リメンバーパールハーバー 其の二 | 中国に侵略されている日本を護り抜け

中国に侵略されている日本を護り抜け

~この日本には、もう国を護とうろする男はいないのだろうか。武力衝突だけが戦争ではない。すでに中国共産党による情報の戦争、そして侵略は始まっている。眠っている男たちよ目を覚ませ。大和魂よ、蘇れ!そしてこの美し国を護り抜け!~

ペリー来航から約90年後、
ついに日本とアメリカは戦争することになってしまう。


もちろんそれまでのアメリカが、
戦争をせずに大人しくしていたわけではない。


1898年から1934年までの間に、
アメリカはホンジュラスに七回、
ニカラグアに五回、
キューバとドミニカ共和国とコロンビアにそれぞれ四回、
メキシコに三回、
ハイチとパナマに二回、
グアテマラに一回、
侵略戦争を行っている。


つまりほぼ毎年、
アメリカは戦争をしていたわけだ。


しかもこの間に、
第一次世界大戦が含まれている。


第一次世界大戦は、
世界各国に植民地を持っている欧米列強国が、
アジアやアフリカなどをどのように分割して、
世界を植民地支配していくか、
それを掛けて戦った戦争だ。


当時のウィルソン・アメリカ大統領は、
たてまえ上は
「民主主義のため、世界を安全なものにする」
と、
もっともらしいことを述べたが、
しかしウィルソン大統領に派遣された大使は、
次のように述べている。
「(アメリカが戦争に参加することは)
 我々の貿易上の利益を守る上での、
 唯一の方法である」
と。


こうしてアメリアは、
第一次世界大戦の戦勝国に入ることで、
きちんと分け前をもらっている。


帝国主義の時代は、
かつての白人たちが、
「自分たちこそ優れた人種だ」
と、

そんな大きな勘違いをしていたように、
実はかつての東洋人や黒人の側にも、
「もしかしたら自分たちは劣っている人種なのではないか?」
と、

そう勘違いしていた面がある。


なぜならアジアやアフリカの人々は、
白人たちからの植民地支配を、
黙って大人しく受け入れたわけではなく、
むしろ彼等は、
自分たちの自由と利益を守るために、
そして自由と利益を奪い返すために、
何度も、何度も、
武器を手にとって、
抵抗と反乱を繰り返し、
そしてその度に、
彼らは何度も、何度も、
白人たちの持つ進んだ科学兵器の前に、
屈服・鎮圧されてきたからだ。


そのために、
東洋人や黒人といった有色人種の側にも、
「自分たちが白人に勝てるわけがない」
というめの思いが、
実はあった。


そして
「自分たちは一生このまま、白人たちにされ続け、
 そればかりか、
 永遠に白人たちに従わなければならないのだろうか?」
と、

希望を失い、
諦めた想いが、
劣等感へと結びついてしまったことも、
確かにアジアやアフリカにあった。


そうした白人たちが世界を支配していく中で、
大和魂を胸に秘めた日本だけが、
その流れに抗い、戦った。


ペリーが来航した時、
当時の日本はまだ、
近代国家になってはなく、
欧米列強と肩を並べることなど、
到底できなかった。


そのために、
大和魂を持った志士たちによって、
明治維新が成し遂げられて、
日本は近代国家への道を突き進んだのだ。


そして実は当時の日本は、
世界が500年かけた進歩を、
わずか数十年でやってのけることで、
欧米列強国と肩を並べることに成功したのだ。


これは、「白人こそ優れている」
と考えられていた当時において、
世界中の人々を驚かせた。


そして1919年に「国際連盟」が作られた時、
唯一、日本だけが「人種差別撤廃」を最初に主張した。


この頃のアメリカは、
すでに黒人は奴隷からは解放されていたが、
まだ黒人が法律的に公然と差別を受けていて、
黒人専用のバスさえあった時代だ。


だから、有色人種の国・日本は、
白人たちからすれば、

「生意気なサルの国」
とられていた面が、実は相当ある。


それにキリスト教が盛んな欧米諸国からしてみれば、
「神道」という見知らぬ宗教を信じる日本は、
恐怖の対象であったことだろう。


賽銭箱に小銭を投げ入れて、
二度礼をして、

拍手を二度打ち、
さらにもう一度礼をする日本人の姿を見て、
排他性の強い彼らキリスト教徒たちは、
「日本は悪魔の宗教を信じている国」
と、

どうやら想い込んだようだ。


そして明治維新を遂げた日本が、
欧米諸国と肩を並べるどころか、
追い抜いていく様子を見て、
彼らは必要以上に恐怖にかられ、
「一刻も早く悪魔の国・日本を叩かなければならない」
と、

