私の家は真言宗の寺の檀家である。
そんなわけで弘法大師空海について調べてみました。

密教理論書には二種類ある。
一つには、歴史的に真言密教の由来をはっきりさせるという著書。もう一つは、理論的に真言密教の特徴をはっきりさせるという著書である。
 このような著作を検討してみよう。まず、密教の歴史的由来にかんする著作であるが、『付法伝』『略付法伝』の著作がそれに当ろう。
 先に述べたように密教は、他の仏教が釈迦仏の教えであるのに対し、大毘廬遮那如来、すなわち大日如来の教えであるという。大日如来とは何か。空海はいう。「大日如来は法身仏である。法身仏とは、釈迦如来のように歴史的実在性をもった仏ではなく、宇宙の初めから存在している永遠不滅の仏性である」と。
 仏教は、その理論的発展において、一つの疑問に逢着した。それは、紀元前四、五世紀に、釈迦族の子としてインドで生まれ、出家、成道して、新しい智慧に目覚め、広く説法して、ついにクシナガラで八十歳の生涯をとじた、あの釈迦牟尼なる聖者は、永遠不滅なる仏性の現れであるとすれば、それは応化身であり、永遠の仏性は法身と呼ばれるべきではないか。仏教は、釈迦崇拝に始まり、釈迦崇拝に終わる。しかし、仏教が釈迦崇拝をまぬがれない限り、歴史的実在としての釈迦崇拝を超越することは出来ないのではないか。大乗仏教は、この法身を応化身より根源的と考えるけれども、なお、応化身の存在を重視しないわけにはゆかない。しかし、ここに密教は、思い切って、釈迦仏教を否定する。仏の応化身を二義的と考えて、法身を一義的とするのである。
 これは、まことに大胆な理論である。今まで法身について、大乗仏教はいろいろ思弁を弄したが、それを一つの理論的な存在、思弁的存在と考えた。その理論的存在、思弁的存在に、密教は実在性を与えるのである。
 実在している法身仏、大毘廬遮那如来が法を説いている。それが密教の教説であるというのである。