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今日は私の母として、妻として、1人の人間としてのアイデンティティのお話です。

とカッコつけて書いてみますが、大したお話ではないです。

  ​①違和感を覚える『お母さん』と呼ばれること

仕事もたいしてしてこなかったし、結婚したところでお互い好きなことをしていたので、

肩書きなんてものは持っていなかった私ですが、母になって気にするようになったもの。

それが『お母さん』という肩書き。

便宜上だったり、他人からしたら子どもを連れていたら私は『お母さん』なわけで。

『すみません』とか、『ちょっと』とかいうノリで呼ぶんでしょうけど。

そうとわかっていても他人に『お母さん』って呼ばれるのは違和感だし、あんまり呼ばれたくないのが本音です。

知らない人はもうしょうがないにしろ、支援センターや顔見知り程度の人ならせめて苗字で呼ばれたいと思ってしまう私。

  ​②私はあなたのお母さんじゃない

肩書きに囚われすぎと言われたらそれまでなんですけど。


言われる度に、あなたのお母さんではないけどねと内心思ってしまいます。


母としての役割は子どもたちとの間だけで十分というか、私のメインは私という個人であって、


母というのは側面でしかないという思いが強いのかもしれません。


とは言っても、外にいる時はほぼ全ての時間、子どもたちといるわけなので、相手にしてみたら子どもと私はセットで。


そうなるとまぁ、相手が“お母さん”と呼びたくなるのもわかるんですけどね。


  ​③お母さんというものが合ってない

もちろん親としての最低限の責任は果たすべきだと思っているし、


子どもたちのことも大事に思っています。


ただ、普段私は“母”と意識して子どもたちと接しているわけではないし、


お母さんっぽさ(って何よって感じなんですけど)もない気がします。


私の考えお母さん像はなんというか、時に優しく時に厳しくみたいな、子どものことを考えてあげられるしっかりした大人の人みたいなイメージでしょうか。


そう考えると自分は母としての器には足りないと思うし、子どもたちのことも1人の小さな大人として接するなんて言いつつ、


裏を返せば放置主義と捉えかねない育児している人でしかないですからね。


旦那にも『どこぞの女王様や。2人(長男と次男)引き連れて歩いてるもんね。』と言われる始末。


なので、自分に“お母さん”と言われるものが合っていない気がして、居心地悪いんでしょうね。


なんていう雨の日に読むどうしようもないお話でした。


最後までお読みいただきありがとうございました。