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私が、女の子だった頃、

昭和40年代のお話です。


私には同い年の従兄弟がいて、

彼には、10才上の姉がいました。


私達が小学生の時には

彼女は大学生で、


従兄弟は「不思議な同居人」と思っていたそうです(私も従姉妹とは思わず、お姉さんと呼んでいました)。


古い日本家屋の中に

妙にきらびやかな洋風の部屋があり、私たちの好奇心をくすぐる

絶好の遊び場でした。


主のいない昼間、

その部屋に忍び込み

ベットの上でトランポリンし

三面鏡の前でお化粧ごっこ…


プチ夢の国でした✨


お姉さんは

当時としては信じられない位、

素敵な格好をして学校に行き

同じような

素敵なお姉さまたちが

よく遊びに来ていました。


お姉さまたちは

第二次世界大戦が終わりを迎えた頃生まれ、

高度成長期と呼ばれる時代に

「蝶よ花よ」と育てられたお嬢様たちでした。


私の従姉妹も

叔父、叔母の夢

「豊かになったら、子供には最高の教育を受けさせたい」をかなえた

存在だったのかもしれません。


やがて

お姉さまたちが

お嫁に行き


私が

母と大人の会話が少しできるようになった頃


母が言ったのは

「お姉さんの同級生はみんな

大きなお家にお嫁に行ったけれど…」


「…」の部分は、

予想していたのとは

違う人生になってしまった


そんな話でした。


自由になるお金がなくて

生理用品が買えず、

実家にお小遣いを貰いにくるひと


子供ができないという理由で

離婚されたひと


自由とは無縁の生活になってしまったお姉さまたちの、その後。


家の実権を

家長が握っていた時代の

「温室のお花」は

外に出たら

大変だったことでしょう。



私の従姉妹は


それほど

お嬢様ではなかったので

恋愛結婚をしましたが、


相手の家に

「家柄がつり合わない」と言われ

反対の嵐がごうごう吹き荒れたそうです。



一部の女性たちとはいえ、

小説のような人生が

私のほんの少し上の年代まで

あったと思うと


選択肢の多い

「自由な」この人生が

感慨深く感じられます。



「温室育ちのお花」だった

お姉さまたち


その後、幹を太くし


逞しく生きていらっしゃれば

いいなと思うのです。





いつも

最後までお読みいただきまして

ありがとうございます。


今日もお元気で

お過ごしください!





 

 

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