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                          ( 長坪村の商店街 )
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                             ( 長坪村の門 )
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           ( 日月山荘前 キャンプ場へツアーメンバーの荷物を運ぶ馬 )
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                         ( 入山手続きする事務所 )
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           ( 登山口手前の店 馬子さんと馬を待っているらしい中国人観光客 )
昨日は体長不良で午後8時に就寝しましたが、この日の朝は午前6時に目が覚めても今にひとつ体調は万全でないと感じました。仕方なく朝食の7時30分まで大人しく部屋で休んでいました。
又、この日はスーツケースの荷物を、キャンプ場に持っていくものをダッフルバッグに入れて、ホテルに置いて残すものとを仕分けしました。
朝食は昨晩同様に油の臭いのするものは食べられないので、おかゆを3杯食べて何とかお腹の空腹を満たしました。相変わらず食欲は無いように思えましたが下痢は収まったので助かりました。
ホテルのロビーに出していたキャンプ場に持っていく荷物をマイクロバスに積んでから出かけました。マイクロバスが走り出して10分程で賑やかな店舗が並んでいる場所に来たので、宿泊したホテルが村の外れにあることがよく分かりました。村の中心街にはチベット風の街灯もありました。
 
長坪村の村長さん宅と言われた日月山荘で登山に持参する水を仕入れますと言われました。マイクロバスから下車して、日月山荘2階にあるトイレに行ってからロビーらしい部屋で休憩しました。我々の入る前には西洋人らしい若者がソファに座っていましたが、我々が中に入ると外に出て行きました。
部屋の窓側にはパソコンが置いてあったので、私が四姑娘山の天気予報の頁を開くと、登頂前日は快晴で、登頂当日は晴れ時々曇という予報だったので「山の天気なので変わることもありますね」と一緒に見ていたHさんに話しかけました。天気予報が見終わってもなかなか出発しそうにないので理由を聞くと「ここで配る筈の水が届いていない」という答えでした。10分ほど経過してから、1階に降りてから水を1本貰いバスに乗り込みました、もう1本はポーターさんが持つということになっているとHさんが説明しました。
この場所から今度は入山するための手続する場所と入山用チケットを買う場所の二箇所があると言うので、Oさんは入山手続事務所へMさんは入山チケットの購入に行くことになり、Mさんはマイクロバスを途中で降りて橋って売場に行きました。マイクロバスは入山手続をするビルの前に行って、手続が終わるのを待っていました。それほど長い時間も掛からずにOさんが出てきて手続は終了したようでした。
再びマイクロバスは登山道の入口まで長坪村の中を走り、小高い丘の上にある土産物屋らしい店の前でバスを下車しました。店の横には馬が繋いであって、ここから馬に乗って観光が出来るようでした。中国人観光客の殆どはここで馬を借りて登山道を上がって行きました。
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            ( 牛棚子 道路の反対側にはマニ車が並んでいる家屋がありました )
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                    ( 仏塔の階段 タルチョが綺麗 )
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                           ( 四姑娘措 )
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                            ( 盆景灘 )
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                   ( 人参果坪 )
紅杉林から次の停車場所の牛棚子までマイクロバスが走る間に、どういう風のふきまわしか分かりませんでしたが、誰かがナンを注文したので若いガイドさんが自分の母親に電話して準備しておいて下さいというようなことがありました。観光客に食べ物を売るのは世界中の観光地では何処も同じですが、ここでは移動中のバスの中で注文取りが行われていたのでした。
牛棚子でバスが停止すると直ぐにHさんがナンを受け取ってツアーメンバーに「一口如何ですか?」とちぎって渡していましたが、この時私は急激な体調不良に見舞われて断りました。
仏塔が見えて景色がいいので体調が良ければ飛びまわるところでしたが、一歩足をだしただけでと胃腸が気持ち悪くなって下痢をしたくなるような感じでした。そんな状態でしたが何とか何枚かの写真を撮影して早々にマイクロバスに乗り込んでツアーメンバーが乗り込むのを待つような状態でした。
私は双橋溝の観光は早く終わってホテルで休みたいという気持ちになっていたので、バスが停車して下車するのが非常に苦痛でした。写真を一枚撮っては直ぐにベンチに腰を掛けて時間が来るのを待っていました。最後の人参果坪ではバスから降りて一枚写真を撮影して直ぐにバスの座席に座ってツアーメンバーが短時間のハイキングから帰ってくるのを待っていました。
双橋溝の観光は午前12時過ぎに終わって、双橋溝の入り口までくるとほっとしました。この時は朝方と違って門前には物売りの店が並び、観光客も多くて賑わっていました。そういう光景を撮影したいと思いながらも体は動かず頭の中に光景を焼きつけるだけで、早くホテルに帰りたいという一心でした。
 
