大和魂を胸の内に秘めた方々によって、
この国は築かれ、
そして護られてきたわけだが、
そうした方々が亡くなられて、
そして霊と成られた時、
実はこの日本では、
「神」と称して祀(まつ)ってきた。
それがすでに述べているように、
神社などにみられる「神道(しんとう)」という日本独自の宗教だ。
松陰神社では吉田松陰を、
東郷神社では東郷平八郎を、
報徳二宮神社では二宮尊徳を、
そして靖国神社では第二次世界大戦で亡くなった多くの方々を、
神として祀(まつ)っているが、
しかし彼等は確かにこの日本で生きていた。
彼等は確かに生きていた生身の人間ではあるが、
しかし彼らが遺した偉大な功績を誉めたたえて、
彼らの霊を神道では、
「神々」として祀(まつ)り上げているわけだ。
つまり「上」を「カミ」と呼ぶこと、
あるいは「隠れる身」と書いて「カミ」と読むことなどから、
「上にあって隠れられている方々」に対して、
「神々」という言葉が、
この日本では用いられているわけである。
逆を返せば、
神道における死に対する考え方は、
「上に隠れる」という程度でしかないのかもしれない。
だから日本語の「神」という言葉と、
英語の「GOD」は同じ意味ではない。
このように日本で使われているこの「神」という言葉には、
多義性があり、日本語の「神」という言葉には、
あまりにも多くの意味が含まれ過ぎているわけだ。
この真相を把握していない方々が、
時に様々な誤解を生んでいるようである。
我々日本国民は、
「神々」という言葉をよく使うが、
しかし「神々」というこの言葉は、
キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の方からすれば、
実はとても聞き慣れない不思議な言葉なのである。
なぜなら彼らの神、
すなわち「ゴッド」や「ヤーヴェ」や「アラー」とは、
この天地宇宙を創造した唯一の存在であるからだ。
そのために、宇宙を創造した存在が複数いると考えたり、
あるいは複数系で呼ぶこと自体が、
実は彼等からすれば既におかしいことなのだ。
すなわち日本語では、
大宇宙を創造した存在に対して、
「神」と呼ぶこともできるし、
大和魂を持って国に尽くされた方々をも、
「神」と呼んでいるし、
さらには目には見えない木や石などを始めとする
森羅万象(しんらばんしょう)に宿るとされている
精霊などに対しても、
「神」と呼んでいるわけだ。
そして「神がたくさんいる」ということから、
日本には「八百万の神々(やおよろずのかみがみ)」という言葉があり、
そうした神々が、
「高天原(たかまがはら)」と呼ばれる霊の世界において生きており、
そしてこの国を護り、築く手助けを行っていると、
これまで神道によって伝えられてきた。
だからこそ坂本竜馬も、
「日本を今一度、洗濯いたし申し候、これ神願にて候」
と述べたわけである。
神道を今に伝えてきた古事記や日本書紀には、
天照大神(あまてらすおおみかみ)という女性を始めとする
人間味溢れた神々の物語が描かれている。
日本神話では、
まず天地開闢(てんちかいびゃく)から始まり、
まず「混沌」がある。
そこに「天御之中主之命(あめのみなかぬしのみこと)」を始めとする
三柱(さんちゅう)がまず現れる。
神道では神々を「一人、二人」などとは数えず、
「天と地を支える」という意味から、
「天御柱(あめのみはしら)」と云われ、
「一柱、二柱」」と数えるのが習わしである。
この最初に現れた三柱は、
その後、文字どおり「上にあって隠れる身」となり全く姿を現さない。
そしてイザナミノミコト、イザナギノミコトという夫婦が現れ、
数々の神々を生み出していく。
この夫婦の間から生まれた神々の中でも有名なのが、
アマテラスオオミカミとスサノオノミコトだ。
日本神話の最高神として描かれているのは、
このアマテラスオオミカミという女性神霊であり、
伊勢神宮に祀られている。
スサノオノミコトは、
父親のイザナミノミコトから海を統治するように言われるのだが、
父親の言うことを聞かずに母親に会いたいと泣きわめきく始末だった。
「スサノオノミコト」の「スサ」とは、
「荒(すさ)む」という言葉の語源とも言われているくらいなので、
生来の乱暴者であったスサノオノミコトは荒神なわけだ。
優しく我まん強い姉のアマテラスオオミカミではあったのだが、
しかし神々の住む高天原において、
あまりにも弟の乱暴、狼藉ぶりが酷いために、
とうとうアマテラスオオミカミは「岩戸」の中に隠れてしまう。
神道では、太陽神が姿を消してしまったことで、
世界は闇に包まれ、
様々な災害が起こったと伝えられている。
