イメージ 1
          ( 標高4300m 1号営地から老牛園子に荷物を馬に乗せて降りる )
イメージ 2
             ( 1号営地から直ぐのお花畑コース 昨日休憩した建物が下に見える )
イメージ 3
                       ( 色々な花が咲いている下山道 )
イメージ 4
               ( 花の咲いている緩やかな下りのコース )
我々の利用した黄色のテントは老牛園子に下山の時一緒に下ろすというので、我々が午前12時30分くらいに昼飯の細いきしめんの様な「ラーメンです」と言われたものを食べた後、中国人ガイドやポーターさんがテントの撤収作業をしていました。
私はそういう段取りを察知して直ぐにテント内を整理してリュックサックをテントの外に出したのですが、おばあさんの1人だけはそういう気配を全く気付かず、最後の最後になるまで荷物をテントから出そうとはしませんでした。
 
標高4300mの1号営地から老牛園子まで700mも下るのは少々抵抗がありました。この日の登山だけでいい加減疲労があったので、この場所で一泊したいような気分でした。スケジュールでは午後は移動というのは普通の体力の人には何とも無かったのかも知れませんが、私は体がだるい感じで下山をしました。この時の下山は、日本の山のように下山途中でもきつい登りがあったりするようなことは無く、ひたすら下るばかりなので何とか体力がもったのだと思いました。
午後1時過ぎの時間になり「もう何もすることも無いので降りましょうか」というHさんからの話で下山が始まりました。
 
下山は昨日とは違う小高い丘を歩くお花畑コースでと言っていた通り、牛や馬の糞があちこちに落ちているお花畑の中を歩きました。
「こういう場所は個人所有ですか?」と中国人ガイドのOさんに質問すると「中国では土地は全て国のものです。土地は70年借りられます」と返事がありました。こういう辺鄙な場所でも誰かがかりているのかなと首をかしげながら歩きました。 
遠くに見える、昨日ブルーポピーを探しながら歩いた登山道を10名ほどのツアーの一団が休んでいるのが見えてHさんが「アンニュンハセヨ」と大声を出すと同じような言葉が聞こえたので「ああ、韓国だね」とOさんが言っていました。昨日は同じコースを馬で往復している韓国人と合いましたので、韓国でも日本同様の登山ツアーがあり人気だと分かりました。
イメージ 1
                      ( ガレ場の平らな場所で休憩 )
イメージ 2
              ( 何処までもガレ場が続くが漸くキャンプ場が見えてきた )
イメージ 3
     ( 我々のキャンプ場の一段上にあるキャンプ場で撤収のためにテントを乾かしていました )
イメージ 4
             ( ようやく我々のキャンプ場に到着 午後12時到着 )
一気に下山できると思ったガレ場も3回ほど休憩して標高4300mの1号営地のキャンプ場まで下山しました。楽勝と思われたガレ場の下山は足を踏ん張ったせいで散々に疲れてしまいました。
体がふらふら状態でキャンプ場に到着したので、テントの前の岩の上に腰を掛けるとほっとした気分になりました。丁度12時くらいで昼食時間でしたが全然空腹感は無く、疲れが食欲をなくしていることがよくわかりました。
暫くすると老牛園子でテントを張っていたおばさんがこのキャンプ場に来てテントを張りだしました。我々が夏のツアーの最後の客でテントも撤収しますと聞いていたので違う事情でもあるのかと思いました。このキャンプ場から老牛園子のキャンプ場に下山途中、15.6人の韓国人ツアーメンバーが登山するのと遭遇したので事情が呑み込めました。
イメージ 1
                  ( コルから下る急坂に足もすくむ )
イメージ 2
                ( 坂で靴が滑るので自然とカニ歩きになる場所もある )
イメージ 3
              ( 休憩時間に登山道の目印の岩を器用に積む中国人ガイド )
イメージ 4
               ( 行けども行けどもガレ場は続く )