ツアーの予定では、昼食は村長さん宅で食べる予定なので、双橋溝の入口でバスが待っていました。私は体調に限界を感じていたので「ホテルの帰ることにします」とHさんに告げるとOさんがホテルまで送ってくれました。ホテルまでの歩きは先ほどよりは体調は改善していましたが炎天でもあり少々辛く感じました。Oさんは高山病ではないかと疑って「今までにこういう症状はありましたか?」と質問するので「ありませんでした」と答えました。高山病ではなくて軽い風邪と下痢による体調不良ではなかったと思いました。
ホテルに入ると近道で部屋まで連れて行ってくれて、Oさんは緊急時にはホテルの受付にこれを見せて連絡して下さいと紙に電話番号と名前を書いた伝言を書いてから出て行きました。
私はリュックサックを下ろし、靴を脱いでからベッドに入ると、部屋の冷気が気持ちよくて直ぐに寝込んでしまいました。午後1時から4時半くらいまで熟睡して目が覚めました。この昼寝が効を奏したのか、少し体調が回復したように思いました。
昨日までの疲れとか、この部屋のシャワーも十分な温度調節が出来ずにややぬるいシャワーを浴びたのも悪かったのかと色々な原因を考えてしまいました。
ツアーの午後は長坪溝のハイキングでしたが、バスの都合でホテルに帰るのが遅れたというのでツアーメンバーは予定よりも1時間遅れた、午後5時30分頃にホテルのロビーに現れました。Hさんから「顔色がよくなりましたね」と言われたので、多分少しは体調が回復したのかと感じました。
夕食時には食欲も少しありましたが、油で炒めた野菜や肉は匂いだけで体が拒否反応をするような感じでしたので、ご飯だけをたべて済ませ、体調が悪いのでシャワーも使わず午後7時過ぎには寝ました。
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             ( 双橋溝入り口 ガラスの床下は川の水が流れていました )
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( 紅杉林から見上げた山々 少しだけ残る氷河が見える )
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                          ( 紅杉林の木道 )
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    ( 中国人らしい観光客 ツアーメンバーも全員が同じような民族衣装で撮影してもらいました )
午前8時30分にホテル正面に全員が集合してから、近道というのでホテルのレストラン前から従業員宿舎の前を通り、警備員のいる守衛所前を通って双橋溝に向いました。ほんの五分ほどで到着するほどの近さでした。
入場の手続にはパスポートが必要なのでHさんが全員分を集めてOさんMさんと一緒に入場券を買いに行きました。未だ朝早い時間でしたが、双橋溝の門の前に続々と中国人の家族連れが集っていました。こういう光景を見た時に、昨年登山に行った時の添乗員のKさんが言っていた通り「中国でも有名な観光場所なので混んでいますよ」と言った意味がよく理解出来ました。
中国語の溝とは峡谷を意味していて、氷河の削ったU字谷を見るような景色なので、その景色は中国のスイスと言われれてもおかしく無いた比喩だと思いました。   
双橋溝の観光はスポットをバスで下車しながら景色を見る方式になっていて、歩くことは殆ど無い普通の観光地でした。途中一箇所カヌーの渓流下りで戻る場所も作られていました。バスが停車する場所の名前はそれぞれ、人参菓坪、姑櫛灘、牛棚子、紅杉林とかつけられていました。
景色だけを見ていると林があり川が流れているので標高を全く感じませんが、少し早く歩くと息苦しくなるので3000mの標高を意識することができる場所でした。
 
