私は、いわゆやる「占術オタク」なので、この44年間に古今東西の様々な占術を研究して来ました。
 その中で、やはり最も的中率が高く頼りになるのは「四柱推命」だと考えています。
従って、現在でも鑑定をする時は、四柱推命をメイン占術として実施しています。
この占術に魅せられたため、44年間も検証・研究を続けてしまう事になりました。

 しかし、四柱推命で100%その人の運命や運勢が全てわかるかと言うと、そんなに甘くはありません。四柱推命は、その人の「細かな性格・特性」や「毎年の運勢」はかなりの確度で鑑定する事ができますが、その人の人生の「大きな運型(アウトライン)」を描くのは若干苦手なところがあります。

 そのために、私は他の占術を併用しています。特に、その人の人生の運型(アウトライン)を鑑定するには、主に「天地気学占」を併用します。天地気学占は、気学と数理易学をベースにして、私が独自につくりあげた占いです。
 その他、古代マヤ暦占や紫微斗数、西洋占星術、宿曜占も、使うケースも多いです。
これらのいくつかの占術を総合すると、その人の運命の全貌にかなり迫る事ができます。
 
 所詮、人間は神ではないので、運命の全てを完全に把握する事はできません。
 だからこそ人間は、何千年にもわたり様々な占星術を発明して、少しでものその全貌を把握したいと努力・研究を脈々と続けて来ました。

 私は、人間がある人の運命を解明する姿を思うと、とある諺を思い出します。
 
『群盲象を評す』という諺です。
 
盲人が、象のそれぞれの部分を触って、像は「長い」とか「太い」とか「細い」とか言い合うのです。
◆群盲象を評す - Wikipedia

 つまり、ある占術だけでは、その人の運命のごく一部は見れますが、全てをみる事は不可能だということです。しかし、いくつかの占術を組み合わせると、かなりの部分を把握する事ができます。
 また、各占術には、それぞれ得意・不得意とする部分があります。従って、私はある特定の占術を否定する事はありません。これらの占術を組み合わせて、少しでもその人の運命の全貌に迫る努力をするのが、本当の占い師だと思っています。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。






天中殺のロイヤルストレートフラッシュの例で、過去に調べたケースで、最も印象に残っているのは、「日本の終戦日」です。

当時の日本は、「天皇主権型国家」でしたので、日本の最高権力者は「昭和天皇」となります。
主権在民は戦後の事です。
最高権力者の運気は、やはりその国家の浮沈に影響があると考えています。
社長の運気が、会社自体の浮沈にかかわるのと同じです。

昭和天皇 – Wikipedia

昭和天皇の命式[申酉天中殺(空亡)]出生地東京
生年月日1901年4月29日22時10分

生年 辛丑己 偏財 食神 墓
生月 壬辰戊 正官 傷官 衰
生日 丁丑己 □□ 食神 墓
生時 辛亥壬 偏財 正官 沐浴

大運(逆運) 8辛卯18庚寅28己丑38戊子48丁亥58丙戌68乙酉78甲申88


【終戦の日】(44歳)
1945年8月15日
大運 戊子 傷官
年運 乙酉 偏印 天中殺(空亡)
月運 甲申 印綬 天中殺(空亡)
日運 丙辰 劫財

大運は、「傷心」と「孤立」を示す「傷官」大運のど真ん中の、
空亡年の空亡月の時に、ポツダム宣言を受諾、無条件降伏となる。
この日、ラジオから、玉音放送が流れる。
この日放送された言葉で、「堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ビ」というフレーズは有名です。
玉音放送 – Wikipedia


この終戦日は、年と月は、天中殺(空亡)だけと、日は天中殺(空亡)ではないではないか?
とおっしゃる方がいるかもしれないが、ここからが実は恐ろしいのです。


昭和天皇は、この日の前の8月8日に、天中殺のロイヤルストレートフラッシュの日を迎えておられます。
この、どん底の運気一連の流れに起こった事を示すと、

●[丁未日]1945年8月6日広島市への原子爆弾投下 - Wikipedia

●[戊申日]天中殺(空亡)1945年8月7日 年・日の天中殺(この日は、月は節入り前なので厳密には未月です)
●[己酉日]天中殺(空亡)1945年8月8日 年・月・日の天中殺のロイヤルストレートフラッシュ(この日はソ連の対日参戦宣言日でもある)

