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今日は義母と母の発言から感じたユニーク長男に対するスタンスの違いのお話しです。

  ​①障害児というフィルター

私の母も義母も、長男のことを完全に“障害のある子”というくくりで見ているんだなぁと思った発言があったんですね。


母に関しては妹経由で聞いただけですが、


『どうしてうちの娘たちが持つ男の子はみんな何かしらあるんだろうね。』とぼやかしながらもそれぞれの孫の特性について言っていたとのこと。


義母に関しては、旦那がエンジンをつけっぱなしにしたまま買い物に出た話と長男の話の絡みで、


『(旦那に向かって)あんたの方が障害児じゃない』と言ったんですね。


母も義母も深い意味はないんでしょうし、私が勝手に深読みしちゃっているだけなんでしょうけど。


なんだか自分の親ながら、あぁ、この人たちは私の長男をそういう目でみてるんだろうなと思ってしまったんですね。


  ​②障害は不便だけど不幸ではありません

と言ったのは乙武さんだったでしょうか。


この言葉を知った当時も衝撃的だったんですが、今の私にとってもすごいインパクトのあるセリフだなって思います。


孫だからこそ手放しで喜べるし、心配できるんでしょうけど。


私の母と義母にとって人と大きく違うって大変なことの方がフォーカスされていて、


それでこの子はきっと将来、苦労するわ、心配だわって思っているんでしょうね。


確かに日本で生きる上で、この先集団生活が重視される中で生きていくのは大変なこともしんどいこともあると思います。


特に発達障害なんて聞くと、生きづらいってところばかり注目されてしまっている気がするんですけど。


もちろん、その人の特性の度合いとか性格にもよると思うので、一概には言えないんですが。


私がみていて長男が母や義母が不安に思っているであろう未来にあくせくするとは思えないんですよね。


もちろんそれなりに苦労することはあると思うんですけど、長男ならきっとなんとかするだろうと思っています。


  ​③今、診断必要としない理由

以前も少し書いたんですが、我が家は民間の療育というか個人の先生にみてもらっているので、


公的機関の療育を受けるための受給者証を取っていません。


なので、お医者さんに相談したことも診断を受けたこともありません。


役所には一度、1歳半検診後に気になって相談したことがあったんですが、


私の中で必要性を感じなかったのと、役所の方の対応がモヤっとしてその後、何もしていません。


今のところ長男といて、手に負えない!誰か!みたいなこともないし、


今はっきり白黒つけるとか、何か支援が必要というのは感じないので(個人の先生に見てもらっているので十分解決できているので)


今のところ診断も、公的機関の療育も受ける予定はないです。


もちろん、今後集団生活に入ってみて困ったな、やっぱり何か必要かもとなればその時はまた考えるつもりですが。


そんな感じで、周りは長男にレッテルを貼りたがるけれど、


私は長男は長男だなぁと思う視点を大事にしたいなっていうまとまりのない話でした。


自分の中でもなかなかまとまらない話を最後まで読んでいただきありがとうございました。