そう感じたのかもしれない。


また島国の日本も日本で、
付き合いの浅い欧米諸国に対して、
やはり必要以上に恐怖心を抱き、
アジアに対する支配力を、
必要以上に強めていったこともあっただろう。


この頃は、第一次世界大戦を終えて、
約二十年の月日が流れ、
ヨーロッパはヒトラー率いるナチス・ドイツの脅威が、
広がりつつあった。


しかしヨーロッパ各国は、
第一次世界大戦によって荒れ果て、
経済的にも回復しておらず、
人々の心も未だに戦争を行う気にはなれなかった。


そうしたことから、
「たとえ不名誉であろうとも」
と、

簡単にナチス・ドイツに降伏してしまった。


だからナチス・ドイツは、
ポーランドを侵攻後、
ノルウェー、デンマーク、オランダ、ベルギー、
ルクセンブルク、フランスと次々に侵攻して、
そして制圧していった。


しかもナチス・ドイツは、
人々の予想を遥かに上回るほど、残虐だった。


のちにはアウシュビッツを始め、
多くの収容所を造り、
何百万というユダヤ人を虐殺するばかりか、

フランスのオラデュールという村は、
村人の全てが殺されてしまうほどの残酷性を秘めていた。


ハリウッドの映画俳優、
チャップリンでさえも、
「独裁者」という映画を制作して、
ヒトラーとナチス・ドイツを批判したくらいであり、
ヨーロッパの残された希望は、
「イギリスのみだった」
と言っても過言ではない。


しかしそのイギリスさえも、
ナチス・ドイツに悪戦苦闘していた。


そこでイギリスの首相チャーチルは、
中立を守り続けるアメリカを、
戦争に引きずりだそうと行動にでた。


また当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトも、
もしもナチス・ドイツがイギリスを打ち破り、
ヨーロッパを完全支配するようなことになれば、
多くの人間が殺され、

悲惨な時代がヨーロッパに訪れるばかりか、
いずれはアメリカが、
ナチス・ドイツと戦わなければならない可能性があったので、
やはり本音では
「イギリスを支援して、ナチスを叩きたい」
と考えていた。


しかし当時のアメリカ国民も、
ヨーロッパの国民と同様に、
戦争に次ぐ戦争の繰り返しで、
すでに戦争に疲れ果てていた。


しかもルーズベルト大統領は、
すでに大統領を二期も務めて、
幾度も戦争を繰り返していたことから、
「戦争屋」などとあだ名されてしまっていたのだ。


そのために、
彼は三度目の大統領選挙で当選するにあたって、
「戦争は行わない」と、国民に約束していた。


ちなみにアメリカ大統領を四期も務めたのは、
このフランクリン・ルーズベルトだけである。


しかしルーズベルト大統領は、
ナチス・ドイツの脅威を敏感に感じ取って、
イギリスのチャーチル首相に対して、
アメリカが戦争に参加して、
イギリスを支援することを、
アメリカ国民に内緒で約束してしまう。


当時の財務長官の日記にも、
ルーズベルト大統領が、
「私はナチス・ドイツとの戦争に勝つためなら、嘘だってつく」
と語ったと記されている。


このように、
当時のアメリカのルーズベルト大統領は、
悪魔のように世界を破壊し続けるナチス・ドイツと戦争を行うために、
まずアメリカ国民に嘘をつき、
そしてアメリカ国民を納得させる必要があった。


そのために、
ルーズベルトはヨーロッパで起こっている戦争に参加するために、
「いつかナチス・ドイツが攻めてくる」
と、国民の恐怖感をあおり、
そしてナチス・ドイツに対しても挑発を続けた。


しかしナチス・ドイツもなかなか狡猾で、
アメリカの挑発には一切乗らなかった。


そうした中で、
アメリカが目をつけたのが、
悪魔の宗教を信じている生意気な黄色いサルの国・日本だった。


なぜなら当時の日本は、
ナチス・ドイツの残酷性を、
きちんと見抜けずに、
同盟を結んでしまっていたからだ。


もちろん当時の日本は、
世界に「人種差別撤廃」を訴えるくらいだから、
ナチス・ドイツのユダヤ人迫害に対して、
きちんと反対していた。


その証拠に、
当時の日本政府は、
上海や満州でユダヤ人を保護していたくらいであるし、
杉原千畝(ちうね)という方も、
六千人ものユダヤ人にビザを発行して、
日本に入国させて、

ナチス・ドイツから助けたりもした。


しかし「ソビエト連邦」という共通の巨大な敵に対して、
「敵の敵は味方」という発想から、
日本は独裁者ヒトラー率いるナチス・ドイツと手を組んでしまったのだ。


人種差別意識の強い時代背景の中で、
日本が独裁者ヒトラーと手を結んだことは、
かなりのマイナスイメージとなったことだろう。


そしてアメリカは、
挑発に乗らないナチス・ドイツではなく、
ナチス・ドイツと同盟を結ぶ日本に目をつけて、
戦争を開始するように仕組んだ。