日本を、
無宗教国家・中国から何としてでも護り抜き、
そしてこの日本をきちんとした毅然たる外交が行える
独立国家に作り変えて、
宗教紛争にピリオドを打ち、地球を守り、世界に平和をもたらす、
ここにこそ、
本物の大和魂があると言えるだろう。
言葉を変えれば、
「この国を護り、そしてさらに築き上げる先に、
世界の平和もまたある」
ということである。
日本男児たちよ、どうか知って頂きたい。
国は人生の土台であり、
国が異なれば人生が異なり、
国は我々日本国民を確かに支えている。
しかし我々の国、日本を、
中国共産党が虎視眈々と狙っていて、
そして着実に侵略され続けている。
そしてすでに我々の国は、
アメリカに何ら言い返すこのとできない、
イジメられっ子のような情けない国である。
ならば中国の脅威をなぎ払い、
アメリカからは独立して同盟関係を築き、
そして世界の平和のために貢献することなど、
当然のことであり、
そのために今、努力することなど、
人間として、
そして日本男児として当然のことではないだろうか?
ありあまる力を、リングの上でぶつけ合うのも良いだろう。
酒に酔ってクラブで喧嘩するのも良いだろう。
平和で何もやることのない時代であるならば・・・
しかし中国共産党が、
あまりにも、あまりにも、巧妙で、狡猾であるために、
なかなか気づきづらいが、
悲しいことに、確かにこの国は今、
戦争状態であり、
そして男には国を護り、国を築くという公の使命が確かにある。
未来は決まったものではなく、
努力と堕落によって変えていくことができるのだから、
日本最大の国難 の今を生きる日本男児には、
未来を希望ある世界にするために、
確かにやらねばならないことがある。
ちなみに、
今から数十年前に世にも稀な臨死体験をした木内氏であったが、
昨年7月にも、中国で再び臨死体験したことは、
何とも気にかかる話ではないだろうか・・・