例えば生まれたての赤ちゃんが純粋無垢なら、育ってくる環境の中で
所謂「性格」と呼ばれるベースが形つくられていきます。
ただ生まれ持った「個性」がありますから、
同じ物事でも捉え方が同じであるとは限りません。
大人になってからも、自分はこういう人間だと思い込むのは早計だと感じています。
実は物事に意味はなく、見え方で多面的に捉えられるものなので、
捉え方により現実は如何様にも変化するものだと想っています。
だからこそ捉え方が変われば、
自ずと「性格」だと想うものも変化してくるものと考えます。
自分で「自分はこうなんだ」と思い込むことなく、「無限の可能性がある」と
いつも心に想っていることって大切です。
人間は誰もが体験と共に移り変わっていく、進化成長する存在であるから。
常に感じていることは、例えば「私」という人間も色んな要素を含んでおり、
誰もが一概に言う事など出来ない「奥が深い存在」であること。
だからこそ自分で自分を決めつけないことが大切で、
いつも「可能性を秘めている」という意識は持ち続けた方が良いと想います。
私自身は、実は自分が嫌で仕方がなかったから
「自分を知りたい」という「探求」に入っていったことがあります。
これは現時点では例え死ぬまで探求を続けたとしても、
「自分が何者であるか」は分かり切ることは難しいと感じています。
知りたい欲求が強いのは何故かなと時々想いますが、
肉体がある限り続けていきたいし、
こんな興味津津、面白そうなことは他にないと感じてる自分がいます。