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今日は子どもの行動に対して、一歩引いて見ることの難しさを感じたお話です。

  ​①エレベーターにて

エレベーターの好きな長男はエレベーターに乗ると、ドアに手をつけるんですね。


もちろん手を挟まないように見てはいるし、本人もその危険はわかっているので、注意して触ってはいます。


なので、私は基本彼に対して何も言いません。


ただ、たまたま一緒に乗られたご婦人たちが長男を見て『危ないよ!』と声をかけたんですね。


きっと優しさからのお言葉だったと思うのですが、うーんと思ってしまった私。


  ​②経験して初めてわかることもある

何かのテレビで中居くんが、


『一人暮らしを始めたか自分の意思で好きなものを好きなだけ食べられるようになって、嬉しくてファーストフードとかインスタントフードを食べまくった。


でも食べ続けたら気持ち悪くなって、そこで初めて栄養を考えて食事するって大事なことを知った』みたいなことを言ってたんですね。


結局人って、自分でやってみて経験して初めてわかるんだと思うんですよね。


親としてはアレしちゃダメ、コレは危ないよ!とか声をかけたくなる場面は多々ありますが。


やっぱり自分でやってみて、とことんやってみなあとわからないこともあるというのが私の持論でして。


もちろん命の危険に関わるようなこととか、人としてしてはいけないこととかの線引きはしっかり教えるべきだと思っています。


でも、多少の危険なこととか不健康なこととかって本人の好きにさせたらいいとも思っています。


私はその見守るの範囲が緩すぎるというか、人にしたら放任と捉えられてしまうくらいの感じだという自覚はあるのですが。


なので、周りの人からみたらこのお母さん大丈夫なのかしら?と思われているかもしれません。


  ​③見守ることの難しさ

自分の中でここまでは見守ろう、手を出さずにおこうという境界線はあるのですが、


周りの目とか旦那とか義母とかがいると、ついブレてしまい、自分でも後で悶々とします。


今日も普段なら言わないけれど、そのご婦人たちの手前、私も『危ないよ』と長男に言ってしまいましたし。


その後の長男のなんとも言えない表情は私の中で苦い記憶となって残っています。


子どもだからって思ってしまうけれど、彼らだって日々成長しているし、いろんなことを考えている。


その上での行動なのに、大人が先走ってあれこれ言うのは嫌だよなぁと自分が思っていたのに、ついつい言ってしまう。


子どもにはよい方向に進んで欲しい、幸せになって欲しい、


それはみんな思うことだと思うんですよね。


ただ、長男の人生は長男のもので、私とは全く別人格のわけで。


そこを踏まえてどこまで踏み込むのか、どこから見守るのかの境界線は難しいなぁと日々感じています。