これに困った神々が相談して、
オモイカネノカミが一計を練った。
まず鏡と玉が作られ、岩戸の前に掲げられた。
そして続いて、
アメノウズメノカミという女神が肌もあらわに踊ると、
他の神々が一斉に笑い出した。
どんなに説得しても岩戸を開けない
アマテラスオオミカミだったが、
しかし皆の笑い声が気になり、
少しだけ岩戸の中から外を覗いてみた。
すると岩戸の外では眩しいほどの光が輝いていて、
アマテラスオオミカミはその眩しさに、
一瞬、目をくらました。
そのすきにアメノタヂカラオノカミが、
一気に岩戸を開いてアマテラスオオミカミを連れ出したのだ。
アマテラスオオミカミが見た眩いほどの光とは、
鏡に映った自分の姿だった。
これが有名な「天の岩戸隠れの物語」であり、
オモイカネノカミは知恵の神として、
アメノウズメノカミは芸能の神として、
アメノタヂカラオノカは力の神として、
今もそれぞれの神社に祀られている。
一方のスサノオノミコトは、
頭が八つ、尾も八つあり、
次々と人間を襲う八岐大蛇(ヤマタノオロチ)という怪物が出る土地を訪れ、
クシナダヒメを貰い受ける変わりに、
その怪物を退治した。
その怪物の体の中から一本の剣が出てきて、
スサノオノミコトは、
この剣をアマテラスオオミカミに献上した。
この剣は、やがてヤマトタケルノミコトが、
敵対する豪族と戦った時に用いたと伝えられ、
野原で火に囲まれた時に、
草を薙ぎ払って九死に一生を得たことから、
「草薙(くさなぎ)の剣」と呼ばれるようになる。
そしてこの草薙の剣と、
岩戸隠れの際に作られた鏡と玉と合わせて、
これらは「三種の神器」と呼ばれ、
鏡は伊勢神宮に、剣は熱田神宮に、玉は皇居に安置されている。
そして天皇陛下とは、
天照大神(あまてらすおおみかみ)の子孫にあたる方であり、
三種の神器を受け継いでいる方であり、
八百万の神々を祭祀する
神道の最高神主に値する存在であり、
キリスト教でいうならば、
ローマ法王のような存在であり、
つまりは宗教家だ。
そして昭和天皇が崩御(ほうぎょ)された時も、
実はその僅か三時間後には、
三種の神器を引き継ぐ「承継の儀」が執り行われたほどである。
なぜなら三種の神器を引き継いでいることこそが、
天照大神の子孫である証であるからだ。
だからキリスト教がローマ法王に対してではなく、
父(創造主)と子(イエス)と精霊といった
「三位一体(さんみいったい)」を信仰しているように、
神道も天皇陛下といった人間や、
あるいは明治維新以降に、
漁船の旗をもとに作られた日の丸といった
国旗を祭祀するのではなく、
宇宙を創造した神、
日本に尽くされた神々、
森羅万象に宿るとされている神々を祭祀している。
すなわち神霊を祭祀するのが、
本来の神道の真の姿であり、
神主という存在は、
地上の人々と八百万の神々の仲介者的立場であり、
そして天皇陛下はその神主という仲介者の中でも、
最高の権能と権威を持っているわけだ。
ここがこの日本という国の面白いところなのだが、
この国は天照大神を始めとする歴代の天皇・宗教家には、
常に「権威」があり、
そしてその一方で、須佐之男尊をを始めとする
歴代の将軍や関白といった天下人・政治家には、
常に「権力」があった。
つまりこの日本という国は、
権威と権力が常に二つに分かれてきたのだ。
たとえば明治維新の際、維新の志士たちは、
江戸幕府を倒すにあたって、
天皇という存在が必要不可欠だった。
なぜなら実は倒幕勢力よりも江戸幕府のほうが、
まだ力があったからだ。
そこで倒幕勢力は天皇の錦の御旗(みはた)を掲げた。
錦の御旗というのは、この日本において、
朝敵、つまり天皇に敵対する勢力を、
討伐する時に掲げる軍旗のことである。
これはこの天皇という存在と日本の歴史をよく知らない人には、
なかなか理解し難いことだが、
たとえばGHQが日本にやって来た時も、
天皇陛下が「戦争は終わり」と言ったことから、
日本は一瞬にして戦争状態を終えた。
それはやはり
権威と権力が二つに分かれていたからこそ、行えたことである。
しかし一方のイラクなどでは、
たとえフセインがアメリカに捕まっても、
各地で争いが続いたのは、
権威と権力が一つであるために、
誰も国民を止めることができなかったわけだ。
だから倒幕勢力が錦の御旗を掲げると、
今度は江戸幕府が朝敵となってしまったために、
当時の徳川将軍・慶喜は戦争を行わずに江戸に帰ってしまった。
こうして明治維新は成功したのだ。
このように常に天皇が権威を持ち、
常に天下人が権力を持ち、権威と権力が二分されている、
という何とも変わった形態が日本にはあるために、