マイクロバスには20人ほどが乗れましたが、ツアーメンバー10名と日本人添乗員Hさんに加えて中国人観光客を含めて満席となりました。OさんとMんは立ったままでした。
現地チベット族の民族衣装を着た若い女性が早口の中国語で何かを説明していました。Mさんは説明よりも彼女が独身かどうか気になっていたようで質問すると「未だチャンスはありますよ」と返事があったそうです。Oさんによれば「きれいな標準の中国語で喋っています」と説明していたのでちゃんとした教育を受けているのだろうと思いました。私にはしっかり者の女性のように見えました。
帰り道ではカヌーで途中まで下れますという説明では「時々カヌーに穴が空いていておぼれることもあります」と説明していますよとOさんから聞くと、中々ユーモアのある説明だと思いました。
バスは50分程走って、終点の小さな氷河のある峰が連なるのが見える、紅杉林という場所に到着しました。
先ずはトイレに行こうというので土産物が並ぶ場所を通ると「松茸」とか「10元でいいよ」とか日本語で売り込みをされました。土産物屋の奥にある中国式トイレで用を済まして土産物屋の前に戻ると、民族衣装を着た子供が子山羊を連れて10元札を見せていました。10元で撮影できるよということだろうと思いましたが、撮影はしませんでした。なかなかに可愛いのですが、観光用の撮影では面白くもなかろうというのが私の感想でした。
この場所では紅杉林の中を一周する木道があるので歩きました。標高が3000m近いので早くは歩けませんでした。木道の途中、展望のきく小さな広場で民族衣装を着けた中国人観光客らしい男女が撮影をしていました。
ここに民族衣装を10元で貸しますというおばさんが3人ほどいて売り込みをうけました。最初は気乗りしませんでしたが「10元というと130円くらいですかね」と何だかえらく安いものに思えたのか、全員が衣装を借りて記念撮影をすることになりました。「夫婦で10元にしてもらいました」というような人もいて、着替えとか撮影だとかで騒いだので、一時の賑わいを見せていました。帰り際には、民族衣装を貸す商売をしているおばさんはここにきてよかったというようなことを話しているように見えました。
Oさんもこういう状況になるとは思わなかったのか「はい、全員10元払いましたか?」と言ってバス乗り場の方にメンバーを誘導して行きました。
そこには先ほどの民族衣装を着た子供が子山羊を連れて現れたので、我々のツアーに売り込みにきているのかなと思い、小さいのに商売熱心だと思いました。
バス乗り場では民族衣装を着た若い女性ガイドは人気あって写真を皆が撮影していました。美人ではありませんでしたが明るくてしっかりした女性に思えて、ふらふらしているMさんなんかとはいい組み合わせだなと勝手に考えてしまいました。
 
この時は標高が高くて歩くのが苦しかっただけで体調は悪いとは思えませんでした。しかし、これから先では、どういう加減か分かりませんでしたが、バスに乗っているだけであれば何ともないのですが、一歩足を踏み出すと下痢になるような感覚になって歩くのが辛くて、体調が悪くて苦しいのを我慢してふらふらしながらカメラで撮影しました。それが時間が経過する程に悪くなって、最後の観光場所ではツアーメンバーが15分程歩いて回っていたのを私はバスの中でじっと待つような状態になりました。
 
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                    ( ホテルの前の商店で野采を売っていた )
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                    ( 壁に色々な模様が描いてある家が特徴的 )
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                ( 朝食のための野菜をあらっているらしい光景 )
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             ( 朝食でおかずを取ったものの、ご飯だけしか食べられませんでした )
夜は激しい下痢で睡眠不足でしたが、午前6時前に目を覚ましてしまいました。登山できるような格好に着替えてホテルの周りを散歩しました。
ホテルの正門の前まできて村の通りを眺めると、野菜を売っている店があったので撮影しました。この道の先の小さな畑ではキャベツが植えられているのを見て、このような山地でも育つというのを確認しました。
何か珍しいものでも見られないかと思っていたのですが、ホテルからほんの5分程歩いてもチベット風の建物がぽつぽつあるだけの何も見どころの無い場所だと分かって早々にホテルに引き揚げました。
 
