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                   ( 花海子に行く途中、家のある前で休憩 )
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                  ( 花海子から川上を望む 曇りで奥の山が見えない )
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                       ( 花海子から下流方面を望む )
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                  ( これが花海子? 遥か右奥に集落が見える )
大海子は取り立てて何も見るものが無い場所で撮影するような場所も無く、十分程休憩してから更に奥の花海子に進みました。この道は湖を遥か右下に眺めながらの細い泥道でした。
湖で釣りをしている中国人が何人もいました。途中で7.8歳くらいの子供が道端に座っていたのが見えたと思うと、何時の間にか現地ガイドの後ろから一緒に歩いていました。途中で大きな声が後ろから聞こえたので子供を呼び返す声かとも思いましたが、子供はそのまま花海子に一緒に歩きました。現地の子供で遊び場所もなく、この細い道を行ったり来たりして遊びにしているのかなと思いました。
花海子に行く途中で現地の人が住んでいるらしい家のある場所で休憩しました。ここには小さな広場があって観光客の物らしい荷物がビニールで包んであったりしたので、中国人観光客がここでキャンプをしていたのかも知れないと思いました。誰も居なかったので、馬で荷物を運ぶのだろうと思いました。この家の前を通った時に、この家主らしい年配の中国人が笑いながら「ニイハオ」と一行に声をかけてきました。 
 
大海子から悪路を約60分程も歩くと「ここが花海子です」と言われた場所は牧場のような草原が広がる場所でした。湖は小さくて川なのか湖なのか判然としませんでしたが、川幅が広い場所が湖と言われる場所だろうと見えました。天気が悪く曇なので奥に見えるべき山々も見えない冴えない風景でした。
標高が3800mといえば富士山の頂上と同じ標高ですが、川が流れて潅木が繁っている風景は日本では見られないものだと思うと一種独特の感慨を持ちました。
放牧生活で生計を立てているらしい厳しい環境に居住している人々に対して、都会生活をしている我々とは全く理解できない生活があるのだと思うと、言葉では表現できない感情がわきあがるのを感じました。人間の生活の原点というべきものを見た思いがして、雑事に追われて生活に余裕のない自身の毎日の意味を考えてしまうという場面でもあると思いました。
それにこの湖の反対側には小さな集落が見えたのも更なる驚きでした、日本で言えば限界集落と言うような場所だと思いましたが、ここではそういう事はなく普通の村の生活があるように思えました。
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              ( 大海子の家の前で賭けごとに興じる現地ガイドとポーター )
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                         ( 大海子を望む光景 )
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               ( 大海子を雑草の花と一緒に撮影 )
大海子という場所は湖の横の広場かと想像していたのですが実際は湖の上にある丘でした。こういう奥地でも居住している人がいるらしく、石を積んだ家の回りには立派な鶏が何羽もいました。夏場の観光の季節のみの住居かもしれません。現地ガイドやポーターさん達は到着するやいなや、家の前の小さな岩のテーブルで賭け事を始めて楽しんでいました。
この日は生憎曇り空で遠くに見える筈の四姑娘山も望めず、富士山頂上と同じ標高の場所にある湖を見るだけでした。
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              ( 老牛園子キャンプ場から道に上がる急坂 )
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                     ( サルオガセのある灌木の細い道を歩く )
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                          ( 道から見える川 )
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             ( 大海子=湖の意 標高3800m 富士山頂上と同じだ! )
5日目の朝、午前6時30分に起床してもテントの外には椅子も無く何もすることが出来ませんでした。曇り空の下、沢山のテントを見たりして過ごすしかありませんでした。馬や牛が放牧されているので、そういう姿を見ているか、川の流れる音を音楽がわりに聞いていました。
午前7時30分に朝食で、恒例のおかゆに数種類のおかずがついていました。おかずは全て油で炒めたものばかりでくどくて食べられず、おかゆを3杯食べてお腹を満たしました。朝食後も歯を磨くお湯があるのは助かりました。50リットルほどのプラスチック製のタンクに蛇口がついていました。食事をする横にも水筒やテルモスに入れる熱いお湯がありました。このお湯はテント場の奥にある小さな小屋で薪を燃やして大きな筒鍋で沸かしていました。又、ここが現地の人達の憩いの場になっているようで、何時も二三人が集って話をしていました。
 
