自分用の備忘録です
国道417号
橋&トンネル名
41 小津瀬もるぞ橋
「小津瀬もるぞ橋」の名は、「段木流し」ゆかりの地名である小津瀬とオオカミの民話に因んで名付けられています。
昔この辺りには、熊や狸、狐、にく(カモシカ)、猿などがたくさんいて、里に降りてきては庭の柿を採ったり、畑の作物を盗んだりしました。
中でも「オオカミ」は怖い存在で、ある大雨の日におじいさんとおばあさんを襲おうとしましたが、おじいさんが「もるぞ、もるぞ大変じゃ、トラ・オオカミよりも、もるぞおそろしや」と言うのを聞いて、これは大変だと一目散に山へ逃げ帰ったということです。
42 小津瀬くらしし橋
「小津瀬くらしし橋」の名は、「段木流し」ゆかりの地名である小津瀬とニホンカモシカの民話に因んで名付けられています。
段木は、殿木とも言われた炊飯用の薪で、川に流した段木を年貢として下流に届けるのが、つだ狩の仕事でした。しかし、岩壁が直立する揖斐川は激流であり、つだ狩の人々は川に入ることが出来ず、尾根道を越えてやっと流れの緩やかな大津瀬・小津瀬にたどり着いたのでした。
この小津瀬は、大津瀬に次いで激流の揖斐川に人が入れる数少ない貴重な場所だったのです。
また、この山奥には「ニホンカモシカ」が生息していて、当地の人々は「にく」あるいは「くらしし」と呼び、その習性を伝えるいくつかの民話が残されています。
43 はるま平太郎橋
「はるま平太郎橋」の名は、「はるまの平太郎」という古狸の民話に因んで名付けられています。
この橋から見える対岸の小曽谷の「はるま」には、昔「はるまの平太郎」という古狸がおり、杉原の里に出てきては、いたずらをしたそうです。
村人が山仕事で「はるま」に行き、倒れた古木に鎌を突き立てたことに古狸が怒って、その嫁にとりついたこともあったそうです。
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「犬返歩危橋」の名は、「犬返り」の地名に因んで名付けられています。
この橋の架かる西嶋の洞は、揖斐川が眼下にせまり、歩くのに大変危険な場所でした。昔話では猟師が犬を連れて猟に来た時、犬が尾っぽを巻いて引き返したとされる場所で、「犬返り」と呼ばれてきました。
また当地では歩くのに危険な場所を歩危と称すことから、この橋名が付けられました。
45
「雷倉大岩魚橋」の名は、対岸に望む「雷倉」と大岩魚伝説に因んで名付けられています。
この橋から見える対岸の谷は「大岩魚」がすむ「小曽谷」で、その上で山頂が避雷針のようにとがって見える山が「雷倉」です。雷倉にはよく落雷があり、このような形になったと伝えられています。
また、昔から雨乞いの神山としてあがめられています。小曽谷の谷川には岩魚がたくさんおり、主である大岩魚がある時坊さんに化け、山椒の毒で魚を捕る事をきこり達に戒めましたが聞きいれなかったため、谷は大雨の度に土砂崩れをおこしました。
何度修復しても崩れたので、大岩魚の祟りだと言われてきました。
46 花房ビッキ橋
「花房ビッキ橋」の名は、対岸に望む「花房山」と、この山を眺めて餅をついたという「ビッキ(蛙)」の伝説より名付けられています。
正月の準備のため里の人から杵と臼を借りてきたビッキが、花房山の見える眺めの良い山の上で餅つきを始めました。これを見た猿が餅を欲しがりますが、ビッキは何と言われようが与えません。猿は一計をめぐらし、臼を谷に転がし早く手に入れた方が食べるという競争を持ちかけましたが、結局猿は餅を食べる事が出来ず、怒ってビッキの背中に大きな石を投げつけました。その事があってからビッキの背中が平たくなったという話です。
47 花房猿巻橋
「花房猿巻橋」の名は、対岸に望む「花房山」と「猿巻き場」の地名に因んで名付けられています。
この橋から南東の方角にひときわ高く見える「花房山」の名は、小津木地師が京都白川神祗伯の「花房太夫」の名前に因んで付けられたということです。
この橋の架かる辺りから川を覗くと目が眩む程の急斜面で、「花房山」に見とれた猿がよく揖斐川に落ちたそうです。
川には渦を巻く淵があり、猿が渦に巻かれたので、この地の人々は「猿巻き場」と呼んでいました。
48 藤橋川太郎橋
「藤橋川太郎橋」の名は、藤橋村に伝えられている多くの川太郎伝説に因んで名付けられています。
その昔、揖斐川の各淵にはそれぞれ川太郎(河童)がすんでおり、この橋が架かる原谷と揖斐川が合流する淵は特別深かったので、川太郎の大将「川太郎大明神」が住んでいたと伝えられています。
藤橋村では、この川太郎たちを川の神としてあがめ、藤橋城内に河童神社を建立して、祀ったほどでした。
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「池太沢夜叉隧道」の名は、「赤池」に伝わる「池太沢の大蛇」伝説に因んで名付けられています。
ある年の秋、今まで経験した事が無い大きな竜巻がやって来て、対岸の池太沢にすむ大蛇が竜巻に乗って空に舞い上がり、この隧道の下の赤池に舞い降りました。
赤池で休んだ大蛇は次の竜巻に乗って天上に舞い上がり、揖斐川を下り、坂本川を遡り、坂本・広瀬・川上川を経て夜叉ヶ池に入ったと伝えられています。
三国ヶ岳の山頂にある夜叉ヶ池の主「竜神」の故郷は、池太沢と言われています。
50 鶴見杉原橋
「鶴見杉原橋」の名は、当地の地名「大字鶴見」と「旧西杉原村」に因んで名付けられています。
「鶴見」は、杉原砦の城主「杉原六郎左衛門家盛」が砦に一羽の鶴が舞い降りる様を見た故事に因み、「杉原」は、その地名のごとく見事な天然杉が群生していたことから付けられたものです。
橋のたもとの「武山神社」境内の杉は、当時の面影を残す生き証人です。
51 ションダニ鳴瀬橋
「ションダニ鳴瀬橋」の名は、橋の架かる谷名と揖斐川に架かっていた鳴瀬橋に因み名付けられました。
谷名の由来は定かでありませんが、初谷と想像されています。ションダニは、シッ谷に、シッ谷は揖斐川に注ぎ、揖斐川には「鳴瀬橋」が架かっていました。
湖底に眠る(旧)鳴瀬橋は、通称「徳山橋(とくやまはし)」と呼ばれ、西谷の集落(門入・戸入・上開田・下開田)と東谷の集落(塚・櫨原・山手・本郷)を結ぶ大切な橋で、橋の袂には、風が吹くと鳴く「鳴岩(なるいわ)」という岩があり、徳山村の名物となっていました。
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「不徒路歩危橋」の名は、橋が架かる周辺の呼称地名「不徒路(ふつろ)」と、祖先が危険を伝える「歩危(ほき)」地名に因み名付けられました。
当地には、不徒路のほかに蛇抜け・マキホキなどの警告地名が残されています。アラシ・ムツシと呼ぶ山畑に、険しい山道を行き来した、祖先の苦労が偲ばれます。