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今日は子どもの習い事で何かと話題になる英語のお話です。

  ​①英語はなんとかなる

今回、久々に台湾の友達と話して思ったのですが、


日常生活で使う程度なら話せなくてもなんとかなるなと改めて思いました。


もちろん私も彼女も海外の大学を出ているのでそれなりに英語はできますが、


スキルとか語学力云々より、やっぱり相手と話したい、何かを伝えたいという気持ちがあるかどうかが大きいなと改めて思いました。


それから京都に行って思ったのですが、だいぶ翻訳機が進化しているなと感じました。


着物レンタル店で中華圏のお客さんが来ていて、始め英語でお客さんが質問してたんですよね。


でも店員の方がわからなくて、何度かやり取りした後に翻訳機能を使ってやりとりしているのをみて、


あぁ、もう他の言語はできなくても困らないな時代になってきているだなと思いました。


  ​②本人の意思があれば習わせたい

もちろん英語が話せてよかったと思うことはありますが、


話せなくてもまぁ、基本普通に日本で生きる分には不自由しないでしょう。


なので、どうして英語を覚えたいのか?英語ができるようになって何をしたいのか?が明確じゃないと習わせる意味はないかなぁと私は思っています。


例えば私は学生時代、アメリカが好きでかぶれていたのでとにかくかっこよく英語を話せるようになりたかったんですね。


まぁ、そんな理由でもそこから派生して留学して今があるので何かを好きな気持ちとか、やってみたいって気持ちは大きいなぁと思います。


なので、我が家では教える気もないですし、本人たちがやりたいと言わない限り習わせる気はないです。


  ​③英語はツールであって、一つの逃げ場

私は子どもたちが英語は話せなくてもいいと思っています。


もちろん私は英語が好きなので、それを子供達も好きになってくれたら嬉しいですが、


興味がないならないでいいと思っています。


英語はツールであって、自分で話すならそれでもいいし、


翻訳機を駆使して使うもあり、ジェスチャーを交えて日本語を押し通しながらコミュニケーションするもありだと思っています。


別に自分が話せる必要はないというのが私のスタンスです。


それから、思春期の私にとって英語はちょっもしんどい現実を忘れる逃げ場という部分もありました。


例えば学校で嫌なことがあっても、この前見た海外映画の主人公はこうだったなとか、


今は日本にいて窮屈だと感じるけど、私は留学するんだからそれを目標に頑張ろうとか。


うまく言えないですが、英語はこういう世界もあるよ、世界は広いんだよっていう糸口として子どもたちにあったらいいなというのが私の思いです。


なので、無理に習う必要もないし、覚えなきゃ、話せるようにならなきゃみたいにはならないでほしいなと思っています。