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翌日の大姑娘山登頂に向けての登山練習からキャンプ場に戻った時は午後4時位で、夕食の午後6時までには2時間以上も時間があったので、私はキャンプ場横の小川の流れる岩場でブルーポピーの撮影をすることにしました。少し寒いので防水着を着て出かけました。
ツアーメンバーには花の撮影をしたいという人もいますと聞いていたのですが、この時ブルーポピーを撮影していたのは私一人だけでした。岩のあるガレ場で身を屈めて撮影しているのを見ているのは放牧されている牛やヤクだけで、普段は見慣れぬ人がうろうろしているのを不思議そうに見てるような気がしました。
最初はどの位のブルーポピーが咲いているのか心配でしたが、岩場を上がるにつれて花は沢山あることが分かりました。ブルーポピーの咲いているのは岩にへばりつくような場所ばかりで、ブルーポピーと一緒に小さな花も咲いていましたが、ブルーポピーに遠慮した本当に小さな花ばかりでした。そういう意味では、ここではブルーポピーの花が主役であるというのも分かりました。
又、ブルーポピーの色や形の整ったものは少ないということも分かって10本以上は撮影しましたが、花が散っていたり花弁が枯れていたりとしていて、花の外見で満足のいくブルーポピーは1・2本だけだかと思いました。
岩場を歩いている途中で、ゴミが散乱している場所に咲いているブルーポピーを見つけました。こんな山奥なのになんでこんなにゴミがあるのか不思議でした。今までここを訪れた中国人観光客の落としていったものかと思いました。後ほどOさんにゴミの現状を伝えると「我々も村にゴミ問題を言っています。下の方は割合にゴミ拾いをしていますが、ここまでは手が回らないんですね」という返事でした。観光という概念が未だ未成熟な国であるというのをしりました。最も日本でも汚い観光地は多いので、他人のことばかり言えないというのは確かですが、と私は独り言を言っていました。
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              ( 標高4300mのキャンプ場の小高い場所にテントがある )
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        ( 左側テントが食堂で、右側の建物が厨房と寝室になっている、左奥の建物はトイレ )
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                   ( 1号営地から大姑娘山に行く登山道の始め )
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                ( 1号営地から大姑娘山に登るガレ場の登山道 )
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          ( キャンプ場から30分登った場所からキャンプ場が見えました )
1号営地と呼ばれたキャンプ場は食事を作る家があり、トイレも穴か空いただけのものが男女に分かれた建物がありました。老牛園子の炊事場やトイレは仮設のものだったので、標高の高いこの場所の方が建物があるのが不思議でした。登山ルートとして何時も利用されるので建物があるのだろうと推測しました。
「トイレは少し危険です」とHさんが言っていた通り、崖下に作られているので降りる時に段差の突起に足を掛けるということが必要というのが分かりました。しかしトイレの穴は崖下なので風が下から舞い上がってくるので少々やりずらいと思った時もありました。
 
1号営地に到着後、各人ごとの宿泊するテントを決めて、馬で老牛園子から運んだ自分荷物と寝袋を運び込んで、寒さ対策として寝袋の内側に入れるインナー毛布が配られました。時間があるので、寝袋とインナー毛布をテントの上に並べて日干しをしました。この日干しで寝袋も少しは気持ちよくなったと思いました。
老牛園子のテントで寝た初日には寝袋の中に小さな石があるのを知らず寝ていましたが、夜中に変な臭いがするので気になっていました。翌日寝袋をひっくり返してそういうものを出すと臭いもしなくなったので、多分馬か牛の糞の小さな粒が入っていたのではないかと思いました。以前、この寝袋を使用した人はドロドロのズボンのままで寝たらしいことが分かったので、この日も念のために再び裏返して天日干しをしました。
ツアーメンバー全員が寝袋とインナー毛布を天日干しをしていたので、テント場は一時賑わいました。この干してある寝袋も大抵の人は裏側を干していたのですが、おばあさんの1人だけはそのまま外側を干していたので普段の生活は大丈夫なのかなと考えてしまう場面でもありました。
この後で、インナー毛布は更に1枚追加で配布されたので、寝袋には2枚の毛布を入れることになりましたが、毛布の量が多すぎて、寝袋の中で身動きが取れなかったというのも事実でした。寒さは1枚でも問題無いと思われました。翌日、ベテラン登山家のHさんは1枚で十分でしたと明言していました。
 