午前8時30分、準備体操を念入りにして出発しました。この日のスケジュールは大海子と花海子という二つの湖まで高度順応のために往復するというものでした。昼食も老牛園子に帰ってから食べるというスケジュールで、こういう時間の過ごし方がもったいないような気がしました。私は時間が有り余るので「反対側の山に登ってもいいですか?」というほどの気持ちでした。
高度順応日なので昼寝は呼吸が浅くなるので宜しく無いと登山ベテランのKさんが言うので、起きていなくてはならないのですが何をしようかと出かける前からハイキング後の予定をあれこれと考えてしまいました。
老牛園子から大海子やその先の花海子の道は悪いので長靴がお勧めですと旅行説明書に書いてありましたし、Hさんも「以前のツアーで長靴で歩いた人の話では、快適でしたという感想もありますよ」と紹介していました。長靴を準備していたのは5人だけで、私ともう一人は短いゴム長でした。前日の夕食時に長靴の話がでて、早野さんは短いものは辞めたほうがいいという話だったので私は汚れても仕方無いと登山靴で出かけることにしました。しかし、長靴をはいた一人の女性は途中で2回も滑ってズボンを汚していたので、登山靴が汚れても足が滑らないと言う意味では登山靴で歩いて正解だと思いました。
 
歩きの遅い私が一番先頭で出かけましたが、コースはキャンプ場後ろの丘を上がり、日隆から大海子や花海子まで馬で観光する道に出て歩くというコースでした。一番きつかったのは、最初の丘を上がる場所でした。50m程も上がるのだと思いましたが、急坂なので息が切れて水を飲みながら少しずつ進みましたが、歩みが遅くて他のツアーメンバーには迷惑を掛けたのかも知れませんでした。
馬が歩く観光の山道に入ると、説明通りに泥でぐちゃぐちゃの場所が多くて、慎重に固そうな場所を探しながら歩くと言うようなゆっくりした歩きしか出来ないような道でした。見通しも悪い場所が多くて眺望が無く、ハイキングとしては適していないと感じました。それでも大海子の近くでは草原の丘が広がっていて気持ちがよいものでした。天気が悪くて山の緑が冴えないのが残念といえば残念に思えました。
中国人の観光客は長坪村からこの大海子迄を馬で往復する人が大半のようでした。この先花海子は道が狭くて馬が人を乗せて進むのは難しいように思われた場所でした。
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              ( 老牛園子のトイレのある場所から見たからキャンプ場 )
夕食前にテントの前にいた中国人ガイドO王さんと立話をすると色々と興味深い話を聞くことが出来ました。私の知りたいことは、この地域に住んでいるのはチベット族であるというので、チベットの風葬は今でも行なわれているかということでした。
中国ではお墓という意味では普通は火葬が一般的と聞きましたが、病気や事故死は土葬にするという話でした。
しかしながらチベットでは風葬だけでなく水葬も行なわれていると初めて聞きました。Oさんはチベットで早朝朝焼けの頃、僧侶が川で赤いものを投げているものを見たことがあるそうです。それは人間の死体を切り刻んで川に投げているということでした。「それでチベットでは魚は食べません」とも言っていました。
風葬は、お寺で死体を切り刻んで台の上に置いて、鷹や鷲をおびき寄せるための木を燃やして煙を上げて、台の上の死体を食べさせるのだそうです。
「残った骨はどうなりますか?」と質問するとOさんは「以前ツアーでチベットに行った時、その死体を乗せる台を見に行こうというのでお寺に行くと、髑髏で作った壁がありました。でも、そういう場所に行くとそういうものが自然に見えました」という感想を述べていました。
 
