やや宗教チックなタイトルだが、最近、この見えない力が働いているのではないかと強く感じることが増えた。
一言で言うならば「何かに導かれている」ということだ。
ほとんどのことが自らの意思とは関係なく進んでいく。
無論、自らの意思で動いていると勝手に思い込んでいることもあるのが、後々振り返ると、自らの意思というよりも、そういう環境に自然となっていたということばかりだ。
その環境に逆らわず、変に自らの感情を織り込まず、流れに乗って事を進めていくことに腐心することが、良いのだろうと感じている。
この世に命を受けたからには、多少なりとも何かしらの役割を担っているのであろう。
そう考えるならば、その役割が何かがわからなくとも、導かれるがままにやっていくのみだ。
一人の人の知識や智恵などたかがしれている。
しかし、その知識や智恵をパズルのように組み立てる某かの力が働いているのであれば、そこはある意味お任せだ。
人知では計り知れない力には逆らうのではなく、その力の流れに乗るために何をすべきかを考え、実行していくフェーズに来ているのかもしれない。