マスカラス兄弟vsリッキー&チャボ (1981年8月28日) | ミスター・プロレス・アワー

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昔、「夏といえばマスカラス」と言われていました。

ジャンボ鶴田との伝説の田コロ決戦も夏でしたし、夏のシリーズにマスカラスがよく参加していました。

少年ファンの比率が高かったマスカラス、小中学生を動員できるのを見込んで夏休みに開催するシリーズに呼んでいたのかもしれませんね。

 

1981年夏に開催された「スーパーアイドル・シリーズ」は「夏といえばマスカラス」の究極形。少年ファンの「アイドル」であるマスカラスが主役のシリーズでした。


しかし「スーパーアイドル・シリーズ」ってすごい名称ですよね。

田原俊彦や松田聖子が大人気のアイドル全盛時代で「アイドル」がパワーワードだったからなんでしょうか。

 

そういやドリーがこの年の暮れの最強タッグでブロディ、スヌーカ、ハンセンにやられているとき倉持アナが「これはやめてもらいたい。アイドルがやられます! 世界のアイドルがやられます!」と絶叫してました。


 

「スーパーアイドル・シリーズ」、マスカラス以外の参加外国人選手は、弟ドス・カラス、リッキー・スティボート、チャボ・ゲレロ、ジプシー・ジョー、ジノ・ヘルナンデス、アニバル、ドクトル・ワグナー。

大型巨漢の選手、日本においてマスカラスより「格上」の外国人選手はおらず。

まさしく「マスカラスのためのシリーズ」でした。

 

リッキーはアメリカのトップスター。お母さんが日本人ということで多くの日本のファンが親近感を抱きました。

大人気でマスカラスの後を継ぐ「アイドル」外国人選手の最右翼と言われてました。

 

チャボは新日本から移籍。全日本の引き抜きでした。

新日本で藤波とのジュニア抗争を繰り広げて名を馳せ、木村健悟から奪ったNWAインター・ジュニアを巻いたままの移籍でしたから衝撃的でした。


ジプシー・ジョーはこの夏崩壊した国際プロレスのラストシリーズに参加した直後全日本に参加。

末期国際ではエース外国人でしたが、ここから数年間全日本の中堅クラスで独特の存在感を示すことになります。

 

ルチャ勢のアニバル、ワグナーはマスカラス兄弟のマッチメイクの関係で呼ばれたのでしょうね。

 

 

このシリーズ中に開催されたのが「PWF杯争奪タッグトーナメント」。

前年1980年夏にも開催されこの年で2回目。

このトーナメントも「マスカラスのためのトーナメント」でした。

何せ馬場さん、ジャンボは不参加ですもん。

 

第1回大会はマスカラス兄弟が決勝戦でデストロイヤー&ザ・クルーザー組に勝利して優勝。

 

 

この年の参加チームは、

 

マスカラス兄弟

リッキー&チャボ

ジプシー・ジョー&ジノ・ヘルナンデス

アニバル&ドクトル・ワグナー

天龍&R・羽田

佐藤昭雄&石川隆士

 

この参加ラインナップだとマスカラス兄弟が決勝に進出するのは固いですよね。

決勝戦の相手はリッキー&チャボ組。

マスカラス兄弟以外で決勝に進むとしたらこのチームでしょう。

 

天龍は7月にスレーターの代打でロビンソンと組んで馬場・鶴田のインタータッグに挑戦し善戦。

「プロレス開眼試合」と言われ話題になりましたが、実績的にはまだこうしたトーナメントでマスカラスを引き立てるポジションでした。

 


決勝が行われたのは8月28日新潟の三条厚生福祉会館。

三条といえば馬場さんのお膝元。

リッキーの入場テーマ「Rydeen」がいいな~。

この選曲最高です。

マスカラスはもちろん「スカイハイ」。

個人的にこの試合は「プロレス入場テーマ名曲対決」でもあります。

この試合の入場を生で観られた方がうらやましい!

 

トーナメントの決勝戦は3本勝負。

1本目リッキーがドス・カラスをグランドのネルソンで捕らえ、チャボがコーナー最上段からセントーン・アトミコ的なサンセット・フリップ、その後追い打ちのようなジャーマン。このフィニッシュ好きだな~。

2本目、3本目、マスカラス兄弟が連取し2年連続で優勝を飾りました。

 

この試合が実現したことは嬉しかったですが、内容的には「名勝負」とは言い難いです。

リッキーもチャボもマスカラスにずいぶん気を遣ってるなと思いました。

特にチャボなんか新日本のときのように思い切り戦えてない感じしますね。

 

リッキーは完全なベビーフェイス・スタイルだけにマスカラス相手だとどうもしっくり来ない。

マスカラスとリッキーのシングルマッチがこのシリーズの開幕戦で実現していますが、噛み合わなかったうえにジプシー・ジョーが乱入して終了という消化不良なものでした。

 

このシリーズの売りはマスカラスという主役と新進気鋭のリッキーの「新旧アイドル対決」だったと思うんですよ。

でもシングルでもタッグトーナメントでもインパクトを残せなかった。

ファンももちろん御大の馬場さんも肩透かしを食らったかも。

 


全日本はこの年の暮れにハンセンを新日本から引き抜き。

ハンセンは翌年から正式参戦し盟友ブロディと組んで全日本マットを席巻。

同じ時期ジャンボ、天龍といった「アフター馬場」世代の本格的なプッシュも始まり、全日本の戦い模様も変わっていきました。

 

そういった流れの中でマスカラスの全日本マットでの立ち位置が微妙になっていったのは間違いないです。

このあと数年間ちょいちょい来日はしますが、以前のような特別な主役になることはありませんでした。

「スーパーアイドル・シリーズ」は「マスカラスのためのシリーズ」だったのですが、マスカラスが誰よりも主役だった最後の全日本でのシリーズなのかもしれません。