朝起きて、
花瓶に飾った花たちがちゃんと水をを吸って美しさを保っていることに、
本当に想わずキスしたいほど愛おしく感じます。
いつからこの感覚があるのか、自分でも定かではありませんが、
素直にそう感じられることがとても嬉しい訳です。
例えば植木など水を欲していることが分かるように、
私の想いはきっと花たちにも通じていると想えます。
この世の人も物も全て「素粒子」で出来ているなら、「素材」は皆同じです。
だから現実的には会話出来ない対象でもお互い必ず感じられると想う訳です。
それってとても興味深いし、とても楽しいことだと。
そういう意識で周りを眺めてみれば、
新しい発見の連続かも知れません。
例えば「人生を楽しく生きる」こと。
何か嬉しい物事が起きたり好きなものを見たりした時とか
自分で制限してしまうと、「楽しめる機会」を狭めてしまうかも知れません。
意識を拡げていつもと違う感覚で全てを眺めてみると、
「何もかもが楽しい状態」って起こり得るようにも感じます。
一輪挿しの花一本でさえ感じられるものがあるならば。
だからこの世界がどういう世界なのか知らずにただ現実を生きるのではなく、
いつ何時でも自分の感覚を察知できる「心の余裕」は持っていたいと想います。
それが「心の豊かさ」に繋がる気がします。