コルから下のガレ場では歩くのに想像以上に時間が掛かるのが分かりました。登るときは息を切らした急坂は、今度は滑りやすい場所になっていました。中国人ガイドは下山でも慣れたものでひょいひょいと降りていきますが、素人の年配集団は恐る々々足を踏み出してはずるずると音を立てながら下山をしました。
Hさんは「何処までガレ場なんだ」と言って想像以上のガレ場の広さに不満をぶつけていました。下りだからと言って簡単には降りられず。岩を掴んだり、岩に体を寄せたりとかするので意外に疲労が蓄積しました。
下山途中、岩を掴みながらの下山なので全員が手袋をしていました。年配の女性の一人だけが手袋をせず下山していて、休憩中にHさんに「爪が割れました」と言っていました。自己責任だと思いましたが、この人は飛行機に乗るときも手荷物に鋏をバッグに入れて止められていましたので、思考が普通の人とは少し違う人かなと思いました。
イメージ 4
 ( 山頂から広場への下山が始まる )
イメージ 1
                ( 下山途中で下を見るとキャンプ場が望めました )
イメージ 2
         ( 広場からコル(鞍部)への下山 四姑娘山ともお別れ 雲が掛かって来ました )
イメージ 3
         ( コル(鞍部)で休憩 中国人ガイドはスマートフォンを見ていました )
大姑目娘山の登頂で30分程写真を撮影して周りの光景を眺めて登頂の満足感を味わっていても、狭い山頂では直ぐに飽きがきてしまいます。下山をしようとHさんが言った時には、四姑娘山の右側からカーテンを閉めるが如く雲が上がり山頂を隠し始めました。何とも段取りの行きとどいたことでと言いたくなるように感じました。
午前9時30分に下山を始め、約2時間30分掛けて標高4300mの1号営地に下山しました。登頂よりも1時間早く歩くのですが、急坂の岩場では下山は簡単ではありませんでした。
山頂からコル(鞍部)までの岩場はまあまあ順調に下山できました。鉄の柵がある場所も多いので、そういう補助のものにつかまりながら下山すると安心しながら歩けました。
イメージ 1
                      ( 大姑娘山から見た四姑娘山 )
イメージ 2
          (  この写真を撮影するために登山しました 大姑娘山から見た四姑娘山 )
イメージ 3
             ( 大姑娘山の頂上 右側に足だけ見えるのは寝ている中国人ガイド )
イメージ 4
( 割れている頂上の標識 標高が5038mと書いてある )
さんは「予定通り午前9時に到着しました」と言っていました.。登山時間は相当に遅いペースを基準にしているのが分かりました。登頂の記念として全員の記念撮影をしてから順番に1人ずつ写真を撮影して貰いました。山の頂上に置いてある標識の石は良く見ると半分くらいの場所で割れていて、手で支えないと落ちてしまうので岩を支えながらの撮影となりました。
後は四姑娘山を少し横から撮影したら、現地ガイドのMさんが寝ていました。昨晩の山羊捕獲の作業で疲れていたのかも知れませんでした。それ以外の場所を撮影しても面白い景色ではないことが良く分かりました。
頂上は小さい場所なので2・30もいれば満員になるくらいの小さな場所なので、頂上のあちこちで撮影すると言ってもたかが知れていて、頂上では30分くらい休憩するだけで十分でした。
山頂でHさんがパルスオキシメーターを出して酸素飽和濃度を調査していたので私も調べました。朝方1号営地で調査した時と同じ約84でした。早野さんは「高地順応したのでしょう?」と言っていました。翌朝、老牛園子で測定しましたが、やはり約84という値でしたので、もっと上がっても良いはずと思っていたので少しがっかりしました。
成都から来ていた中国人ガイドのOさんは、山頂から携帯電話で自分の旅行会社に全員が登頂しましたと報告したそうです。「中国はどこでも携帯電話が通じるのが特長です」と自慢していました。こんな山奥の登山道の横にも携帯電話用の鉄塔があって、アンテナが設置されているのを私は見ていたので、Oさんがそういう事を言ってもおかしくないと思いました。
イメージ 1
 ( コル(鞍部)から広場に向かう階段状の場所から望む四姑娘山 )
イメージ 2
               ( コル(鞍部)から上がった広場から望む四姑娘山 )
イメージ 3
                 ( 広場の先に見える小高い山の頂上が大姑娘山の頂上 )