朝食時に他のツアーメンバーも下痢になっていないかどうか気になりましたが、私を除いて全員が元気でしたので、これは私だけのことかと分かりました。体調が悪いので朝食はおかゆだけにして、他の油を使ったおかずは一切たべられませんでした。この時は、時間がたてば自然に治るかと思いましたが、この日は時間が経過するにつれて段々と悪くなっていきました
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                   ( 夾金峠から日隆鎮に向かう下り坂 )
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                  ( 山道を下るチベット風建物が見える村が見えました )
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                     ( 日隆鎮長坪村外れのホテル )
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              ( ホテルのシンボルらしいロビーに鎮座する鹿の剥製 )
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           ( ホテルの夕食 この中の何かが当たり激しい下痢に襲われました )
視界ゼロの爽金峠を下り一路日隆鎮の長坪村に向いました。マイクロバスは上り坂ではエンジンが唸りを上げていましたが、急こう配の下り道になるとエンジンブレーキの音に変わりました。上り坂でも下り坂でも、エンジンから出る大きな音はずっと車内に鳴り響き続けていました。
つづれ折れの道が終わると普通の緩やかな下りの山道になり、その先にチベット民族らしい形をした建物が見えて来てほっとしました。何時まで続くのかと思われた人気の無い山道から村の建物が見えると、間もなくホテルに到着するという安心感が湧き出てそう感じたのだろうと思いました。
谷間の幾つかの小さな村を通って漸く日隆鎮長坪村に入りました。村に入るとマイクロバスが再び停車して、中年の男がバスの横に来て松茸に見える大きなきのこを手渡しました。これを買ってくれということなのか?と思いました。その松茸に見えるのは村民が山で見つけたものだと説明して、ツアーメンバーは全員が匂いを確認しました。私は形ばかりが松茸に似ていても臭いが全く違うので、即座に別の人に渡しました。結局誰も買いたいという人は現れないので男に松茸に見えるきのこを戻してからホテルに向いました。
 
成都のホテルを出たのが朝9時位で、色々な事故に巡り合いながらも何とか日隆鎮に辿り着いたのは午後8時を少し回っていたので、約12時間の移動をバスの中で過ごしたことになりました。高速道路を走ったのは2時間位の短いものでしたが、上り坂の山道を走る時間が長かったので、バスでの移動で疲れが出たように感じました。
日隆鎮長坪村の外れの閑散とした地区にある新四姑娘山荘は、チベット族らしい建物の外観の小奇麗なホテルで、入口には大きな剥製の鹿がシンボルとしておいてありました。しかし電気代を節約しているせいか、正面ロビーは照明も消していて暗い場所でした。
 
カードキーを貰い自分の部屋に行くとちゃんと紙製のスリッパが置いてあったので助かりました。事故があって、到着が予定よりも3時間以上は遅れたので直ぐにレストランで遅い夕食をとることになりました。
中華料理なので、油で炒めた野菜と肉にスープという内容でしたが、明日から登山の練習になるというのを意識して食欲が無いのに無理して油で炒めた野菜を多めに食べてしまいました。Hさんは「この地方では炒め物に使う油は菜種油で、ゴマ油は高級すぎて使っていません」と説明していました。野菜は見慣れないものばかりでしたが、キャベツの炒め物は薄味でツアーメンバー全員が食べやすいと言っていました。
昼食と夕食が油で炒めたものばかりだったせいかどうか分かりませんが、この日夜に激しい下痢に襲われて、何回もトイレに行きました。しかしながら朝方になっても収まらず体調を崩してしまいました。崖崩れの現場で重い荷物を持って疲れたのと、夾金峠で冷たい風に吹かれて風邪をひいたのかのかも知れないと思いました。
翌日、ツアーメンバーも全員が下痢になったのではないかと予測しましたが、下痢になったのは私だけだと知ると、会社での仕事の疲れが取れないままツアーに参加して、その上バス移動の疲れで体調が崩れたのかなと思ったのでした。
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                          ( 雲の中の夾金峠 )
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           ( 男子用中国式トイレ 穴だけがある、勿論トイレットペーパーも無い )
暫く急勾配のつづれ折れの道路を走ると夾金峠に到着しました。「ここでは何時も現地の人がトイレ利用料として一元徴収しています」とHさんが説明していました。マイクロバスが到着した時、夾金峠は雲の中で視界ゼロで、人っ子一人いない寂しい場所でした。勿論トイレ利用料を徴収する人もいませんでした。
その時は天気が悪くて皆家に帰ったのかなと思ったのですが、時刻は既に午後7時で時間が遅くて皆いなかったのだと考え直したのは、帰国時に再びこの場所に来て物売りの賑わいを見た時でした。
ツアーの予定ではこの場所でブルーポピーの見学をする予定でしたが、事故が続いて予定が大幅に遅れたので、Hさんは「帰りに寄りましょう」と言って、この場所は10分程休憩しただけで日隆鎮に峠を下って向かいました。
 
