私が考えるに人間とは認められることで自分の存在意義が確立するものだと思います。


簡単に言うと恋人や片思いの相手から好きになって欲しいという気持ちや、上司から評価されたい、家族や友人、知人に褒めてもらいたい・・・それらはつまり”相手から認められたい”という人間の本能だと思うのです。


相手から認めてもらえない、誰からも認めてもらえない、そういった悩みを持つ人も多いと思います。


そんな人に共通する点は”自分がこれだけ頑張っているのに”という部分です。


好きな相手にこんなに尽しているのに好きになってもらえない。


仕事で凄く頑張っているのに評価されない。


認めてもらえない悩みは原因はどこにあるのでしょう。


結局は相手のニーズに応えられていないからなのです。悪く言えば自分中心の考え方になっているからだと思います。


小学生に盆栽の素晴らしさについて語っても興味を示しませんし、反対に老人に一押しのテレビゲームを紹介しても恐らく買わないでしょう。


それと同じように相手が求めているものや欲している部分を見極めて積極的に行動していかないと、空回りしてしまいます。


今のテレビゲームにしても何十億円も掛けて物凄いCGでクオリティーの高いゲームを作ったとしても、現在の市場では製作費が比べ物にならないほど安くとも手軽にどこでも遊べる携帯ゲームの方に利用者は目を向けています。


同様に上司は自分に地道に現状の仕事を確実にこなしてもらうことを望んでいるのに積極的に新たなチャレンジを続ける頑張りを見せてもその部分だけの努力では評価されることは難しいでしょう。


好きな相手に尽すということも置いても、例えば自分の力でやりきろうと一生懸命頑張っている子供に無理に手伝おうとしたり、代わってあげようとしたりしている大人がいたらどう思いますか?


周囲から認められるということは簡単ではないかもしれませんが、”目配り、気配り、心配り”という言葉があるように、相手が困っている時にすぐ気が付き、その人が望む手助けをして上げられるような事が出来れば認められる人になるかと思います。

出合った頃は夢中で気づかなかったけれど、時間が経つにつれ段々と相手への欠点などが目に付き不満が増えてくる。


言っても中々直らないし、別れたほうが良いのかも。


そんな風に思った時、少しこの記事を見て思い出して頂きたいです。



完璧な人間など存在しませんし、自分が持っている不満の部分が解消したとしても、新たな不満が気にならないとは限りません。


ちょっと視点を変えて客観的に考えて見ましょう。


例えば女性の立場だとして、結婚相手を自分の父親に紹介した時、猛反対されたとします。


父親の反対する主な理由は相手の職業。


父親が安心できる年収よりも少なく、しかも夜勤がある為自分の娘を幸せに出来ないと思い込んでいることが大きな要因です。


では父親の不満が解消される、年収が平均以上で土日休日8時~5時の大手企業に勤めている男性とお見合いさせて結婚させれば娘は幸せなのでしょうか。



ひょっとしたら相性が悪く子供が授からないかもしれない、酒癖が悪いかもしれない、女癖が悪いかもしれない。


結局心配しだしたらキリがありませんよね。


今の年収が低くても昇給する可能性はありますし、娘がパートしてもその分家事、育児をサポートすればより暖かな家族になるでしょう。


不安要素は限りなくあるのですから、結局お互い慎ましく寄り添えるのであればとりあえず”好きだから結婚する”事が重要です。



さて、自分の恋人への不満に話を戻しましょう。


自分の抱いている相手への不満は、本当に別れてしまうほど致命的な欠点でしょうか。


そして相手が自分に文句や不満を言わないからといって、自分は完璧な人間なのでしょうか?