日本には外国にいるような独裁者が生まれなかったし、
そして日本が外国に遅れを取っている時は、
権威でもって権力を押さえ込んで、
速やかに国を発展させることができた、とも言えるわけだ。
つまりこの日本という国は、
天皇(宗教家)と天下人(政治家)によって、
権威と権力を二分しながら、
これまで国造りを行ってきたわけだ。
そして現在、神社本庁に登録されている神社の数は約八万社で、
実はこれは、日本にあるコンビニエンスストア約4万軒の約二倍の数だ。
もちろんその神社の規模は、
大きなものから小さなものまで様々だが、
しかしこれほど小さな国に、
それだけの宗教の建物がある国は、
世界広しと言えども、実は日本だけである。
そしてその八万の神社が、
八百万の神々を祀っているわけだ。
こうした事実を見れば解るように、
他にはなかなか類を見ないことだが、
実はもともと日本という国は、宗教国家なのだ。
現代の日本は、
宗教が隅に追いやられているために、
大和魂も失われ、
「日本は宗教国家である」と聞かされれば、
多くの人が驚かれることだろうが、
しかしこれはどう考えても、
日本が宗教国家であることは歴史的事実である。
日本が宗教国家でなくなったのは、
実は戦後のことであり、
ここ僅かたった七十年だけのことである。
イタリアにローマ法王庁によって統治されている、
バチカンという東京ディズニーランド(駐車場など覗く)ほどの
世界最小の国がある。
この人口数百人の世界最小国を、
大きくして、発展繁栄させた国、それが日本だ。
あの小さな国を、龍の落とし子のような形にして、
大きくして、そして発展させ、繁栄させた国、
それが神道を中心に築かれた日本であり、
聖徳太子の時代などには仏教が国教になり、
平和な時代を迎えたこともあったし、
明治、大正といったいわゆる戦前・戦中は、神道が国教になったこともある。
バチカンはキリスト教によって築かれた国であり、
そしてキリスト教が他の宗教を認めない
排他性の強い厳格な宗教であるのに対して、
神道は「和の心」を愛し、他の宗教をも認める多様性の強い寛容な宗教である。
そのためにバチカンには、
もちろんキリスト教以外の宗教は無いが、
しかし神道に個性様々な神様がたくさんいることもあって、
これまで日本は、
仏教も、儒教も、キリスト教をも受け入れていくという、
とても変わった姿勢を取りながら、
これまで進歩と調和を繰り返して歴史を刻んできた。
そのおかげで、この国では、
クリスマスを家族で祝えば、
お盆には先祖の霊を鎮め、
正月には初詣に行くという、
なんとも変わった宗教文化が築かれた。
このような国は、実は世界広しと言えども、
この日本をおいて他に存在しない。
明治維新から第二次世界大戦まで、
確かに当時の日本は神道を国教とすることで、
他の宗教を認めない厳しい時代があったが、
しかし他の宗教に対して厳格な態度を取ったのは、
実はあの時代だけであり、
神道は他の正しい宗教に対しては、
常に寛容であった以上、
やはり「国家神道には宗教的な間違いがあった」と、
そう言えるだろう。
その証人こそ、
明治に生まれた神道系の当時の新興宗教で、
当時の日本政府から大弾圧を受けた「大本教」であり、
そして大本教の聖師である出口王仁三郎氏である。
なぜ大本教が日本政府から大弾圧を受けたのか、
それは「全ての宗教は根を同じにする」という
大本教の「万教同根」の考え方と、
国家神道の天皇を異常に尊崇して、
他の宗教を認めない考え方に、
相容れないものがあったからだ。
もしくは目に見えぬ霊という神々こそを大切に祀る大本の教義と、
目に見える肉体を持った天皇という人間こそを
大切に祀る国家神道の教義に、
合矛盾するものがあったからだ。
神道系の新興宗教の出口氏が、
国家神道を否定したために、
当時の日本政府にとって、
大本教は目の上のタンコブであり、
大本教の建物はダイナマイトで爆破され、
出口氏は二度も逮捕され、
妻の出口澄(すみ)氏は長い獄中生活を送らされた。
では大本教と国家神道、
どちらに宗教的正義があるのかと言えば、
それは紛れもなく大本教であるだろう。
なぜなら天皇とは、
あくまでも神道の最高神主であり、
キリスト教でいうならば、
カソリック・キリスト教徒たちを統括するローマ法王のような立場にあり、
そしてクリスチャンたちが、
父と子と精霊を信仰しているように、
本来、神道も、
創造主、
国造りに貢献した神々、
森羅万象に宿る精霊を祭祀し、
そして惟神(かんがら)の道を歩むところに、
真実の姿があるからだ。
また神道は「和の心」を大切にしている宗教であり、
