組織としての器作りと同時にコアメンバーの人の繋がり(信頼関係)を大切にすることではじめて物事の歯車が回る。そしてドライブがかかる。
物事が行き詰まるのは、器が不十分か、人の繋がりが不十分か、両方不十分か(両方不十分では話にならないが・・・)といったところだろう。
器は周りに集まる人たちの力でいくらでも修正が利くのだが、コアメンバーの人の繋がり(信頼関係)に難があると、十中八九何をやっても途中で頓挫する。
人が集まるどころか離れることになるからだ。
繋がりと言っても何でこんな人と繋がるのだろうかという人と繋がることもあるし、フェーズによって繋がるべき人が変わることもあるが、根底は人間関係という軸、お互いが信頼し合えるかどうかでしかない。
疑心暗鬼の人間関係ほど無意味なものはない。
単なる知り合いではない繋がりを持てるかどうかだ。
時に意見の相違で激しく衝突することもあるが、向かうべき道が同じでお互い相手に対する尊敬の念があればその衝突は前に進むために必要なことでもある。
そこの衝突を無用に避けようとする人も多いのだが、そこを避けずに向き合うことで一時的に停滞しているように見えることがあっても必ず前に進む。
その場は避けても、同じようなシーンが必ず訪れる。
乗り越えなければいけない壁ということだ。
また、単なる私欲と好き嫌いの感情論を持ち込むようでは、うまくいくことすらうまくいかなくなる。
これも意外にやってしまっている人が多い。
もしも何かの誤りでそのような形になってしまったら(焦っているとそうなる可能性が高い)、発展的な解散や一旦止めてみるということを真面目に考え、向き合ってみることをお勧めする。
一度、立ち止まって周りを見渡すと、焦っていた理由が意味のないことであることや物事の問題の本質に気がつくものだ。
本質を見て動いていけば自ずと道は決まってくる。
道と言っても楽な道ではなく、棘だらけで苦難続きではあるが、そんな棘の道も自分がやるべきことであると認識していれば特に苦もなくやることができるもの。
そういう風に人は作られているらしい。
「やりたいことができねーよ」などと言っているうちはやりたいことなどできないものだ。
大体、やりたいことをやりたいようにやっている人などは稀な存在でもある。
やるべきことをやるべき人を見つけてやればよいのだと思う。
もちろん、その過程においては「我が道」をいきながらという原田流の筋は通しながら。