自分用の備忘録です
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「道場山隧道」の名は、「道場山」の地名に因んで名付けられています。
この隧道が抜ける山の名は「道場山」です。道場山は、下開田の道場(お寺)に必要な材木を供出した故事から名付けられています。
明治13年2月に下開田の道場が焼失した時、この山の檜材を伐り出し再建したと伝えられています。下開田の里人は、道場山の檜をことのほか大切に守り育てました。
この隧道の名には、ここを通過する度に先人の徳に改めて敬意を表したいとの思いが込められています。
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「雪姫万丈滝見橋」の名は、橋から見える院谷三滝の一つ万丈滝に因んで名付けられています。
滝水は鏡山の雪姫が化身した聖なる水です。鏡山・着衣両山の雪が解けて大地にしみこみ、院谷西側の尾根にある「ヌタノ」と呼ばれる泉に湧き、その泉のほとりには大きな梨の木や広い山畑があったと伝えられています。
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「美徳千丈滝見橋」の名は、橋から見える院谷三滝の一つ千丈滝に因んで名付けられています。
橋から手の届きそうな「千丈滝」は、苔むした岩間を縫うように落下し、初夏には石楠花の花が咲き、滝からの冷風が肌に心地良く、一億年の眠りから覚めた水は濃厚な味です。
この橋では、そんな美しい滝の持つ徳を実感できます。
また、滝水に打たれ修行すると邪念が消え、心清らかになり、進んで徳の行いをしたくなると言う、「徳之山八徳物語」ゆかりの滝です。
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「院谷百丈滝見橋」の名は、橋から見える院谷三滝の一つ百丈滝に因んで名付けられています。
院谷の三つの支谷にかかる三つの滝は、それぞれ百丈滝・千丈滝・万丈滝と名付けられています。
この橋から見上げる高い滝は、「徳之山八徳物語」の百丈滝です。
鏡山の「美徳石」は、下開田の仙人「美徳翁」が、人々が洪水や干ばつで困らないようにと、この滝水を供えお祈りをした石だといわれています。
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この隧道は、文化交流・交通の大きな障壁であった「境の尾」を切り開いています。隧道を抜けると、旧徳山村に入ります。
ダム湖の湖底に沈んだ「徳之山」は、濃尾平野の水瓶であるとともに洪水災害と渇水からの守護の地です。
大義の為「大徳」の心で先祖伝来の地を離れた人々への感謝の意が、大徳の文字に込められています。
36 徳之山悠久橋
「徳之山悠久橋」の名は、徳山ダムの恩恵を受ける下流濃尾平野市町村の人々が、徳のある地「徳之山」への恩を悠久に忘れてはならない、との思いと感謝の意をこめて名付けられました。
この橋から間近に望む雄大な徳山ダムと、そのダムによって新たに誕生した湖水は、旧徳山村八村の人々の大きく深い徳により実現したといえます。
37 大津瀬三本松橋
「大津瀬三本松橋」の名は、「段木流し」ゆかりの地名である大津瀬と対岸の地名三本松に因んで名付けられています。
大津瀬とは、境の尾の激流を下り最初に川幅が広くなる所です。
大津瀬谷の出口の深い所は、つだ狩(段木流し)の港であった所といわれています。
ここ揖斐川の断崖峡谷部は境の尾といわれ、また、対岸の絶壁には、姫小松の大木が三本あったことから「三本松」の地名がつきました。
38 大津瀬こえぐら橋
「大津瀬こえぐら橋」の名は、「段木流し」ゆかりの地名である大津瀬と対岸の尾根名に因んで名付けられています。
大津瀬とは、境の尾の激流を下り最初に川幅が広くなる所です。
大津瀬谷出口の所は地形が緩く、つだ狩の人々が川に入れる段木流しの港であったといわれています。
こえぐらとは対岸の尾根名で、下流の杉原集落の人々は、この尾根を越えてさらに上流奥地の山仕事におもむいたということです。
39 境の尾一里岩隧道
「境の尾一里岩隧道」の名は、藤橋村と旧徳山村の境界をなす大尾根「境の尾」とその尾根にある岩の名前に因んで名付けられています。
揖斐川にせり出した尾根の絶壁はまさしく交通の難所で、物資輸送・文化の交流がこの「境の尾」で閉ざされていました。
これより上流は日本海の文化(越前の国)・下流は太平洋文化(尾張・美濃の国)の影響を強くうけてきたといわれています。
尾根の頂上付近には、「一里岩」と呼ばれる岩があります。杉原の里から山の尾根に沿ってけもの道をうねうね曲がりながら来ると「一里」(約4㎞)の距離になり、猟師仲間の目印の岩であったということです。
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「小津瀬天狗橋」の名は、「段木流し」ゆかりの地名である小津瀬と天狗の民話に因んで名付けられています。
山には樹木を守る神様がいて、大木を伐ったり山の幸を奪ったりすると、山の守護神である「天狗」が怒り、神隠しにあったということです。
この橋から見える山を越えたところの天狗谷は村から遠く離れたところで、めったに村人がいくことのない神秘的な場所といわれています。
この山里では、「天狗」を「ぐひん様」と呼んでいました。