イメージ 4
              ( 広場の先にある小高い山の登山道 頂上の旗が見えてきた )
広場の先にある小高い山を真直ぐ登るのは大変だと思っていたら、登山道は急坂のつづれ折れの道になっていて一足ずつ歩いて登れる道でした。早朝で日影になっているので岩には霜が降りていて、気をつけないと靴が滑るのが少々恐い場所でした。そういう滑りやすい岩を避けながら一歩一歩のろのろと上がると何とか頂上まで登ることが出来ました。
イメージ 1
 ( コルから見えた快晴の空に見える四姑娘山の雄姿 )
イメージ 2
 ( コルから見えた四姑娘山に連なる山々 )
イメージ 3
 ( コルから見える四姑娘山の反対側の山々 )
イメージ 4
 ( コルから見える四姑娘山の反対側の山々 )
コル(鞍部)に上がると、眼前には四姑娘山が快晴の空に鎮座して見事なものでした。又、当時は快晴で雲ひとつ無く周りの山々が綺麗に見渡すことが出来ました、まさに絶景というにふさわしい場所まで上がってきたのだと少しばかり興奮するのを覚えました。ツアーメンバー全員がこ踊りして写真を撮りまくっているという状態で自然に休憩になってしまいました。こういう絶景を見ていると先ほどの急坂での疲れを忘れることが出来ました。
大姑娘山の反対側にも高い山が見えていましたが、名前は分かりませんでした。コルに上がってほんの30分ほどは快晴で山並の風景を見渡すことが出来ましたが、その内に雲が出てきて反対側の山は雲で見えなくなりました。四姑娘山だけは下山するまで姿を見せていたので今回の登山は十分満足することが出来ました。
成都から来た中国人ガイドのMさんは大姑娘山に4回登頂していたそうですが、四姑娘山を見たのは1回だけだったということだったので確率は低いのかなと思い、登山前には見られなくても仕方が無いという気持ちは半分はありました。実際にはここまで完璧な綺麗な姿を見られたので、見られないかもしれないという抑圧された感情が一気に反転して強い感動を覚えたのでした。
 
コル(鞍部)で少しだけ休むと、列の先頭にいたMさんが登ろうとしたのでHさんが諫めて「時間が十分あるので急ぐ必要はないでしょう。そこで待っていて下さい」と言ってから、一番登るのが遅いKさんの旦那さんと私を列の前に連れて行きました。
この先は断崖の道で脇には鉄柵とワイヤーロープの階段状の道になっていて登り易くなっていました。とは言うものの標高5000mの高地なので歩幅でゆっくりしか歩けませんでした。四姑娘山を左手に見ながら上がると広場になっていて、小高い山が見えてその頂上が大姑娘山の頂上になっていて、既に数人の登山者が頂上にいるのがわかりました。この広場で一休みしてから最後の坂を登りました。
イメージ 1
( 午前7時10分 朝日の見える平らな場所で休憩 )
イメージ 3
( 午前7時30分 ガレ場を登る中国人ガイド )
イメージ 2
( 午前7時30分 急斜面のガレ場で休憩する中国人ガイド )
イメージ 4
( 午前8時頃 コル(鞍部)の急斜面を登る先発メンバー )
この登山道は道なき道のようなもので、ごろごろする岩の間を歩くなり、岩の上やはたまた岩の端を歩くような場所でした。行けども行けども岩ばかりで、とうとう何処が人間の歩く道かさえかも分からなくなりうような場所でした。
登山用語でいう所謂ガレ場で、これほどの大きなガレ場はあるのかと思わせるような場所でした。登山経験の少ない私にはとてつもなく長く広いガレ場のように思えました、その大きさは下山する時に更に感ずることになりました。
ガレ場はコル(鞍部)に近づくに連れて段々と傾斜がきつくなり歩きの速度がどんどんと落ちて行きました。最初は「20分歩いて休みましょう」とHさんは言っていましたが、段々とそういう事も言っていられなくなる程の斜面の前に来ると私とKさんの旦那さんが「もう駄目だ」と倒れこんでしまいました。Kさんの旦那さんは鼻汁をどっとだしていました。私も口からつばが時々落ちるような状態でした。
「もう少し先のコル(鞍部)からは四姑娘山が見えます」という場所でHさんはKさん夫婦と私はHさんが連れて上がるので、Mさんは他のメンバーと先に上がって下さいという指示をして2組に分けました。