夾金峠は標高が4114mなので富士山よりも高い場所でしたが、私はシャツ一枚でも丁度気持ちよく感じました。この時既に少し微熱があったのかも知れないと後で思いました。他の9名のツアーメンバーは全員が雨具やダウンジャケットを着ていました。シャツ姿は私と半袖の開襟シャツの運転手しかいないのでお互いに元気なのを手振りで確認しました。運転手の顔を見ると日焼けして真っ黒なので手振りで黒いねと示すと、そうだよと自分の顔を指差していました。翌日、この運転手が双橋溝観光の時に乗ったマイクロバスの運転手だったのでびっくりしました。毎日あちこちでマイクロバスを運転しているのだと知らされました。
 
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              ( 宝興を出て直ぐの田舎道 未だ勾配は殆ど無い平坦な道 )
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                 ( はるか下に登って来た道路が小さく見える )
 
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                    ( 険しい傾斜のつづれ折れの山道が見える )
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                    ( 登り道の途中トイレ休憩した場所 )
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                        ( 夾金峠手前から見た上り坂 )
宝興の街外れの崖崩れ現場からマイクロバスは神風タクシーの如くものすごいスピードで走り出しました。2車線の田舎道で対向車が少ないので殆ど道路の中央をくねくねする道を走っていました。
この時は午後5時くらいの時間でしたが、時差以上に暮れるのが遅く明るいので夕方という感覚ではありませんでした。しかし、予定からは3時間以上も遅れているので運転手も早く家に帰りたいと思っていたのかも知れません。
宝興の標高約1000mから夾金峠の標高約4100mの標高差3000mをマイクロバスで約2時間も掛けて上がって行きましたが、途中で舗装が切れてのろのろと進む場所が少しはありましたが、殆どはエンジン音がうなりを上げる猛スピードで上り坂をものともせずぐんぐんと登って行きました。
富士山の1合目でも標高は1400mなので、ほぼ富士山の1合目から頂上を越えた場所までをマイクロバスで2時間で登ってしまのと同じだと思います。乗客も高山病にかかる時間も無い程だと思いました。
 
宝興を出て、その先の村の雑貨店でピックアップトラックが突然停車したのでマイクロバスも後ろについて停車しました。何事が起きたのかと分からなかったのですが、Oさんが「ピックアップトラックに同乗してきた若い女性がしこたまお菓子を買い込んでいるよ」と言って「日隆鎮では値段が高いので、ここで買いこんでいるのでしょうのでしょう」と解説してました。がけ崩れの場所では、若い女性はピックアップトラックで荷物を運ぶために手伝いで来ているのかと思っていたのですが、彼女の目的は買物だったかも知れないと、Oさんの説明を聞いて納得しました。
 