●[庚戌]1945年8月9日長崎市への原子爆弾投下 - Wikipedia

となります、つまり、天中殺のロイヤルストレートフラッシュの8月8日を挟むようにして、日本に、世界で初めての原子力爆弾が投下されました。
この日間、昭和天皇はどのような、お気持ちで過ごされたのでしょう。
多分、皇居の地下の防空壕施設にて頻繁に御前会議が開かれた時期と重なるのかもしれません。
昭和天皇の人生の中で、広島の原爆の投下日から終戦の日までの期間が、人生で最悪の運気であった事は、間違いないかと思います。
 そして国中は焦土となり、「空亡」つまり、虚しく滅んだのです。

戦後は、主権在民となり、天皇の国家に及ぼす影響力は、当時とは全く異なったものとなりました。従って現在の平成天皇の運気が国運に及ぼす影響力は、戦前よりは、かなり少なくなっていると個人的には推測しています。

また、天中殺が重なる時期でも、『陽転』しているケースもあるので(例えば「ノーベル賞受賞」など)、様々なケースを今後このブログでアップしていきたいと思います。
最後まで、お読みいただきありがとうございました。


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徳川家康の命式 
を四柱推命で見てみます。

◆徳川家康 - Wikipedia

【辰巳天中殺(空亡)】
 愛知県岡崎生まれ

【誕生日】
(旧暦)天文11年12月26日寅時
(ユ暦)1543年1月31日寅時
(グ暦)1543年2月10日寅時

生年 癸卯甲 劫財 食神 死 
生月 甲寅戊 食神 偏官 病 
生日 壬寅戊 □□ 偏官 病 
生時 壬寅戊 比肩 偏官 病 

大運(逆運) 2癸丑12壬子22辛亥32庚戌42己酉52戊申62丁未72甲午


【命式批評】
日主の壬は、立春直後の寅月に生まれ、さらに三つの寅と卯支が、木の方半合を形成して、重身弱となる。さいわい、大運が北西金水運を歩むので前途洋々たるものあり。
この命式は、月干の甲木食神が最も強いので「食神格」となっている。また、月令・日令・時令に偏官三位を有して「食神制殺」と呼べないこともない。偏官は武官を表す。まさに大軍隊を掌握する「将軍」にふさわしい命式である。その一生をみるに、重身弱であるので、金水運を吉とし、火土運を凶とする。
 この命式は、大河が流れる湿原に大木がうっそうと林立している「関東平野」そのものを表現しているような命式である。家康は、まさにその関東平野を根拠地として、江戸幕府を創立する。


【性格】
日柱壬寅は干支№39番。飾り気の無い態度と、あっさりとした嫌味の無い性格が特長。
鷹揚にみえて、短気なところもあり。
しかし、いつも思慮深く抑えている。哲学的な思索力もある。感受性ゆたかで独特なものの考え方をする個性派です。警戒心が強く、保守的で、自己防衛の本能に優れている。堅実に手堅く実績を積み上げていくタイプ。教育や指導者的な仕事で能力を発揮します。



【関が原の合戦】天下分け目の戦い(57歳)
(旧暦)慶長5年9月15日
(グ暦)1600年10月21日
大運 戊申
年運 庚子
月運 丙戌
日運 乙卯

政敵石田三成との対立がいよいよ深まり、ついにこの日、天下分け目の戦いとなる。「関が原の戦い」である。この時期の吉凶を四柱推命でみると、大運・年運が半合水局と化し、吉気水・金が旺じて吉となり、石田三成西軍を打ち破る。ここに、徳川幕府成立の基礎が固まることになる。



【病死】(73歳)
(旧暦)元和2年4月17日巳時
(グ暦)1616年6月1日巳時
大運 甲午
年運 丙辰 空亡(天中殺)
月運 癸巳 空亡(天中殺)
日運 丁巳 空亡(天中殺)
時運 乙巳 空亡(天中殺)

五行をみても、凶気の火・土気が旺じている。
この日、一説では、鯛の天ぷらの食べ過ぎが原因で病死とされているが、体もかなり衰弱していたと推測される。
さらにこの時は、天中殺も「年・月・日・時」と重なり(私はこれを、天中殺のロイヤルストレートフラッシュと読んでいます)、死期を迎えます。 

また、私は、徳川家康の、西洋占星術のホロスコープと、紫微斗数の命盤も出していますが、これも非常に興味深いものでした。機会があれば、ブログにアップしたいと思います。 


※上記の、(ユ暦)とはユリウス暦換算、(グ暦)とはグレゴリオ暦換算の年月日を表します。

 
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