他責は問題化の始まり | missingmass

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全ては自分自身の発想や言動に帰する。

現実的には100%どちらかの責任であるということはほとんど無いが、ほぼ100%自分自身に責任の一端はあるということだ。

であれば、全ては自分自身の責任であると認識しておいた方が、最悪を想定して動きができる。

だから常に10%程度のキャパシティを持って動く必要がある。

とはいえ、手を抜くということではない。
100%以上の世界で更に10%のキャパシティを持っておくということだ。

余裕をもってというと、大概は手を抜くという解釈をされるが、メリハリと手抜きは違う。

やるべきをやり、やらざるべきはやらない。
更に10%の気持ちの余裕を持つことで様々な突発的事項に対処することが可能になる。

指示を出す側の場合は適切な指示を、出される側の場合はその指示の裏側にある本質をいかに早く掴むかが勝負でもある。

全てを自分自身の問題として考えた時に何をすべきか?が見えてくる。
他人の言動の責任にしているうちは何も見えないものだ。