川沿いの道から先に進むとダム湖があって、湖の周りをぐるりと回ると、つづれ折れの山道に入りました。道は途中で舗装が無い泥道や水溜りの道になりましたが、こんな高い山の道でも舗装してあるのには驚きました。しかし道の途中には落石や小さながけ崩れで道路の半分しか使えない場所もあって危険だと感じました。運転手さんはそんなことは日常茶飯事であるような感覚だったでしょう、兎に角急げ急げという気持ちが現れるようなものすごいスピードで山道をどんどんと登っていきました。
夾金峠の手前で一人のおばあさんがどうしてもトイレに行きたいというので、古いトイレらしい建物の前
でバスを停車させました。山の斜面にはヤクとか牛豚が放牧されており、牛追いの男性が道路を横切って追い落としていました。 
「トイレは汚いかもしれませんよ」と言われた建物は古そうなもので、使われているかどうかも分からないと思える程でしたが、何も無い平原なので仕方なく入ったのだと思います。男性の小用はその場所から垂れ流すだけなので簡単に済ますことが出来ました。
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                       ( 宝興に至る崖沿いの道路 )
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                  ( 宝興の街の昼下がり 蒸し暑くて人かげが無い )
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                ( 崖崩れの手前でバスを降りて乗用車で荷物を運ぶ )
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                  ( 崖崩れの現場 左側の建物がダム設備 )
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            ( 崖崩れ現場から、夾金峠を経て日隆鎮に行くマイクロバス )
交通事故現場からトウモロコシ畑の見える田舎道を経て川沿いの断崖道路を走り、宝興近くになると添乗員のHさんが「バスは宝興のレストランで日隆鎮に行くマイクロバスに乗り換える予定でしたが、事故があって出迎えのホテルまで来られません。行けるところまでこのバスで行きます」と予定変更があった旨の説明を車内でしました。ツアーメンバーはどういう状況か分からないので誰も反応しませんでした。それよりも、昼食の時間が午後1時から3時頃になって2時間も遅れたてすっかり体調がおかしくなっていた事に気を取られていました。
バスが鄙びた田舎町の宝興に入り、ガタゴトと未舗装の道をゆっくり進むと夾金山大飯店というホテルに入りました。「レストランは奥の別館です」と説明されたのでその場所に入ると、広いホールのような場所のひとつのテーブルに皿が置いてあったので座るべきテーブルは直ぐに分かりました。とっくに昼食の時間が過ぎていて従業員らしい若い女性が入口のテーブルでお喋りしているところでした。
ここのレストランで出た昼食の、油で炒めた野菜や肉にスープとご飯を食べましたが、蒸し暑い上に時間が遅い昼食で食欲が失せたせいか美味しいとは思えない昼食でした。
お酒の好きな人はビールを注文していましたが、「冷えていませんよ」という注意を添乗員からされても注文をしていました。酒の飲める人は冷えていないビールでもは気分転換が出来て、少しは疲れが回復できていたのではないかと思いました。
 
昼食後、午後3時過ぎに宝興の夾金山大飯店を出てバスは10分程山道を走り、小さな橋のある手前で停車しました。左側は舗装のしていない道路で、そこに乗用車が停車していました。
「この場所でバスからスーツケースを下ろして車で運びます」とHさんから言われて、バスからスーツケースを道端に並べて乗用車に積み込みました。「奥のダムのある場所まで運びます」という説明でしたが、この場所では状況が分かりませんでした。兎に角、スーツケースとツアーメンバーを乗用車で何回かに分けて運搬しました。一度には3人しか乗せられないので、ツアーメンバーはこの工事現場らしい場所に立って運搬の順番を待っていました。
私は2回目に乗用車に乗せてもらいダムの下までスーツケースと一緒に運んで貰って車を降りると現場の状況が理解出来ました。小規模な発電用ダムのある場所の横の山が崩壊して道を塞いでいるので、車が通行できない状態でした。宝興に行く途中バスの添乗員が何回も長電話をしていた理由がようやく分かりました。
スーツケースを運ぶのに5・6分もがたがた道を行くので全員がダムの下に揃うのは時間がかかるのかと思いましたが、地元のタクシーだと言われて現われた古い自動車に残りの全員が乗ってきたので、ツアーメンバーが揃うまでにそれ程待ち時間はありませんでした。
がけ崩れの反対側の道に「マイクロバスとスーツケースを運搬する車が待っているので、荷物はダムの階段を上がって運んでください」と言われたのでした。10人分のスーツケース約200Kgと水やスイカにテント生活で使う食料を上げなければなりませんでした。
私は自分の約20Kgのスーツケースと、ツアーメンバー用の水約20本約10Kgを両手に持ってダムの階段を上がりました。高さは約三十メートルくらいはあると思いました。階段を一段また一段と登り、発電所の室内を横切って道路に行くと、荷物を載せるピックアップトラックが待っていたのでスーツケースを載せて、水も預けました。
この重い荷物の運搬で体中の1日のエネルギーが全て取られたような感覚になりました。長いバス移動の疲労と重い荷物を運んだ疲労が重なりあい、足取りはふらふらし、体はぐったりしてマイクロバスに乗り込みました。
 
この事態は、たまたま現地添乗員Mさんの上司に当たる人が日隆鎮に来ていて、その帰り道に我々と遭遇したので対応ができたと言うのも何かの縁だったかもしれないと思いました。
この未舗装の一般道からダムのある場所までの道は、工事中で一般車は通行出来なかったので最初は通行を拒否されていたそうですが、Mさんの上司にあたる人が現地の有力者に頼み込んで車での通行を許されたと聞かされました。その上司に当たる人は、こういう騒ぎがあったので昼飯もとれなかったとかという苦労話を後ほど聞かされたのでした。
 