この日も午後も時間にはあり余る程の余裕があったのでHさんは「明日の登山に備えて少しだけ登る練習をします」と事前予告していました。午後3時にはテントの前に集合して登り始めました。標高が高いので少し早足になると息が切れるので少しずつ進みましたが、私にはペースが速いように感じられました。少し小高い丘には別のテントが張ってあり、別の旅行会社のツアーが先日宿泊した場所でしょうとHさんは解説していました。
号営地面からは岩場の登山道で道らしい道も無い場所でした。人が歩いたらしい細い道筋を上がって行きましたが、急な斜面が続き15分も歩くと疲れました。Hさん往復1時間は歩くと言っていましたが、実際は行きで30分、帰り15分という時間でした。少し上がってテント場所を見晴らせる場所で一休みしてから下に降りました。
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                  ( 昼食で休憩した新築の建物がある場所 )
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                    ( 道は狭くなりガレ場に変わってきました )
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           ( 標高4300mの1号営地のキャンプが見えた場所は岩場の坂でした )
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                   ( 岩場の隅でひっそり咲くブルーポピー )
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               ( 赤色を帯びたブルーポピーもありました )
大平原から2時間ほどかけて川沿いの緩やかな坂をブルーポピーを探しながら上っていくと、建設途中らしく見える宿泊用の建物群が見えた場所で昼食を食べました。この日、私は水を4リットル準備していたので、ここでポーターさんに預けていたペットボトル1本とHさんが持ってくれていた1リットルのお茶を受け取りました。こういう手伝いがあっても私のリュックサックには重いカメラや水が約5Kg以上も詰まっていて苦しい歩きになっていました。
老牛園子のキャンプ場を出発する前に貰った昼飯用の弁当を開くと、日隆鎮長坪村から老牛園子の登山の時に貰ったと同じ手作りのサンドイッチに加えてお稲荷さんが1個付いていました。私は登山すると食欲が無くなる体質なので、この弁当は多すぎてサンドイッチとお稲荷さんを食べるは義務感で口の中に放り込みました。その他はお菓子と小さなパンでした、それをポーターさんのところに持っていくと同じパンを沢山持っていたので最初は断られましたが、迷惑そうな顔をしながらも最後には受け取ってもらいました。
 
この昼食で休憩した場所から1号営地は直ぐの場所でした。直ぐと言っても到着してから分かったことで、道は土から岩がごろごろするガレ場に変わって傾斜も急になり、標高が高いせいか歩いて直ぐに苦しくなるので、歩く速度はゆっくりというよりものろのろして、昼食で休憩した場所から1号営地の到着まで1時間位かかりました。
そんな岩場の坂道を上がっていくとHさんは「あのポールの見える場所ですよ」とツアーメンバーを励ましてくれました。半日以上の登山でしたので疲れも出ましたが、午後12時30分頃には何とか到着することが出来ました。
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                ( 休憩した草原の奥を目指して歩きだした現地ガイド )
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              ( 放牧されているヤクや牛を見ながらの坂道の歩きでした )
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                 ( ブルーポピーを探しながら川沿いを歩く現地ガイド )
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                  ( ブルーポピーの可憐な花に感動 )
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               ( ブルーポピーの独特の青色に目を奪われる )
標高約4000mの広い草原からから先は緩やかな坂道でした。標高が高い分、道は緩やな坂でも息が切れました。それでも時々歩きを停止したのは、ヤクや牛が放牧されているのんびりとした光景を撮影したりするためでした。
歩いている途中、昨日老牛園子のキャンプ場に居た他の旅行会社メンバーが反対側の丘を下る場所に米粒みたいに見えたので、Hさんが「どうでしたかー?」と声を投げると「登りましたよー」という声が聞こえました。先に見える鞍部の方は雲が覆っていたので多分四姑娘山は見えなかったのではないかと想像しました。
 