チベットに行ったというK夫婦が「青海鉄道での旅はどうですか?」と質問すると王さんは「チベットに行くのならバスで二三日掛けて行くのが最高ですよ。見渡す限りの草原の先に白い峰々が見えて、それは素晴らしいです」と解説をしていました。せかせかと急ぎの旅行ではなく、のんびりと旅した方が風情がありますという意味では至極当然な答えかなと感じました。
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                 ( トイレの場所は小川に渡してある丸太の橋を渡る )
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( 地面に穴だけがあるトイレ )
このキャンプ場のトイレは地面に長細い穴が掘ってあるだけのもので、周りはブルーのビニールシートで囲ってありました。入口にはトイレットペーパーを捨てる黒いゴミ袋が掛かっていました。
夜中のトイレは暗闇でヘッドランプでこの穴を照らしながら用をたす味気ないものでしたが、日中に大便を出すときは川の流れを見て近くに咲くうすゆき草(エーデルワイス)などの花を見ながらの姿勢になるので私にはとても贅沢で楽しいものに感じられました。
 
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             ( 手前の黄色のテントが我々のツアーのテント )
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                 ( 各人が自分の割当られたテントに荷物を入れる )
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                            ( 食堂のテント )
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                ( 夕食に添乗員さんが持参した味噌汁を出してくれました )
老牛園子に到着するとテントの割当がありました。「ホテルで一人部屋を予約している人は、テントも一張りです」と説明があると、Hさんは「えー」と声を出してがっくりしていました。Hさんは会社で同期だった工藤さんと一緒のテントで寝ることになりました。二人用テントは少し大き目のものでしたが、やはり2人で窮屈ではないかと思えました。
私は割り当てられたテントに入り、馬で運んだ荷物とリュックサックを置いてから、食堂となっているテントに行きました。
ここのテント場は旅行会社毎に調理場から食堂まで全て別のテントに作られていました。我々より一日早く大姑娘山の登山をする15・6名の他の旅行会社とは顔を合わせることもありませんでした。只、日本語の話し声が聞こえるので日本人がいるのだという認識ができるだけでした。
他社のツアーにはIという有名な登山家が一緒に来ているというので、私の参加したツアーメンバーのFさんは持参したお菓子を手渡したと夕食時に聞きました。私はその人の名前は知らなかったのですが、客集めに利用されているだけの人に擦り寄るというのを見えると、その人の品位がわかると思ったほどでした。
 
午後6時、疲れた体で食堂と指定されたテントで夕食を食べました。ご飯に炒めた野菜とか肉でしたが、ご飯は食べられても油まみれの野菜はほんの少ししか食べることは出来ませんでした。ご飯に掛けるふりかけを大勢の人が持参していて、そういうふりかけをぱらぱらのご飯に掛けると美味しく食べられるのはやっぱり日本人なのだろうからだと感じました。
この時、登山家のIさんの話をFさんが熱心にするので「そんなに有名なんですか」と私が水を向けると「もう6・7年も以前にテレビに出ていました」と説明してくれました。私が「随分と昔の話ですね」と話題を切って捨てるつもりなのをうけて、Fさんは「あちこちの旅行会社に出ていましてね。最初は自分で客集めをしていたのが、途中からは呼ばれるだけになったようです」と話を続けました。
所詮登山家と言っても生活のために商売をしなくてはいけなくて、このIさんもそういう一人だったらしい。自分で登山を企画して集客する時には、「もうあいつは破門にしたので、そのツアーには参加しないで下さい等」と結構どぎつい手紙を客に送っていたという話も聞くと、そんなに登山愛好家は少ないのかなとも思ったりしました。このIさんがいても大姑娘山に登れるかどうかとは無関係なので、この人寄せパンダ費用を加算されて、わざわざツアー費用を高くするような設定をするツアー会社の見識も疑ってしまいました。
のツアー会社に比べれば、私の参加したツアーは、東京からの添乗員1名に日本語の出来る中国人添乗員2名、現地ガイド1名にポーター2名という強力な支援体制があるので余程安心であると思いました。
自分に信念や自信の無い人は、本質とは無関係の名が売れたているだけの人を見て感激なんかするのだろうと思うと、外見は老人なのに心はまるで幼児のように思えて情けなく思えるのも事実でした。
 