この日の午前中は三重交通事故、午後は道路の崖崩れで通行不可という事態に遭遇して時間が遅れましたが、それでも何とか乗り越えて目的地に向かって進めたというので、ある意味ではものすごく幸運だったかとも思いました。
こういう事件は中国の田舎では日常茶飯事という事だったかも知れません。そういう中国の田舎の実態についても見聞出来たことは、単なる山登りに来た以上に貴重な経験が出来たと思いました。
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                      ( 横転したトレーラーの運転席 )
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      ( 右側が材木を過積載していたトラック トウモロコシ畑から材木を拾って積みなおしていた )
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                     ( 路線バスに追突した乗用車 )
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            ( 農家の前で路線バスを待っているらしい人々 )
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                ( 事故現場に現れた中国陸軍?が知らん顔をして走って通り過ぎて行きました )
芦山という街を過ぎると、なだらかな山の斜面には青々とした稲の田圃やトウモロコシ畑の続く田舎道になりました。道が山道になってくると段々畑が見えていい景色だと思って外を見ていたら、先方に車が停止しているのが見えたのでバスは一旦停車しました。現地添乗員のOさんが「ちょっと様子を見てきます」と言って、バスを降りて炎天下の中を歩いて行きました。
5分ほどして帰ってくると「先でトレーラーが横転していて元に戻すのに時間が掛かりますので暫く待って下さい」と説明すると、トイレに行きたくなる人が出ました。バスの横の崖下にはトウモロコシ畑が広がっているので、少し行けば姿が見えなくなるので「あそこでどうですか」とHさんに言われ、最初に一人行ってから何人から順番に行きました。私もトウモロコシ畑の畦道に下りて歩くとバスが見えなくなった辺りで小便をしました、乾いた大地に吸い込まれるようでしたので、自分自身がすっきりしたというだけでなく何となくトウモロコシの水遣りに役に立ったような気分でした。
 
この時、Mさんがバスの後方の道端で農家の人がスイカを売っているのを見つけて「スイカを買ってきます」とバスを出て、麻袋に沢山のスイカを入れてバスに持ち込んできました。以後、キャンプ場でのデザートに度々このスイカが登場して食べることが出来たのは、不幸中の幸いとはこういうことかと思い知ったのでした。
最初は30分位でバスは動きますと言っていたのが動かないので、Oさんが再び事故現場を見に行きました。クレーン車がバスの横を通り過ぎて行ったので横転した車は元に戻っていると想像されました。Oさんの話では、横転した車を元に戻しただけでは車が通れる幅が無いので、トレーラーを少し前に動かさなければならないということでした。
「運転手はオイルを入れれば動くのでそれまで待ってくれと運転手が言っている」と話してから「中国では本人がやると言っている以上待たなくてはなりません」とツアーメンバーを説得するための口上ではないかと思われるような解説をして、もう暫く我慢して下さいと言っていました。
横転したトレーラーにオイルを入れてエンジンを掛けると「油が漏れているので、これを塞がないと動きません、と運転手から言われました」とOさんが再び状況を説明したので、更に2・30分程待たされました。最後にはトレーラーは少し前に出て道の横に停車位置を動かしたので車が通れる隙間が出来たようでした。
 
1時間以上もバスが停車してから漸く宝興方面からの車が流れてきたので漸く動き出すのかと思いました。バスが100mほども進むと再び停車してしまいました。
Oさんが状況を見るために再び下車して戻ってくると「路線バスに乗用車が追突しました」という新しい事故の説明でした。さっさと事故車は横にのけて進めばいいのにと思いながら道路を見ていると、路線バスと乗用車の運転手に乗客らしき人も加わって口論になっているようでした。
又、この時宝興方面から木材を山のように積んだ過積載のトラックから材木がトウモロコシ畑に落ちたので元通りに積むので時間が掛かりますと説明されて再びバスは停車してしまいました。
しかしながら、トレーラーが前に少し動いて道路の端に寄ったので、車1台だけはこのトレーラと木材を積んだトラックの間を抜けて何とか通れるようになったと見えました。バスは少し先に進むと反対側からも車が来て、バスと車の運転手が降りてどちらを先に通すか口論して、結局バスを少し後退させて車を先に通すことにしました。この時警察官らしい制服を着た男が現れて現場の交通整理を始めたので漸くバスはこの交通事故現場から抜け出すことが出来ました。
 