他の宗教に対して寛容であるはずなのに、
戦前・戦中は仏教やキリスト教は迫害を受けた。
しかし聖徳太子が、
仏教をこの日本に根付かせて、
法隆寺を始め多くの寺を建立し、
大仏も建立されて、
そして日本を発展・繁栄させてきたように、
神道が仏教を始めとする他の宗教を迫害、
あるいは弾圧するということは、
それは明らかに間違いである。
もしも神道が他の宗教を迫害、弾圧すると言うならば、
それはこれまでの日本の歴史と伝統と文化を否定していることになり、
そして神道の心を踏みにじる行為に他ならない。
そうである以上、
大本教と大日本国政府、
この二つはともに神道を重んじてはいるが、
しかし
「紛れもなく宗教的正義は、大本教にあり、間違いは大日本帝国にあった」
と、そう言い切ることができるだろう。
古事記や日本書紀に、
神々の神話が書かれてはいるものの、
しかし神道という宗教には、
仏教やキリスト教と違って心の教えそのものはない。
だから神道とは、
高天原の八百万の神々を祭祀して、
神への道を歩むにしても、
具体的な歩み方は説かれていないわけだ。
そこで聖徳太子は、大陸から伝わってきた仏教を重んじたのである。
つまりこれは「宗教編」で述べたが、
日本では「八百万の神々がいる」と伝えられていたために、
「仏陀は外国の神である」と考えられ、
「仏陀を悪神」と考える物部守屋と、
「外国の神でも、正しい教えを説く神」と考える蘇我馬子の間で
宗教戦争が起こったが、
しかし蘇我氏が勝利し、
聖徳太子が仏教を重宝したことで、
やがて日本は物と心の両面で豊かに繁栄して、
「これまで日本を築き上げてきた八百万の神々もまた、
仏陀の教えを学ぶべき存在であると同時に、
勇ましい八百万の神々は仏を守護する護法神である」
という解釈に変わり、
神仏習合が起こった宗教的歴史が確かにあるのだ。
しかし大日本帝国の国家神道は、
明らかにこの日本の宗教的歴史とは、
正反対の行動を取っていた。
大日本帝国の国家神道には、
国を護ろうとする勇ましい進歩的な精神・大和魂はあったが、
しかし人を思いやる優しい調和的な精神・大和心はなかったのではないか。
儒教でいうならば、
革命的な陽明学は大切にしていも、
礼儀礼節を重んじる朱子学は忘れられていたのではないだろうか。
宇宙が絶えず進歩し、常に調和しているように、
大いなる平和、大調和も、
進歩と調和の両方が大切であり、
そうした中で、「大和魂」という言葉で表現すると、
どちらかというと男性的で、勇ましく、進歩性を帯び、
その一方で、「大和心」と表現すると、
どちらかというと女性的で、優しく、調和性を帯びている雰囲気があるが、
大日本帝国は悲惨な戦争状態の中にいたために、
女性的な大和心を失ってしまったと言えるだろう。
しかし紛れもなくこの神国日本は、
天照大神という女性神霊を、
太陽のごとく仰いで中心に据えてき国である。
そうである以上、
女性的な調和性を神道が失ってしまったことは、
世界規模での戦国時代であるために、
仕方の無い部分は相当あるが、
しかしやはり国家神道は間違っていた、
とそう言い切ることができる。
まぁそれが心の教えがない神道の限界でもあるのかもしれない。
そして天照大神を始めとする八百万の神々ではなく、
最高神主であり権威である天皇ばかりを、
過剰なまでに崇拝し、
ただの船の旗であった日の丸を過剰に大切にする一方で、
他民族に対しては、
「チャンコロ」とか、「チョンは出て行け」などと言葉を吐き捨て、
礼儀礼節を欠き、
愛国心というよりも執着にこそ近い、
大和心を忘れてしまった間違った神道の流れは、
戦後になっても、
そのまま現代の一部の日本人の中に、
今も残っていると言えるだろう。
神道という宗教が、
大和魂、あるいは大和心を持った「霊」を
神として祀る宗教である以上、
日本人の肉体の中に、
あるいはDNAの中に、
大和精神があるのでは決してないのだから、
他の民族や文化を蔑むようなことは、
明らかに間違いである。
その証拠に、靖国神社には
台湾や朝鮮半島出身の戦没者も、
数多く「神」として祀られている。
そうである以上、
他民族や多文化を平然と蔑む日本国民は、
一刻も早く調和性を持った大和心を取り戻すべきである。
つまりこの日本は、
「神道に対する宗教改革が必要である」
ということだ。
しかしその一方で、
これまで天皇陛下が日本の最高神主であり、
日本の権威であるために、
日本に独裁者が出現することを阻み、
そして明治維新の時のように天皇の権威によって、
時代を一気に進めさせることもあれば、
実際の政治はほとんと行っていないにも関わらず、
「天皇は戦争の責任を取れ!
