テレビゲームとかよくやる人は分かると思いますが、裏技とかでキャラクターを一気に強くしたりすると、その時は楽しいですがすぐに飽きてしまいます。


人生においても同じなんですよね。仕事でも趣味でも一気に推し進めようとすると、成功しても感動や達成感が少なくなります。


小さな階段を少しづつ上るようにステップアップしていっているのものはやはり自身の人生の中でかけがえの無い特別なものだと思いますし、それを実感している人は結果ありきではなく、失敗や後悔を繰り返している中での成長の過程を楽しむということを知っているのです。


NHKの朝ドラの出演者の方の話でも、劇団員を続けていて、劇団はずっと儲からず、無給でバイト生活を続けて何十年後かに役者として開花したということをテレビで拝見させてもらいました。


夢を追いかけ続けることや、結果がでないものに固執することを対して賛美するわけではありませんが、趣味や生きがいといった、自身が熱中して取り組めることって、わずかだと思います。


無数のジャンルがあるなかで全て体験することは不可能ですし、自分が偶然出会ったそれはとても貴重なものなのです。


オリンピック選手やオリンピックを目指して頑張って来た人たちも、人生の大半を費やしてその競技に取り組んできたことでしょう。


結果が出ずとも決してそのものに費やした時間が無駄になるわけではありませんし、トップレベルまで突き進む事が絶対的な幸せの形でも無いと思います。


小さなステップアップを楽しむことこそが人生を楽しむ最大のコツかもしれませんね。

世の中思い通りにならないことって多いですよね。


人が良い方や断れない人を見ると損な役回りだなぁって思いますよね。


しかし、実際はそうじゃないんです。


不満が多い人や気が短い人って、何か自分が気に入らないことがあると、すぐに拒否ったり、愚痴ったりすると思います。


そういった自分の思い通りにならないことを受け入れない人はすぐにまた思い通りにならない展開が待ち構えているんです


例えば、何かを頼まれた時に『なんで自分がそんなことしなくちゃいけないの!』と突っ返したら、ただでさえ、気に入らないことを言われてイライラしているのに、その場面を他人に見られていたら、自分の悪口を言われたり、自分が他人に頼みごとをする時にその時のことを理由に断られたり、更に思い通りにならないことが発生する可能性が高くなります。


そしてその時にまた喧嘩したり、言い合いになったり、更にまたそれを他人が見て自分をどう思うのか考えたりすると、まさに負のスパイラル、連鎖反応が起こってしまいます


しかし、自分の思い通りにならない事を受け入れられる人は、他人との折衝も起こりにくいですし、何より自分が困っている時には助けて貰えますので、思い通りにならない事が起こり難くなります。


特に日本人には『情けは人の為ならず』といったように、他人に尽すことはいずれ自分に恩返しが来るといったような性質がありますし、いざ自分の意見を通さねばいけない時には周囲が協力してくれます。


なんでもかんでも受け入れなければいけないということではありませんが、その場の損得勘定と自身の感情だけで拒み続けると、泥沼のごとく深みに嵌っていく危険があるということは自覚しておいて損はないと思います。

私のメンタルアルゴリズムの基本として、比較対象を自ら設定し振り回されることが不満や悩みを持つ要因という考えがあります。


幸・不幸の感じる基準 ←参照


では、より高きを目指すために目標を持つことはどうなのでしょう


上の記事の考えからいくと目標を持つことは不満の種になると思われるかもしれませんが、そうではありません。


何故なら、目標とは自身が望む何かを達成する為に掲げる基準となる指標であり、目標を達成することが本来の目的ではないからです。


目標に囚われすぎて、それが不満の種になったり落ち込み塞ぎこむ原因になってる人は、いつのまにか本来の目的よりも目標にこだわり過ぎて目標ありきになっていることが多いのです。


アイドルグループの人気を例に出すならば、恐らく最初の目的は一人でも多くのファンに愛されたいというのが思いだったはずなのに、いつの間にか、その指標としてグループ内人気投票順位を目標にしているがため、順位が下がったという事だけで必要以上に落ち込んでしまうということです。