この日は長時間の歩きで疲れていたので寝袋に入ると直ぐに眠れました。しかし、ダイアモックスの作用のせいか、夜中に何度もトイレに行きたくなって5回も目が覚めてしまいました。又、夜中には大雨が降っているなか傘を差してトイレのある場所まで行くのはなかなか辛いことでもありました。寝ぼけ眼でふらふらしているので、テントを出る時に滑って土でズボンが汚れてしまい、そういう後始末をするのも大変でした。
隣のテントのFさんはトイレの帰りに道を間違えてぬかるみにはまり、川でズボンを洗うとかして大変な夜でしたという解説を翌日聞きました。
添乗員のHさんも以前のツアーで、このテント場で夜中にトイレに行った帰り道を間違えてぬかるみに足を取られて泥だらけになったと事前に説明していたのですが「Fさんはそれを実践してしまったのですね」と翌日皆から冷やかされていました。
 
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                  ( 水たまりのある泥道も沢山ありました )
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                      ( 延々と続く細い泥道を歩く )
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            ( 何を話しているのか全く分からない中国人同士の会話 )
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                  ( 遠くに老牛園子のキャンプ場が見える )
それ程背の高くない木の林の中の泥道を歩いている途中、雨足が強くなってきて雨具を着て歩き始めました。歩きにくい道を暑苦しい雨具で身を固めての行進となりました。
雨が降っていた広場で、観光の帰り道らしい中国人馬子さんと現地登山ガイドが何やら話していましたが、言葉が全く分からないので茫然として見ているだけでした。その光景は外国語だけを聞いても何も分からない映画を見ているシーンと同じだなと感じました。
老牛園子のキャンプ場に下る坂の手前に、大姑娘山に登山する登山道の分岐があり「ここから登っていきます」とHさんが解説したのは良かったのですが、その先には急坂があって、その遥か先に黄色いテントが張ってあるキャンプ場が見えました。
下るのは容易ですが、明後日この急坂を上がらなければならないと考えるだけでぞっとして、今日の到着点である老牛園子のキャンプ場が見えても気分は良くなるどころか、急坂で足がぐんぐんと進む程に滅入って行きました。
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                   ( 曇り空で展望の悪い広場を歩く )
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                  ( 干上がったぐちゃぐちゃ道を避けて歩く )
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                    ( 泥道を泥にはまらない様に気をつけて進む )
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( 海子溝保護所 管理人は女性のようでした )
昼食を食べてから曇り空の下、景色も良くない広場や林の中の細い泥だらけ道を歩くので単調で長時間の歩きでは益々疲労が蓄積されるような気になりました。時々、短いものの急な坂があったりして「ああ、嫌だな」と独り言をつぶやくつもりで歩きました。
昼食を食べてから歩き始めて1時間半程で人家が見えてきました。立派な建物だったのですが「海子溝保護所」という名前が壁に書いてあり、中国人の人たちが休憩していました。何か食べ物でも売っているのかと思いましたが、そういう施設では無いと分かり、ベンチらしき作られた木の枝に腰を下ろして休憩しました。
時刻は午後3時頃だったので、歩き始めて6時間も経過していたので、ほとほと歩くのが嫌になっていましたが、後戻りなど出来る筈もなく流れに身を任せて進むしかないと思いました。
 
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                    ( 斎戒坪からは暫くは稜線歩き )
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                   ( 少しずつ道幅がせまくなってくる )
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                      ( 馬が歩いた道は荒れている )
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                ( 石板熱 村から上がってきた方向に荷物を積んだ馬が行く )
斎戒坪から先は緩やかな丘を上がったり下がったりという道でしたが、途中の石板熱という場所までは草原を歩く道でしたが、その先は荒れた泥道がある場所が続き難儀をしました。泥道の横に少し小高い歩ける場所があるところもあって、1人しか歩けないような杣道を歩きました。本道がぐちゃぐちゃ道でも、細いわき道が無い時はぐちゃぐちゃの道を登山靴が出来るだけ汚れないように注意深く進まざるを得ませんでした。
人1人分の道幅しかない杣道を歩いていると、どうしても目の前の木の枝が邪魔になるので、Kさんの旦那さんがバリバリと木の枝を大きな音を立てて折ると、Hさんが「木の枝は折らないで下さい。自然を傷つけないで歩きましょう」と日本流の山歩きのルールを説明して諭していました。しかしながら、そういう木の根元には、中国人が捨てたと思われるペットボトルやお菓子の包装紙が落ちていて、中国ではマナーが徹底されていないというのを観察することが出来ました。そうは言っても、日本でも車から山中にゴミを捨てる輩がいるので人ごとではないというのが本音でした。
 
