では世界には、自由も無く、平和も無く、
繁栄も無い国を人生の土台として生きている人々が大勢いる一方で、
なぜ、我々日本人は、
自由があり、平和があり、繁栄があるこの日本という国を、
人生の土台にして生きていくことができるのか、
ということを考えると、
それはかつての日本には、
他の国々には類を見ない、
素晴らしき精神が根付いていたことが自然と分かる。
その素晴らしき精神こそ、
日本が「和の国」と呼ばれるように、
「和の心」である。
聖徳太子が十七条憲法の第一条で、
「和を以て貴しと為し」と述べたように、
この国は昔から「和」というものを重んじる国だった。
「和」というのは平和の和であり、
調和の和であり、家族の和、友人同士の和、
企業の中の和、社会の和、そして世界の和、
心の和、「和」には様々な和がある。
では「和」とは何かと言えば、
「秩序」のことである。
日本は秩序と礼儀礼節を大切にしてきたのだ。
そして秩序が崩壊している状態のことを、「混沌」と言う。
そして「平和」という言葉を、
「和が平らである」と書き、
「調和」という言葉が、
「和が調(とと)っている」と書くように、
秩序が平らかで調っている状態のことを、
平和とか、調和とか表現する。
だから「平和の反対は戦争である」などと表現することがよくあるが、
これはある意味において間違った表現だ。
なぜなら日本は今、
軍事的な戦争は行われていないが、
しかし確かに心貧しい時代き、
自殺者は年間に三万人を超し、
猟奇殺人や無差別殺人さえ起こるばかりか、
中国から情報による戦争を仕掛けられて、
これからチベットやウイグルのように国としては消滅しかねないからだ。
つまり現時点の日本は、
すでに混沌としていて、そしてこれから先、
さらにより一層、混沌としていきかねないわけである。
そうである以上、今、この国に必要なのは秩序を愛する心であり、
和の心に他ならない。
つまり日本人がかつては持っていて、
そして今では失ってしまった和の心、
その心を今こそ我々日本人が取り戻さなければならないのだ。
では「和らぎの心」とは、
果たしていかなるものであるのかを考える時、
それは、
「一人一人がいかにすれば秩序(和)が創造されていくか」
ということを考えると、自然と明らかになると言えるだろう。
この「秩序(和)」というものは、
一人一人の人間が「礼儀礼節」を重んじることから、
創造されていくと言える。
もしくは「礼儀礼節」を軽んじる中に、
「秩序(和)」はないとも言える。
なぜなら海賊の様に一人一人が、
「礼儀礼節」を重んじずに、
傲慢無礼な行動をしていたら、
暴力によって上から押さえつけでもしない限り、
「秩序(和)」が生み出されることなどありえないからだ。
そして暴力によって上から押さえつけることで生み出される、
そうした見せ掛けの「秩序(和)」は、
簡単に上下が入れ替わる下克上の殺伐とした世界であり、
「恐さ」が無いと足下をすくわれる虚しい関係であり、
その中には、
上にいる者にとっても、下にいる者にとっても、
心の安らぎなど存在しないと言えるだろう。
中国で生まれた儒教も、
非常に礼儀礼節を重んじていたが、
その儒教の祖である孔子という方は、
弟子に
「人間にとって一番大切なことを、一言で言えば何か?」
と問われて、
「それは恕(じょ)である」と答えた。
「恕(じょ)」というのは、「思いやり」のことだ。
そして孔子は、さらにこう続けた。
「己の欲せざるところ、人に施すことなかれ」
これは
「自分がして欲しくないことは、他人にも行ってはならない」
という意味だ。
つまり「秩序(和)」を生み出していく、
本当の礼儀礼節というものは、
「自分がして欲しくないことは、他人にも行ってはならない」
という「思いやり」をもとに、
自然に生み出されるものであるわけだ。
これはすなわち、