相手は相手なりに不満があるけど、自分より少し大人でそれを不満に思わないように努力しているのかもしれません。更に言えばその不満や欠点を好きになる努力をしているのかもしれませんよね。


折り合いを付けると言う事は、お互いが歩み寄ることです。歩み寄るということは自分が相手に近づくということであり、無理に引き寄せれば反発もあるでしょう。


不満はさておいて、好きか嫌いかにおいて好きであるならば、不満を理由に喧嘩や別れを選ぶより、自分が相手をより好きになる方法を考えてみませんか。



仕事に不満を持ったり悩みを抱えたりして、辞めたいとか変えたいとか思うことあると思います。

現状の職場に何の不満を抱えているかは様々で、給料や仕事内容がキツイ、面白くない…多々あるかと思います。

しかし、私は仕事全般における環境で一番重要なのは”人間関係”だと思います。

勿論、3食まともに食べられないほど給料が安いとか体を壊してしまうほど過酷な労働条件など極端であれば別ですが、概ねなんとかやれているレベルであって、さほど”人間関係”に問題が無ければ、辞職は一考した方が良いかもしれません。

それは、他に給料の良い仕事があったり、仕事内容がより自分に向いている仕事があったとしても、その職場で人間関係を上手く構築できなければ険悪なムードの中慣れない仕事に従事しなくてはいけない危険もあり、またすぐ辞めて結局後悔することも多々あります。

本当にやりたい仕事があったり、新たな挑戦とかでは無い限り、現状仕事で多少の不満はあっても、休日やプライベートタイムである程度発散できる状態であれば、再考の余地ありですね。

人間関係が極悪な状態だと休日も塞ぎ込んでしまう事も大いにありますしね。

前回『幸・不幸の感じる基準』を書かせていただきましたが、今回はその考え方に基づいた私個人の『幸福論』を述べさせて頂きたいと思います。

結論から言うと私が一番理想的だと考える幸福な人間とは”当たり前の日常”に幸福や喜びを感じられる人だと思います。

前回、他人や前の自分との比較及びその振れ幅で幸・不幸を感じやすく、同じ出来事が起こっても幸福度は現在の自身の状態や状況で大きく変わるものだと結論付けました。

例えて言いますと、戦時中の人は”銀シャリを腹一杯に食べるのが夢”と言う人が多かったことに対して、今では日の丸弁当は貧窮の象徴と表現されることもありますよね。

同じ事柄でも天と地ほどの差があります。

時代が違うので当たり前と感じる方も多いと思いますが、実際、九死に一生を経験された方や、自分の大切な人が意識不明な状態から危機を脱したという経験がある方は”何気ない日常”こそが得難く有難いものだと実感できるのではないでしょうか。

先の文章を額面通り捉えてしまうと不幸を知っている人が幸福を感じやすくなるという矛盾だと考えるかもしれませんが、重要なのは現状に満足感を得られるかどうかであり、現状よりプラスで無いと不満を抱いてしまうという性格や思考が必要以上に悩んでしまう要素だと考えます。

メンタルアルゴリズムを見て頂く上でで最初に読んで欲しい事を書いていきます。


それは幸せを感じたり不幸に思ったりすることの基準です。


私個人の考えた方なのですが、その基準は”比較”の一言に尽きると思います。


他人との比較』と『自身の現状との比較』この2要素であり、その”振れ幅”が幸・不幸を感じるレベル大きさです。




・他人との比較


こちらは解りやすいことと思いますが、他人と比較して自分が上であるか下であるかで左右される幸福度です。


それはテストの点数であったり、スポーツや趣味の順位であったり、社会的立場や収入、生活レベルなど様々ですが往々して他人と比較することで自分が幸せと感じたり不幸に感じたりすると思います。


・自身の現状との比較


これはつまり期末試験で順位が上がったり、下がったり、臨時収入があったり、財布を落としたりと現状の自身と何か起こった時の自身の比較で幸・不幸を感じます。


・振れ幅


比較した時の振れ幅の大きさです。例えば小さなことで言うと、千円を落として無くしてしまったとしても、お小遣いが10万円の人と2千円の人では落ち込み方が違うと思います。


要するに同じ様な出来事があっても、自分の現状や状況で凄くショックだったり、大した事無いと思ったりするわけです。




なぜこの様な記事を書いたかというと私は”悩み”の大半がこれらに関係し、振り回されているからだと思っているからです。


貧乏に悩んでいてもビル・ゲイツと比較しても仕方ないし、自分より貧窮に陥っている人はいくらでもいます。


すなわち、過度に不幸を感じたり必要以上に悩み込む人は比較対象を自らが限定し”自分がこうあるべき”とか”こうでなくてはならない”と理想を高く作り上げそれに振り回されるからだと考えます。


無論それらが向上心や成長に繋がる要素でもあるのだとも思うのですが、その想いが強すぎると心が折れやすくなりますよね。