天皇正反対!」と、
頑なに天皇を責め続けている人々も、
やはり明らかに、
天皇と日本に対して知識不足と言えるだろう。
それにそうしたいわゆる左翼と呼ばれる人々は、
とくに宗教の意味と恩恵を忘れていることがあり、
「宗教はアヘンである」
などと真剣に考えていることさえある。
しかし何度も述べているように、
宗教は教育と文明の原点である以上、
この日本は
「宗教に対する意識改革が必要である」
ということだ。
またあまりにも若者を始めとする日本国民は、
政治というものに対して関心が薄く、
国家や政治なんてどうでも良いと考えていることさえある。
そのために中国に対する危機感など、
まったくと言って良いほど持っていない、
というのが現状だ。
そうである以上、
「日本国民の政治に対する意識改革も必要であり、
中国共産党の日本侵略の真実を、
きちんと教えてあげて、
彼らを平和ボケから目覚めさせてあげる必要もある」
と、そう言い切ることができるだろう。
すなわち、
「神道に対する宗教改革」
「日本国民の宗教に対する意識改革」
「日本国民の政治に対する意識改革」
「日本国民を平和ボケから目覚めさせる」
この四つが、
今の日本には必要不可欠と言えるはずだ。
政治的な考え方によって、
右も左もそれぞれあるだろう。
伝統や文化を護ろうとする保守、
時代を進め、国を発展させていこうとする革新、
それぞれがこの国で努力されていることだろう。
しかし聖徳太子は保守でありながら革新でもあった。
それは明治維新の志士たちにも、まったく同じことが言える。
維新志士は、明らかに保守革新だ。
文化や伝統や歴史を大切に守りながらも、
時代を進め、国をさらに発展させていくことは、
手段さえ間違えなければ確かに可能であることなど、
すでにこの国の歴史が幾度も証明しているではないか。
保守と革新は決して完全に矛盾するものではく、
手段さえ正しく、
マルクス主義など選ばなければ、
「保守革新」ということは可能であることを、
すでにこの国の歴史が我々に教えている。
しかし右と左が、いつまでも争い、いつまでもいがみ合い、
そして一つにまとまることがなければ、
この国は確実に滅んでしまうだろう。
なぜならすでに何度も述べているように、
中国共産党の日本侵略は始まっているからだ。
日本男児よ、どうか平和ボケから目を覚まして頂きたい。
真実の大和魂を蘇らせて頂きたい。
そして何としてでも、
この美し国を護り抜いて頂きたい。
右と左が手を結び、
そして共にこの国を護り、
さらにこの国を発展繁栄させていく中に、
真実の大和魂があるのではないか。
そして右と左を結びつけるもの、
それこそ、
「神道に対する宗教改革」と、
「日本国民の宗教に対する意識改革」
であると、私はそのように思う。
つまり我々日本国民が、
政治に対する意識改革を行い
国の大切さに気がつき、
そして平和ボケから目を覚まして、
自分たちの国を中国共産党から護ろうと立ち上がり、
さらに神道に対する宗教改革と、
日本国民の宗教に対する意識改革が行われていった時、
この国の民は一つにまとまって、
国は護られ、さらに発展を遂げていくいくのだと私は思う。
だらこそ私は、
自分にできることなら何でもやろうと思い、
このブログを書いている。