石板熱と標識の出た場所で昼食を食べました。昼食は水と一緒に貰ってリュックサックに入れていましたが、中にはライ麦パンで作ったサンドイッチが入っていました。添乗員のHさんが「昨晩ホテルで、手袋してMさんと二人でつくりました」と説明してくれました。きれいにラップで包んであるので食べるのに抵抗はありませんでした、ソーセージとトマトの薄切りにマヨネーズが掛けてありました。私はマヨネーズが苦手なので食べるのに苦労しましたが、HさんとMさんの二人が作ったというのであれば全部たべなくてはいけないのかなという義務感で食べてしまいました。元々登山すると小食になるタイプなので、サンドイッチの他チョコレートと小さなお菓子を食べるとお腹が一杯になって小さなパン2個は食べれられないので、Hさんに食べられないと言うと「回収します」と言って受け取っていました、次の昼飯に流用できるのかも知れないと思いました。
この時、日本から持参した乾葡萄三四個を食べてから、山の斜面で草を食べている牛に1個だけ食べさせようとして鼻に近づけると、ブーという大きな息をして後ずさりしてしまいました。牛には好みの食べ物ではなかったと分かりました。
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                   ( 登山の開始 長坪村を下に見て登る )
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                ( 登山最初の場所で、木製階段があるところもありました )
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                      ( 小さな野イチゴが美味しい )
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           ( 標高3400mの斎戒坪 晴れていれば左側に四姑娘山が望める場所 )
登山道は最初から割と急なつづれ折れの坂道でした。水を少しずつ飲みながら歩いても息が上がりました。急坂ということもありましたが、風景が高い山に見ないので何で苦しくなるのだろうと思ったのでした。標高は3000mを超えていますと聞けば当然苦しくなるねと思えたとは後で思ったことでした。
時々、Hさんが「マーライラ(馬が来る)」と言って脇に寄り足を止めるので、馬が上がったり下ったりする場面に遭遇すると休めるので助かりました。歩き始めてから三十分ほどもすると一休みできるような小さな広場に出て休憩しました。登山に慣れている筈のHさんが「きついねえ、もう少しゆっくりでもいいねえ」と言ったので添乗員のHさんが「分かりました」と返事をしました。きついのは私だけではなかったのだと思うと気分的に楽になりました。
又、馬で楽々と登って行く中国人の観光客が羨ましくも思えました、しかし高度順応をしなければいけないという意味で歩かねばならないのだと考えました。頭ではわかっていても、我々がはあはあ言って歩いている横を、馬で行く気持よさそうな顔をした中国人を見ていると複雑な心境になるのでした。
Hさんは「もう少し先に登ると後は楽ですよ」と言って皆を元気付けていました。又、歩く途中で花の咲いているのを説明しながら進むようにしたので歩みは自然とゆっくりペースになって坂道を上がるのも少しは楽になりました。坂道には小さな野いちごがなっているので二三個積んで食べました。下痢をした後だけに再び再発しないかと心配をしましたが、酸っぱい野生の味がしただけで腹が下るようなことはありませんでした。
登り始めて約2時間、緩やかな坂道を上がると開けた場所に出たのでここで十分程休憩しました。ここから四姑娘山が見せる筈だったのですが、雲が出てその姿を見ることは出来ませんでした。
私はここまでで500mlの水が無くなったのでポーターさんからもう一本の水を貰いました。水を貰ったのは私だけで、他のツアーメンバーは老牛園子まで水の補給無しで歩けたようでした。私だけが沢山の水を飲むと言うのは以後も変わりませんでした。
この場所は斎戒坪という場所で標高が3400mと書いてありました。この先、鍋症坪、朝山坪、石板熱、内尖包、石稍台を経て老牛園子までを、朝9時過ぎに登り始め午後4時30分にテント場に到着しました。予定では5時間の歩きという予定でしたが、悪路を歩き疲れてペースが落ちた事に加えて途中で雨が降りだしたりして7時間半も掛かりました。