元気なツアーメンバーはコルまでどんどんと上がって行きました。私とKさん夫婦も少し休むと最後の崖を登り何とかコルに到達することが出来ました。
イメージ 1
               ( 朝4時半頃の空は満天に星がちりばめられていました )
イメージ 2
                 ( 午前6時30分頃に夜が明けてきました )
イメージ 3
                 ( 午前6時50分頃 人の姿が見えてきました )               
イメージ 4
                 ( 午前7時頃 はるか下にキャンプ場が見えています )
朝4時30分起床、午後5時朝食、午後5時30分出発でした。大姑娘山登頂は午前9時の予定でした。標高4300mから5200mまで約90mmを3時間半で登る予定でした。
朝4時30分に起床してテントを出て空を見上げると、快晴で星と月が綺麗に見えましたが、月が明るすぎて星空の撮影は少しだけで諦めました。空の半分以上の空は月の明るさで星を写すことはできませんでした。空気が澄んでいる事と高い山の上なので、日本の都会の空では見えないような小さな星まではっきりと見ることが出来ました。
朝食はおかゆに何時もおなじおかずでしたが、おかゆを沢山食べて腹を満たすのは何時も通りでした。
 
午後5時30分に準備体操をして出かけました。Hさんは「皆さんが低酸素室とか、色々な訓練をしてきてその成果を出す時がきましたよ」と言うと、老齢者に対する励ましとも思えるし、同時に金を掛けてきた成果を出すときであると思うと義務感も湧き上がってくるのでした。
Hさんは「今まで登れなかった人はいませんでした」という話と、「前回、カメラを2台も持った人は30分遅れで上りました」という話を何回となくしていたので、素人の私でも何とかなるだろうとは想定していました。
キャンプ場を出る時はヘッドランプを付けて真っ暗闇を進みましたが、直ぐに霧が出てきて嫌な予感がしました。先が見えないので足元ばかり気にしているせいかどうか分かりませんでしたが、遅いペースながらも順調に進みました。途中で明るくなってくると登る山とは反対側の山々も遠くまで見えてきて天候が良いことが分かりました。
イメージ 1
          ( 食堂テント内の机に見立てた平たい大きな石の上にビニールが敷いてあります )
イメージ 2
             ( 黄色いスープが鳥鍋、最初はカレーかと思いました )
イメージ 3
                    ( 夕暮れのキャンプ場 右側は厨房の建物 )
午後6時が夕食の時間でした、ツアーメンバーのテントが並ぶ場所から一段低い食堂用テントに移動しました。
食堂用テントの外には現地のガイドやポーターさんが3人程が鉄製の棒にロープを巻きつけていて、私の顔を見ながらにやにやしていました。Oさんに理由を尋ねると、キャンプ場左奥の崖の上に野生の山羊がいるのをみつけたので、これから罠をしかけて捕りに行くのだということでした。
崖はゆうに3・400mはありそうな高さでしたがガイドとポーターさんはすたすたと重そうな棒を担いで歩いて行きました。現地の人は我々と違ってスポーツ心臓なのでこんな崖はたやすく登れるのかなと思いました。私は山羊を捕まえたらどうするのかと質問したら、丸焼きにして食うのだそうですという回答があり驚きました。現地の人にはたまのご馳走なのかもしれないとも思いました。
 
食堂として設営されたテントの中のテーブルに見立てた石は低いので膝を立てて食べるような姿勢になりました。
「今日は鳥鍋です。明日の登山に向けて精力をつけて下さい」と言ってHさんが洗面器のような容器にスープらしきものを持ってきました。お椀に肉やたまねぎを取って入れると、今までとは少し調理方法が違いました。鶏肉は骨が付いていましたが美味しく食べられました。たまねぎや人参も大振りに切ってあるので食べ応えがあるというものでした。全員が美味しいと言っていたので私の味覚は間違っていなかったと思いました。
翌朝は朝4時30分起床なので、食事後は早々に寝袋に入って寝てしまいました。私は体力以上の運動をしているせいか毎日よく寝ることが出来ました。只、夜中に冷えで小用で起こされることがたまりませんでした。この日の夜も3回起こされて夜中の真っ暗な中を危険な崖下のトイレに行きました。