歩き始めて数10分程で小さな川が左側に現われて、現地ガイドのMさんが川岸を歩くので不思議に思って見ていました。
Hさんが「ブルーポピーの花を探しています」とか「ブルーポピーはこの先にしか咲いていません」というような解説をすたので、現地ガイドのMさんが川沿いを歩いている理由が理解出来ました。
ブルーポピーが見つかる度にツアーメンバー全員が写真を撮影するので、登山するというよりも写真撮影のツアーの様な感じになりました。
ブルーポピーを撮影するのも川の岩の横とか、川岸の狭く小さな場所に咲いていて撮影のために無理な姿勢をするので、そういう場所では体を曲げたり息を止めたりと撮影するたびに苦しくなることもありました。
Hさんは「ブルーポピーの花は標高が高くなるにつれて色が濃くなります」とも言っていましたが、実際には色の違う種類ではないかと思えるようにも感じました。
ブルーポピーはヒマラヤから中国高地に育成するケシ科の植物で、今回の登山でも目玉の一つとされていたものでした。川筋の何処でも見られるものでも無く、この登山道沿いでは慎重に観察しないと見落とすことがあるかも知れないとう類のものでした。現地ガイドのMさんが目を凝らして探しては、我々にその場所を教えてくれていました。そういう意味ではガイドも中々に大変な仕事だなと感じました。
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                    ( 巻道を上がると広い草原に出ました )
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                      ( 草原に放牧されたヤクと牛の群れ )
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             ( 大姑娘山の登山道の鞍部が遥か先に見える 
巻き道は傾斜が緩やかなので直登に比べれば楽に感じられたので、最初に苦しい思いをした分だけ少し楽に感じられました。晴天で日差しが強いのですが汗だくにはなりませんでした。標高が高いので乾燥しているせいだろうと思いました、只直射日光に当たると熱く感ずるので、半袖よりも長袖の方が涼しく感じられました。
この巻き道の一番上がった場所は平原が広がっていて気持ちのよい場所でした。ヤクや牛が放牧されていて、こんな標高の高い場所でも放牧されているのをみて驚きました。
遥か先には鞍部(コル)が見えて、その先が大姑娘山への登山道であるとHさんが解説をしていていましたが、その鞍部は相当先に見えたのでやれやれという気持と本当に登れるのか?という不安が入り混じった気持になりました。
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              ( 最初の休憩場所から先頭を歩き始める現地ガイド )
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                      ( アツモリソウを探した丘陵地 )
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                 ( 巻道で一休みするツアーメンバー )
この先は道が山の斜面を巻いて上がるようになっていたのですが、ガイドさんや馬さんがその道ではなく直登していくので、その後を着いて登るのが大変でした。Hさんの後についていた私に「何故直登するのでしょうか」と言ったら、Hさんは大声で「Mさん、アツモリソウが無ければもういいよ」と言って山をどんどん登ろうとする現地ガイドのMさんと成都から添乗員のMさんを制止していました。
登山する前に、この場所でアツモリソウが咲いているかも知れませんという説明をMさんはずっとしていたので、この場所で探していたのだと思いますが、後で考えれば登山するツアーメンバーまで巻き込んで探すのではなく、自分達だけで探してもらいたかったというのが本音でした。この直登ではツアーメンバーがくたくたになったので小休止をしてから本来の巻き道を進むことにしました。
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                   ( 老牛園子のキャンプ場を後にする )
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                    ( 急坂をするする歩く現地ガイドMさん )
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                ( 最初の休憩場所はお花畑 )
朝6時30分起床、午前7時30分出発でした。毎日同じ朝食ながらおかゆは飽きがきませんでした。ほんの少しのおかずでおかゆを三杯も食べました。
出発前にパスルオキシメーターで酸素飽和度を測定すると私は約84くらいだったので「まあまあでしょう」とHさんが言いました。そこに現地ポーターのOんが現れたので指を出せと言って測定すると、驚くべきことに酸素飽和度は90を超えているし心拍数は65とか表示されたので、そこに居合わせた一同は驚きました。日本で言うところのスポーツ心臓の状態であることが分かりました。高地で生活しているので自然と体がそういう作りになっているのだろうと思いました。成都から来ている添乗員のOさんは「この地方は短命の人が多いですよ」と言っていましたが、それはスポーツ心臓ということよりも食生活が貧しいからではないかと私は思いました。
 
テントにある荷物は麻袋に入れて馬で1号営地まで運び、我々は標高3600mから4300mまで約700mの登山をすることになりました。日隆から老牛園子に来た時、一号営地への分岐点までの急坂を思うとぞっとする心持で登山を開始しました。
小川の流れる先から急坂が現われて、何時も通り息が直ぐに切れてハアハアと口を開けながらの登りでした。分岐点までが大変かなと思ったら急坂は更に先まで続いていました。分岐点から次の休憩場所までは坂道でしたが、休憩場所はお花畑だったので息苦しい中水を飲みながらも目には楽しい場所と思いました。
 