礼儀礼節というものは、
形式とか、儀式とか、義務などから、
無理矢理に生み出されるべきものではなく、
相手や世の中に対する「思いやり」とか、
「優しさ」とか、「感謝」とか、
そうした「愛(恕)」を基にしてこそ、
生み出されるべきものであるわけだ。
もちろん、
この儒教の礼の思想・精神と対立する思想・精神も存在している。
それが老子という人によって始まった道教である。
老子は
「礼作法など国によって異なるのだから、
そんなものは大切にしなくてもよく、
人は無為自然に、計らい心を捨てて、
何も為(な)さず、あるがままに生きていけば良い」
と考えていた。
確かにこの道教の考え方も、素晴らしい考え方だが、
しかしこの無為自然の考え方では、
国難を打破することもできなければ、
世界で飢えに苦しむ人々を救い出すこともできない。
やはりこの和の国、礼の国、日本には、
人に対する思いやりを持って、
和を大切にして礼儀礼節を重んじる心が大切と言えるだろう。
トロイア遺跡の発見で有名なシュリーマンが、
幕末から明治にかけて日本を訪れた時、
彼は税関の荷物検査を免除してもおうと、
役人に幾らかの賄賂を差し出した。
すると日本の役人は、
きっぱりとこう言い切ったそうだ。
「日本男児たるもの心ヅケにつられて、
義務を蔑ろにすることは尊厳にもとる」
おかげでシュリーマンは、
荷物を開けなければならなかったが、
しかし彼は役人から言いがかりをつけられるどころか、
簡単な検査だけで満足してもらったという。
そしてシュリーマンはこう述べた。
「日本人は大変好意的で親切であり、
また彼等の最大の侮辱は、
たとえ感謝の気持ちからでも現金を贈ることである」
このように現代の日本では考えられぬことだが、
日本にはかつて、
「むやみに現金を受け取ることを恥とする心」があった。
その一方で、かつて戦国乱世の時代、
甲斐の武田信玄は敵対関係にあった今川家から、
領内に塩を持ち込むことを封鎖されてしまった。
海の無い武田からすれば、これは死活問題だった。
ある程度の貯えがあったものの、
それも乏しくなると領民達は窮地に追い込まれた。
その話を聞いた越後の上杉謙信は、
武田信玄とは「甲斐の虎」、「越後の龍」と呼ばれ、
戦国史上最大のライバル関係であり、
「川中島の戦い」という戦国史上最大の死闘を繰り広げていたにも関わらず、
武田信玄に次の様な手紙を送った。
「闘いは弓矢でするものであり、米や塩でするものにあらず。
正面から闘う事ができないといって、
塩を差し止めるとは卑怯千万な行為。武士の恥。
我は何度でも運を天に任せて貴方と闘い、
決着を着けようと思っている。
宿敵とは全力で闘いたい故に、
必要な分だけ塩をなんとしても送り届けましょう」
そして上杉謙信は約束通り塩を送り、
武田信玄は窮地から回避されたそうだ。
また武田信玄は後年、遺言の中で次の様なことを言っている。
「謙信は義の人である。
未だかつてあの様な勇猛な武将を私は見たことがない。
だから彼とことを構えてはならぬ。
謙信は『頼む』とさえ言えば必ず援助してくれる。
断る様なことは決してしない男だ。
この信玄は大人気もなく謙信に頼らなかったばかりに一生、
彼と闘うことになってしまったが、
甲斐の国を保つには謙信と和睦して彼の力にすがるほかあるまい」
謙信も信玄が亡くなったと聞いて、次の様に言っている。
「惜しい武将を失った。名将・英雄とは信玄のことを言うのであろう。
これで関東の弓矢柱はいなくなった」
上杉謙信も武田信玄も、
決して慣れ合いをしたのではなく、戦をしていたのだ。
しかしこの和を重んじる国には、
「賄賂を受け取らず、塩を送る心」があった。
なぜなら我々人間が卑怯を憎み、
義に篤(あつ)く生きることを美徳とするからこそ、
家族や友人、企業や社会、そして世界に「秩序(和)」が築かれていくからである。
おかげで川中島の戦い以降、
