我が身を立てんとせばまず人を立てよ | missingmass

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「我が身を立てんとせばまず人を立てよ(論語)」

風邪薬が効いて眠気で頭がぼーっとしている中で少し想いを巡らしつつ・・・としていたら、とある方のコメントの意味が急に気になり出し、調べて引っかかった言葉です。

この精神は何をするにもとても重要なことですね。

何においても率先垂範する勢いも必要な時がありますが、それは、身を挺して支えてくださる人がいるという大前提があって、初めて成立することと思います。

ふと冷静に過去から現在に至るまでの自分の周りを見渡してみると、事を成した人(一時的な勢いだけでの結果だけではない事)には周りに良い方々、必要な方々が多く、その方々がその人を立てたり、その事を成すようにと一歩引いていて、お互いに尊敬・尊重し合って支えている関係にあります。

表には出てこないが、その人たちがいるからこそ、結果にも繋がっているということです。


過去に大きな失敗を経験した人は、当初は本人は一生懸命がむしゃらに突っ走っているのに、そこに私心か邪心があったり、自らの過ちに気がつかずに周りを顧みないために誰もついてこない。

そして、寄ってくる人は思惑のある人ばかりなのだが、その時は、取り組みに賛同してくれている同志と勘違いをしてしまいます。藁にもすがる思いなので、致し方の無い心理状態とも言えるでしょう。

そこで一歩引く事(まずは相手から)や自らの想いに私心が本当に無いかを吟味することの大切さに気がつき、方針転換できるかどうかがその後の人生を大きく左右する(した)ということをよく聞きます。

気づかず転落人生を歩んでしまった人も、その後、再起を果たすに際しては、まずは人を立てることをして事を成したと(本人の意思とは関係なくそうなったと)。

当然、事を成すとひがみ根性で悪く言う人も出てきますが(こういうことはついてまわるもの)、根本的には本人含めて人としても評価をされている人達が周りにいるようですね。

この精神を貫くには、確固たる信念、志、そして人としての道を踏み外さない謙虚さと感謝の気持ちを揺らぐことなく持ち続けること。そして何を目的にし、自分が何を果たす役割を担っているのかを正しく認識し、かつ心にゆとりを持つことがとても重要なのだろうと感じました。

備忘録代わりに書いてみました。