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( 顔をなでた馬 )
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( 1本2千円で販売された冬虫夏草ですが誰も買いませんでした )  
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( ポーターのOさん 意味全く分からず 会話が成り立たない )
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( 添乗員HさんとMさんの作ったお稲荷さん 一人2個食べました )
お花畑の丘を下った場所に馬がつながれていたので近づいて顔をなでると喜んでいるように思えたので、顔の上から横までの手でさすってやりました。大人しくされるままにしていたので気持ちが良かったのかもしれませんでした。顔の下側には跳ねた泥がついていたのでそれもさすりながら落としてやりました。大人しくしているのでこちらも面白くなって何度もさすっていると、添乗員のHが厨房のテントから顔を出して「馬で癒されるでしょう」と声を掛けてきました。私は馬を触ることは初めてでしたが、案外簡単にできて馬が大人しいのが面白く感じられました。
花の写真撮影や馬を触ってなどして午後5時過ぎまでを過ごしたのですが、夕食の時間までの時間は十分ありました。キャンプ場のテントの広場に戻ると、時間を持て余したKさん夫婦とKさんFさんが食堂のテントから持ち出した椅子に座って話をしていました。お茶とお菓子を分けてもらい雑談をしていると、現地ポーターのOさんが勝手に輪に加わりました。何時も歌を歌っているのでKさんの奥さんが「歌を一曲」と身振りでしても伝わりませんでした。人の前で歌うのが苦手なのかどうか不明でしたが最後まで歌を披露することはありませんでした。それでも言葉が分からんとお互いに言いながら時を過ごすとあっという間に時間がたってしましました。
このOさんの姿かたちは日焼けで黒い顔で鼻の皮が何枚もむけているし、なにより少し小さめの背広の上着は脇が少し破れていました。ズボンもお尻の部分は石の上に座っているせいか白くなっていて、粗末なものでした。現地ガイドのMさんがジーンズをはいているのが少し高級そうに見えたくらいでした。それから、現地の人たちでメタボらしい体形の人たちは見かけませんでした、質素な生活をしているせいかとも感じた時でした。
成都から来た添乗員Oさんの説明では、日隆には登山学校があってガイドもポーターもその学校を卒業していて、誰もガイドやポーターをしていますとのことでした。日本から来た添乗員のHさんは「今回同行するポーターさんは、先回はガイドさんでした」と言っていたので事実はそうだろうと思いました。ここにいる人は全て長坪村の人で夏だけ観光で現金収入を得て生活をしていますと説明して、帰りは是非馬に乗って山を降りて下さいと勧めていました。
 
この日は添乗員もたっぷり時間があったとみえて夕食にお稲荷さんが2個と味噌汁が出て感激しました。お稲荷さんは出来合いの味付けあげに現地の米に即席の酢飯の元を入れて作ったということでした。ご飯はいつもぱらぱらの状態でしたが酢飯にすると日本で食べるものと違和感が少ないと思いました。若布入りの味噌汁も沢山作りすぎて余ってしまうほどでした、インスタントを沢山もってきたのかとおもいました。こういう食事を添乗員が作らなくてならないというのも大変だなと思いましたが、気遣いに感激するばかりの夕食となりました。
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                    ( 白毛のヤクは私を見て逃げました )
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             ( 民族衣装を着たおばさん おばさんは何処の国でも強そうです )
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                     ( 老牛園子キャンプ場 裏手の丘 )
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                ( 老牛園子キャンプ場 裏手の丘の一番高い場所 )
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                 ( 牛の糞の間で咲き乱れる大きなエーデルワイス )
午後1時少し前に老牛園子のキャンプ場に帰りました。夕食の午後6時までは時間はたっぷり余りました。キャンプ場に到着して直ぐに件のスイカが出てきたのは添乗員Hさんの配慮だったと思いますが、気が利いていたと思いました。
キャンプ場到着後、自分のテントに戻り、汚れた靴やスパッツを洗うために川に行きました。昼食を作るのに30分ほども掛かると言うので十分に時間があると思いましたが、靴は底に泥がこびりついているので木の枝で丁寧に取り除くに時間が掛かりました。靴の外側やスパッツは近くの草をむしりとって擦って落とすと綺麗にはなりましたが、乾くとうっすら泥がみえたので完全にはとれていないのが分かりました。帰国したらちゃんと洗うことに決めて、ここは汚れさえ落ちればよいという風に割り切って考えました。ツアーメンバーの全員が川で靴の泥落としをしていましたが、Kさんだけは成都のホテルに置いてあった歯ブラシを持ってきましたといって丁寧に泥を落としていました。
 