トレーラーが横転したり、過積載の材木が落下した原因は、舗装してある道路中央部分の2・3m位が2・30cmも陥没しているので運転に気をつける必要のある場所でした。
この事故現場の横は農家で、事故に気も取られずに菜種を洗って泥を落とし筵の上で干したり、反対側のトウモロコシ畑に水をやるためにおじいさんが水桶を運んでいたりと、全く事故には無頓着な様子が面白く感じられました。日本なら皆が野次馬になって大勢が遠巻きにして見ているところでしょうが、そういう事が全く無い光景は異国にいるという事を強く感じされる時でした。
農家の前が路線バスの停留所になっているようで、事故で相当に時間が遅れているにも関わらず皆でのんびりと話をしてバスの到着を待っている様子は、時間に追われる生活をしている私には驚きの光景でした。バスがようやく動き出すと、道の反対側には車がずらりと並んで待っていて、最後列のトラックの運転手は草の上で昼寝をしていて時間が来るのを待ちくたびれているように見えました。
 
この事故のおかげで約2時間くらいも停止やのろのろ運転をしていましたが、時間の経つのはすっかり忘れて珍しい物を見る野次馬になっていました。
野次馬の一人はバスを降りて農家の人が小川の水で洗ってから筵で干している黒い粒が何か聞きに行きました。ついでに、その野次馬が小川で農家の人に水で手を洗わせて貰っていのを見た添乗員のHさんは、農家の人に心付けの元を渡していました。
 
この事故騒動の最中に中国陸軍らしき10人位の一団が訓練で道を走ってきました。こんな大事故現場に遭遇しているので手伝いでもしたらどうかと思ったのですが、自分達は訓練中で事故とは無関係というのが彼らの言い分だろうとは容易に想像のつく場面でした。
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                  ( 芦山市に入る道にある通行料金所 )
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                         ( 芦山市の昔の家々 )
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                         ( 芦山市の木の根彫刻の店 )
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                (  新しい芦山市のビル群、住居用マンションもありました )
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        ( 芦山市の真新しい学校 学校の脇にはトウモロコシが植えてあったのが印象的 )
この日、50人乗バスは成都から雅安までを高速で行き、雅安から宝興までは一般道を走り、宝興から日隆鎮までは山岳道路で道幅が狭いので、ツアーメンバーはマイクロバスに乗り換え,スーツケースはもう一台の運搬車で運ぶ予定でした。昼食は宝興のホテルでとる予定で、時間通り行っても午後1時過ぎの遅い時間になる見込みでした。
景色の見えない高速道路を雅安で降り、一般道を宝興に向けてバスが走り出すと、中国の今が見えてきました。雅安は登山後に両替のために立ち寄ったので街の様子はその時のほうがよく分かりましたが、バスの車窓から眺めているだけでも生活水準は明らかに成都よりは落ちると思えるのは一目瞭然でした。この時の雅安の街の印象は、古臭い一世代も前のビルと真新しいビルが居並ぶごちゃごちゃした町であると思いました。
雅安を出ると直ぐに田舎道になり、トウモロコシ畑が続く道を進みました。途中ではキウイの原産地という説明もあった場所もあり、道端に店が出ていました。又その先には太い木の根を使った飾り物を作っている中国らしい特産物の工房が並ぶ場所もありました。
 
そういう田舎道の両側に見える古臭い瓦葺の家々が、突然近代的な街に変貌している街がありました。芦山という名前の街で、古い昔の中国の二車線の田舎道町が、ある街かどから突如四車線の広い道路に変わり、道路の両側には近代的なビルが並んで立っている異様な光景でした。再開発では無く、新しい街を作っているように思えました。まるで田圃に突如出現した御伽噺のようなきれいな街ができていると思いました。
この芦山という街に入る時に関所があって料金を払うようになっていたのは、こういう街を作るための金を通行料でも賄っているのだと、街を通過してから理解ができました。
このような新しい街を作ることができるのは中央集権国家ならではのことだろうと感じて、何も出来ない日本のぐうたらな政治とは大きな違いだとも思えました。