臆病者と卑怯者の集団と化した日本男児 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

常々、このブログの中で、
「国は人生の土台である」ということと、
そして「日本は今、最大の国難を迎えている」
ということを訴え続けてきた。


もし真剣に私のブログを読んで下さっている方がいれば、
きっと理解して頂けたことだろう。



また
「男には、個人の責任と使命の他に、
 国を護り、国を築き上げるという、
 公の責任と使命もある」
とも述べてきた。



それを踏まえて、あえて私は言おう。



「自分は国に支えられ、
 人生を過ごしているにも関わらず、
 この日本最大の国難の時に、
 何もせず、
 立ち上がらず、
 じっと座していることは確かに卑怯なことであり、
 マスコミにも罪があり、
 中国共産党も狡猾であり、
 こうした様々な諸事情によって、
 仕方の無い部分もあるが、
 しかし今、日本国民は、
 知らぬ間に卑怯者になっているのではないか?
 それで良いのか、日本の同胞たちよ!」


ということである。



黒船が来航して日本の一大事となった時、
吉田松陰はじっとしてはいられず、
死を覚悟で黒船に密航しようと企てた。


一説には、
見聞を広めて欧米列強に植民地にされることのない、
そんな日本を造り上げるためとも、
また一説には、
ペリーを暗殺するためとも言われている。


しかし松陰の密航は失敗に終わった。


そして江戸に護送される途中、
松陰は泉岳寺を通り過ぎる際に、
赤穂浪士四十七士と自分を重ね合わせたのか、
次のような句を詠んでいる。


「かくすれば かくなるものと知りながら
 已(や)むに已まれぬ 大和魂」
密航などしようとすれば、
この様な結果になってしまうだろうと、
自分でも十分に分かっていたけれども、
しかし私のこの熱い「大和魂」だけはやむことが無かった、
松陰はそう詠んだのだ。


高杉晋作は師である吉田松陰に、
「男子とはいかなる時に死ぬべきであるのか」と、
そう問うたことがある。


そして松陰はこう答えた。


「死して不朽(ふきゅう)の見込みあらばいつでも死すべし。
 生きて大業(たいぎょう)の見込みあらばいつまでも生くべし」と。


つまり松陰という方は、
自分の教え子たちに、
「男子というものは、いつ死ぬかを問題にするのではなく、
 公のためにいつでも死ねる覚悟を決めて、
 大業を為す努力を全力で行って生きろ」
と、そう教えたわけだ。


また吉田松陰は、
「かけまくも 君(きみ)の国だに安かれば
 身を捨(す)つること 賤(しず)が本意也(ほいなり)」
とも詠んだ。


つまり「この国が安らかで栄えれば、
 私の命は捨てることも本望である」
と、彼はそう詠んだわけである。


その一方で、松陰は自分が処刑される前に、
こんな詩を詠んでいる。


「親思う 心にまさる 親心
 けふの音づれ 何ときくらん」


つまり
「私が両親を思っている以上に、
 両親は子の私を思って下さっている。
 だから今日の私の処刑の知らせを聞いたら、
 果たしてどれほどに悲しまれるのだろうか」
と、そう詠んだわけである。


この詩からも分かるように、
この国を築いてきた方々は、
決して死に急ぐ変人や狂人などではなかった。


彼らにも親がいて、友がいて、愛する人がいて、
「もっと生きたい」と願う、
我等と同様に普通の人間であった。


しかし真の大和魂を持った彼らは、
死に急ぐわけではなくとも、死を覚悟で、
時には駄目もとであろうとも、
その己自身の持つ優しさと勇ましさによって、
公と義のために生き抜いた。


大いなる平和を求めて闘う精神、大和魂、
この大和精神には、
人を愛し、国を愛し、神仏を敬う心、
そして勇気が欠かせないが、
しかし本当の勇気というものは、
死を覚悟したところにある。


戦国時代の武将たちにしても、
明治維新の志士たちにしても、
靖国の英霊たちにしても、
皆、共通して言えることは、
中途半端な生半可な覚悟などではなく、
全身全霊でもって天下国家のために闘い、
そして死を覚悟していたことである。


また明治維新の最中で死んでいった坂本竜馬にしても、
彼はこういった言葉を遺している。


「人は事を成すために生まれてきた。
 しかしこんな時代だ。
 ドブの中で死ぬこともあるだろう。
 だがたとえドブの中で死のうとも、
 前のめりで死んでいこう」
と。


これらの遺された詩や言葉を見ても分かるように、
大和魂を持っていた彼らは、
現代の大多数の人とは明らかに異なっている点がある。


それは「人生観」だ。


つまり大和魂を持つ彼らと、
そして現代の一般的な人々とでは、
「どのように人生を生き抜いていくか」
ということについての考え方が、
全く異なっているわけだ。


なぜなら明らかに彼らは、
自分の命も、
自分の名も惜しいとは思っていないからだ。


現代人の多くが、
自分の生命を第一に考え、
そして己の名誉を考えて生きているが、
彼らは一般的な現代人とは、
全く異なる人生観を持っているために、
名誉など望まず、
生命も省みずに、
天下国家こそを第一に考えて戦い抜いた。


つまり大和魂を持って戦い抜く人と、
大和魂を持って戦わない人とでは、
実は人生観が全く異なる、
ということが言えるわけだ。


では彼らと現代の一般的な人々と、
その人生観を分けたものが何かと言えば、
それは「死生観」だ。


つまり彼らは「死」と「生」に対して、
現代の一般人たちとは、
全く異なる考え方を持っているわけだ。


江戸時代中期に、
「武士道と云(い)は死ぬことと見つけたり」
と主張された方がいたが、
大和魂を持つ偉大な彼らと、
一般的な現代人たちとでは、
「生きる」ということと、
そして「死ぬ」ということに対して、
全く異なる考え方を持っているために、
「不朽の見込みがいつでも死ぬべし」とか、
「ドブの中でも前のめりで死んでいこう」とか、
そういった発想が彼らから出てくるわけだ。


現代人の多くが、
「絶対に何が何でも死にたくない。
 前のめりでもドブの中で何か、絶対に嫌だ」
と、考えているだろうが、
しかし「死生観」というものが異なっていると、
考え方が変わってくるのである。


つまり、
「真実の大和魂を持つ人は死生観が違う」
と言えるわけだ。


ではなぜ、
現代の大多数の人々は、
この国をこれまで築き上げ、
護り抜いてきた先人たちとは全く異なる死生観を持っているのか。


言葉を返せば、
なぜ最近の大多数の日本男児は、
死を少しも覚悟して戦っていないのか。


もっと厳しい表現をすれば、
なにゆえに日本男児から勇気が無くなり、
この国に侍のような、
あるいは武士のような男が消え去り、
いつから日本の男どもは軟弱となりってしまったのか。


「日本の男たちから勇気が無くなり、軟弱になった」
ということは、
それは紛れも無く
「いつからか日本の男たちが、卑怯者となり、
 命の使い方が消極的になって、
 かつての吉田松陰たちのように命を大胆に使わなくなった」
ということだが、
ではどうして現代の日本の男たちは、
命の使い方が大胆ではなくなったのか?


なぜ、かつて「大和」と呼ばれ、
そしてこれまでこの大和の国を築き上げ、
護り抜いてきた大和魂が無くなってしまったのだろうか?


かつてこの国に生きる男たちは、

義に生きることを美徳とし、

卑怯を何よりも憎み、

そして大義のために死さえ覚悟したわけだが、

いつから、

この国の男たちは、

卑怯者になり下がり、

そして臆病者になってしまったのだろうか。