遅い昼食を食べた後、テント内で翌日の一号営地への移動の準備をしても時間は有り余りました。仕方なくカメラをぶら下げてキャンプ場を一周することにしました。
奥手にあるテントに民族衣装のおばさんがテントの外で立ってたので写真を一枚撮影して、記念にツーショットも一枚撮影しました。若い人のように民族衣装もしゃんととしていなくて、毎日来ているのでよれよれした感じで、生活感が溢れて面白く感じました。
キャンプ場と川との湿地帯にはヤクと牛が来ていて草を食べていました。白いヤクの写真を撮影しようとして近づくと警戒されて逃げてしまいました。匂いが違うのか、現地の中国人ではない変な人間だと思われて警戒されたのかも知れません。
牛が立ち替わり盛んに地面の穴の中のものを舐めているので何だろうと思って近づくと、昨日我々の食べたスイカの皮が捨ててある場所でした。牛にはほんの少しの甘みでもご馳走に感じたのかしれませんでしたが、そのスイカの皮を舐めるばかりで食べようとしないのは不思議に思いました。
 
花の写真を撮影しようと思って、川の横の湿地帯から午前中に上がったキャンプ上裏手の丘に行こうと思いました。湿地帯にも人間の歩いた道があるので、地元の人が牛追いで歩いているのだろうと思いました。時々名も知らぬ小さな花の撮影をしながら歩きました。道は土ではなく苔で弾力のある場所のあり、奥に行くと細い川で段々と歩ける場所が狭くなっていきました。そういう場所に石が何個もあり反対側の岸に渡れるような場所があったので、石伝いに渡りました。この石は現地の人が置いたのかなとも思いました。
その渡った岸の奥に白いものが見えて花かと思って近づくと、丸めたティッシュペーパーが散乱しているのが花に見えたのでした。キャンプ場のトイレを利用しないで離れた場所で大便をした痕だと分かりました。トイレットペーパーならは昨晩のような大雨で少しずつは雨で溶けるのですが、ティッシュペーパーでは残ってしまうという現実がここにはあり、多分中国人の仕業だろうと思いました。
この湿地帯はキャンプ場の一番奥になっており、ここから丘を花の写真を撮影しながら上がって行きました。最後には朝方息を切らした場所まで上がりましたが、ゆっくり上がったせいか息切れは全くありませんでした。ここの丘は一面のお花畑で小一時間程を花を探しながら撮影を楽しみました。
ウスユキソウと言われるエーデルワイスの花がこれでもかという程に咲いているのを見ると、スイス旅行でたった2輪ほどのエーデルワイスを見つけて大喜びをしたのは何だったのだろうと思いました。ここにはかなり大きなエーデルワイスのもありました。鑑賞用の道も無いお花畑ではそういう花を足で踏んで進むしかないのが唯一の残念な出来事だと感じました。
この地方のお花畑は自然のそのもので牛や馬が草を食べる牧草地でした。糞があちこちに落ちているのを避けながら花を見るという観光化されていない放牧地だというもよく理解出来ました。
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               ( 大海子の家の前 朝方より観光客の数だけ馬が多い )
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                      ( 若い女性の馬子さんと馬 )
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( 老牛園子のキャンプ場が遥か下に見えてほっとする )
午後12時30分位に花海子を出発して老牛園子のキャンプ場へは午後2時少し前に戻りました。行きと同じ道を帰りましたが、泥道は強烈で靴が底だけでなくスパッツの下から回り込んで、靴の周囲も泥だらけになりました。
帰り道、大海子は中国人観光客が押し寄せていて賑わっていました。その分馬も沢山いて、その中でも若い女性が馬子をしていたので写真を撮影しようとすると顔をそむけてしまいました。この地の女性は写真撮影しようとすると一様に顔をそむけるのは恥ずかしいという事だけでなく、チベット族独特の何かあるのかなと考えてしまいました。観光客は中国人の若い男女も多く、私は彼らの写真撮影も手伝っうということもしました。
大海子から老牛園子に帰る途中、低い灌木の林の中にヤクがいて鳴いていたので驚きました。自由勝手に放牧されていて「こんな場所にいるヤクを、冬場の前にどうやって集めるのですか」とOさんに質問したら「集める時は塩をまいて集めるんです」と説明されました。
大海子から日隆鎮長坪村に向かう道を歩いていくと老牛園子のキャンプ場が見えました。現地ガイドが大きな声を出して到着したよというのを下の人間に伝えているようでした。大声が昼飯の準備をしてくれということかなと思いながら、急坂をキャンプ場に下る時は登るときの苦労なんかはすっかり忘れて早足になっていました。