本来なら順位が下がっても、自分を応援してくれるファンが増えているのならば、目標は達成出来ずとも目的としては確かに向上しているはずなのです。


あまり目標に囚われすぎると、著しくモチベーションが下がったりしますし、より危険なのはキチンと前進して向上出来ているのに、それに気づかず自分を貶めてしまう可能性があることだと思います。

今、貴方がここに居る奇跡は物凄い確立の幸運だと思いませんか。


ある日私は知人から自分が精神的に生まれ変わったという話を聞きました。


それはその方がとある国に旅行に言った話です。


着いて早々日本人観光客めあての物売りの子供に囲まれて、皆こぞって自分達が現地で作った小物入れやらアクセサリーやら買ってくれとねだられたそうです。


その方はまったく買う気は無かったのでしたが、その子供達の中の一人に『買って貰えないのは残念だけど、見てくれただけでもとても嬉しい』と言った子供がいて、その後も少し哲学的な言葉を喋るその子供に興味を持ったそうです。


そして、知人の方はその子供に『小物入れを買ってあげるから、もう少し貴方とお話をしたい』と言うと、喜んで自宅に招待してもらえたそうです。


その子供の家にはたくさんの兄弟がいて、子供は皆何かしら働いているようでした。


そして、その子供と色々話をしていたのですが、ふと何かの拍子に『貴方の夢は何ですか?』と質問してしまったのです。


それまでは笑顔で色々質問にも答えてくれた子供が、急に無表情になりポツリと呟いたそうです。


『・・・わからない』


知人の方は『えっ?』と反射的に聞きなおしました。


『わからない、そういう身分ではないから、僕達は今日生きることで精一杯。明日の事は何もわからない』


そういう身分制度が根付いている国だったそうです。


知人の方は自分にいくつか悩みを抱えていて、塞ぎ込んでいた時期だったみたいなのですが、その旅行での体験を期にそれが如何に愚かで勿体無いことなのかと言うことに気づき、精神的に生まれ変わったと言っていました。


今この日本という国において五体満足で生きているならば、今がどんな状況だとしてもいくらでもやり直せますし、なんでもチャレンジできます


不条理な制度のない豊かなこの国に生まれた奇跡、この時代に生まれてきた奇跡、そして人間として生まれることの出来た奇跡。


今貴方がここに居る奇跡と言うのは物凄い確立で成り立つとても貴重なものだと言えるでしょう。


自分のしたいことを努力して挑戦できる権利を持っているということは、実は物凄く希少価値の高いものだったのですよね。

以前の記事でも書いてあるように、現在自分が置かれている状態において、それを幸せに感じるか不幸に思うかどうかは人それぞれです。


小さな幸せを喜べる人や、ちょっとした失敗を悔やみ続ける人、様々ですよね。


昔どこかで聞いた言葉なんですけど、『その人が不幸なのは、その人自身が不幸だからではなく、自分を不幸だと思い込んでいることだ』という言葉があります。


今になって思うと、物凄い深い意味を持つ言葉だと考えさせられますね。


他人から見てとても可哀相だと思うほどに辛く厳しい処遇を受けてもなお、落ち込まず笑顔で楽しそうに生きている人は一体不幸なのでしょうか。


反対に誰もが羨む地位や名誉、財産に恵まれながらも、常に不満を持ち、怒りながらつまらなさそうに生きている人は幸せなのでしょうか。


結局のところ幸せの価値は自分自身でのみ決められるもので、他人から見た幸せかどうかというのはなんら関係ないのです。


ちゃんとした職を持ち美人で気立ての良い奥さんも居るけど、どうしても子供が授からないが二人とも病気もなく五体満足。しかし最近買ったばかりの新居が家事で全焼してしまった。


上の文を見るだけでも、部分部分によって幸せそうだか不幸せそうだか変わると思います。


つまらなく生きていればどんな幸福な状況下でもつまらなく思えますし、楽しく生きているればどんな逆境でもいづれは乗り越えられます。


私は○○だから不幸だ、と自分で勝手に基準をつくり落ち込むよりも、そんな自分の心に振り回されず、楽しく生きてやるんだ!という意気込みが大切なのかもしれませんね。