人生振り返り記念日(?) | missingmass

missingmass

missingmassのブログ

この一年くらいの間の悩みの種。

今、これをやることが本当に必要で社会にとって良いことなのか?とふと感じてしまうことがあること。

組織に属して責務として担っている以上、勿論、脱法行為をしている訳ではないし、倫理的に問題がある訳ではない(?)ことであれば、やることが義務としてあるのは理解しつつ、どうにも奥歯にモノが詰まって、鏡には映って見えているのに三日くらい取れないような気分。。。

自らの人生に必要の無いことは巡ってこないという考え方をしているのと同時に、それを為すべきかどうかの最終判断は自らの意思で行う必要があると考えている。

その判断をすることとその結果責任を負うことが今の自分にとって必要なこと(通るべき道)であることも間違いなくあると思っている。

その判断の結果について、自らの身に起こることは自らの責任において対処すれば良いのだが、そうではない周りの方々への影響というモノを考えると、その判断が正しいのかどうか、その判断に私心は無かったかどうか・・・あれこれ考え込んで判断に迷う事も多い。

もっとも、その判断の結果起こることについては、そこに関わる方々もそういう人生を歩む運命であるという見方もできなくはない・・・そうでも思わないと判断することが怖くて、先延ばししてしまうか、判断ができなくなってしまうこともあるが、結果については自らの責任として負うつもりで私心を捨てて判断すれば良いのだろう。

最小単位の組織とも言える家族を持つと家族に対しての責任が生じるように、組織の経営者で雇用をしている方々は、ある意味、日々その判断を下す責任を負っている訳なので尊敬する。

まぁそこまで考えている人かどうかは別の話なのだが、本人の意思とは別に、責任は発生している。

何事も判断する際に気をつけるべきは「本質を見(社会情勢含め)」かつ「私心による判断をしないこと」だけなのだと思う。

本質を見極められるか?私心を込めずに判断できるか?当然のことながら、本質を見誤ればうまくいくこともいかなくなるし、私心で判断したことは、一時的な勢いによる成功はあっても長期的な支持を受けられずに失敗に終わるものだ。

今の日本ではこの勢いによる一時的成功パターンが多い気がしてならない。

これまである意味、好き勝手、自由気ままに生きてきて、悩むこととは縁遠かったので(これはこれで感謝なことです)、何で今そんなこと考えている自分がここにいるのだろうか?と不思議に思うこともある。

が、40を目の前にもう少し大人になれよということなのだろう(苦笑)

まだまだ私心や我欲の塊が残る子どもであることも事実なので、今後も続くであろう様々な判断を誤らないよう、心穏やかな状態で判断をしていきたい。

今日は「人生振り返り記念日???・・・」