上杉家と武田家の間には大きな溝があったにも関わらず、
謙信と信玄が互いに「義の人」であったために、
その溝が埋まるばかりか、
両家の間には不思議な信頼関係さえ生まれた。
もしも我々人間が卑怯を好み、
義を蔑ろにする生き方をすれば、
自然と味方を減らし、敵ばかり増やし、
自分自身を窮地に追い込んでいくであろう。
そしてもしもそんな人物ばかりが世の中に増えれば、
賄賂や詐欺が横行するような世の中となり、
「秩序(和)」は失われて、やがて世は「混沌」としていくだろう。
つまりこの国にはかつて、
「和の精神」が深く根付いていたために、
この国に生きる人々は卑怯を憎み、
義に篤(あつ)く生きることを美徳としていたのだ。
そしてだからこそ、
賄賂を受け取ることなく塩を送る心が、人々の中にあったのだ。
そしてそういった「和を重んじる心」が深く根付いていたからこそ、
そういった心を持つ方々が、
人々から慕われ、尊敬され、敵さえも味方に変えていく一方で、
義を軽んじる心を持つ者は人々から蔑まれ、
自然と敵を増やして、世の中から消えていったのである。
そして「礼」ということについて、
さらに言うならば、
自分の目の前にいる人々に対してだけではなく、
自分が直接会うことのない人々、
あるいは世の中に対しても、
思いやりを持って、礼儀礼節を重んじていった時、
自然と公共のマナーというものは守られていく。
つまり公に対するささやかな思いやり、
それがマナーを生み出していくわけだ。
たとえば空き缶のポイ捨て一つをとっても、
それを片付ける人がいるのであり、
空き缶のポイ捨てによって、
町が汚れて、景観が壊されれば、
やはりそれは悲しいことであり、
そして自然環境が壊れれば、必ず誰かが苦しまねばならなくなる。
その一方で、
直接会うことのできない人々に対して、
思いやりを持ち、礼儀礼節を重んじていった時、
人は空き缶のポイ捨てさえもできなくなり、
自然と公共のマナーというものは守られ、
自然環境さえも守られていく。
しかし北海道から沖縄まで、
この日本を見渡してみれば分かるように、
公共のマナーは破られ放題だ。
あるいは詐欺や偽装や賄賂が、日本中に溢れ返っている。
つまりかつて「和の国」と呼ばれたこの日本という国は、
自分たちの精神を失ってしまったわけだ。
かつての日本人は義を愛し、卑怯を憎むことで、
礼を重んじていたのだが、
しかしいつからかこの国は、
礼を蔑ろにする卑怯者国家と成り果ててしまった。
しかし礼儀礼節というものが、
「思いやり」から生み出されるものである以上、
日本が礼の心を失ってしまったということは、
それは我々日本人一人一人が、
「思いやり」を失ってしまったことに他ならない。
優しさを失った民、それが日本人である。
ならばこの混沌とした国に、
再び秩序を取り戻すために、
我々一人一人が、
今こそ「思いやり」を失った貧しき心を悔い改めて、
卑怯を憎み、義に厚く生きることを美徳とし、
礼儀礼節を重んじる優しき心を取り戻すべきではないだろうか。
私はかつて、
東京都内で派手に暴れまわるかたわらで、
何とも不思議なことに、
障害を抱えた方々に対する奉仕活動も行わせて頂いていたことがあるが、
そのキリスト教系のボランティア団体で、
こんな言葉を教わった。
「優しい人に出会うより、
優しい人になりなさい」
我々一人一人が、
優しい人に出会うことを求めて生きるのではなく、
優しい人に成る努力を行って生きた時、
この日本を始めとする世界は、
必ずもっと生きやすい楽しい世の中になるだろう。
和の心、それは思いやりの心であり、
優しき心である。
しかしテレビや雑誌などで、「和の心を探る」などと言っても、
所詮、それは和菓子や和服、和食を取り上げる程度で、
本当の和の心のカケラさえも無い。
今こそ和の心、優しき心を我々は取り戻そうではないか。