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             ( 新四姑娘山荘に預けていたスーツケースをトラックに乗せる )
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               ( 日隆鎮長坪村から夾金峠に向かう途中の山道からの光景 )
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             ( 日隆鎮長坪村から夾金峠に向かう途中の山道からの光景 )
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              ( 寒い夾金峠で肩を出して肉を焼く若い女性が印象的でした )
普通の民家のようなレストランで昼食をそそくさと済ませてから新四姑娘山荘に戻り、ホテルに預けたスーツケースをピックアップトラックに積んでからツアーメンバーはマイクロバスに乗車しました。この時Hさんがコーラを買いに行きましょうと言って私を誘いました。雑貨屋らしい店で冷えていないコーラを買ったのですが5元でしたが私は4元しか手持ちがなかったので1元をHさんから借りました。冷たいコーラはこの旅では飲めませんでしたが、冷たくなくてもコーラは飲めるという実証をしたのかなと自身を納得させてしまいました。帰国後は冷やして飲んだコーラはぬるいコーラとは違うというのは実感しました。
ピックアップトラックの運転手は「毎年このツアーで運搬をお願いしている運送会社の社長です」という解説を聞くと、細い山道をびゅんびゅん飛ばして走るのが良く理解できました。
スーツケースは殆ど空で軽いと思われて、ピックアップトラックが山道を登る速度はマイクロバスよりも随分と速かったので、途中夾金峠でマイクバスに積んでいたダッフルバッグを全てピックアップトラックに積み替えていました。
 
午後2時に新四姑娘山荘を出発して一路夾金峠を経て宝興のホテルに向かいました。
来た時と同じ一本道の山道を上がって行きました。この山道も最初は視界が良かったのですが、我々が夾金峠に到着した頃にはすっかりガスで囲まれてしまいました。
この道は来るときは土砂崩れで通行止めになっていたのですが馬さんは「開通しています」という情報を得ていました。本来は行きの夾金峠でブルーポピーの原種を見るという予定でしたが、土砂崩れや事故で時間が遅れて見学できなかったので、帰りに見学するということになっていました。
午後3時頃に夾金峠に到着し、マイクロバスを出るときには寒さ対策で雨用上着を着ました。
最初にトイレに行きましたが、行きの時同様料金を徴収する現地人はいなかったので料金は不要でした。峠には露天が並んでヤクか豚か不明でしたが肉の串焼きとか、物やきのこ等を販売していました。
夾金峠には高級車が沢山駐車していて、人っ子一人いなかった来た時とは随分と様相が違いました。時刻が未だ夕方ではないので人でも多かったのだろうと思いました。
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           ( 日月山荘から昼食の場所までの移動 長坪村内 )
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                ( 日隆鎮に来て2泊した新四姑娘山荘に再び帰りましyた )
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              ( 看板の出ていないレストラン 自動車の後奥が入り口 )
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               ( 見慣れない野菜のスープや炒めものが並びました )
下山後、自分の靴を洗ってから日月山荘の前に立っていると「ポーターさんが荷物の運び賃五十元を貰ってないと言っています」とMさんから言われました。自分の財布には20元しかないのでMさんに30元借りてポーターさんに50元を渡すことができました。
この時、老牛園子で馬子さんが私のリュックサックを強制的に取られた意味が分かりましたが、最初からそういう説明をしてくれれば良かったも思いましたが、50元くらいで馬子さんの生活の一助にでもなればという風に思い悪い心地ではなりませんでした。
日月山荘から村外れのレストランに行きますというので再びマイクロバスに乗って移動して、最初に宿泊した新四姑娘山荘の前にある、看板もでていない普通の家の前でバスは停車しました。
レストランと言われた家は外見からするとレストランには見えませんでしたが、Hさんはこの二階ですとツアーメンバーを誘導していました。
レストランと言われた場所は三階建ての建物の2階にあって、三階の住人が我々の後ろを通るので廊下に机を置いてレストランにしたのかと思いました。又、この場所の奥にはトイレもあったので、レストラン用のトイレかと思いましたが、多分この家のトイレも兼ねているのだろうと推測しました。
2階に上がると大きい丸テーブルがあって椅子がメンバー分並んでいませんでした。私は何時もの仕事の要領でさっさと隣の机から椅子を運んで席を作りました。こういう老人のツアーでは「自分でやるのは嫌だ」とか文句を言う人が必ずいるのですが、このツアーもそういう予備軍がいるように思えたのですが、さっさと段取りしていくことの方がいいだろうと思って何時もそういう行動をしました。
 
お茶が出てから色々な料理が運ばれてくるとOさんは「中国の田舎料理です」と言ってました。Hさんは「今までで一番美味しい料理かも知れません」と言っていました。実際に食べてみると、田舎料理というとおり、何だか素人っぽい料理人が作ったのではないかと思わせるようなものでした。形は出来ているのですが、味はいまひとつだというのが感想でした。魚は煮魚で殆ど味がついていないので、上に振りかけてある生姜と葱と一緒食べるのだろうと思いました。但し、魚は子骨が多くて食べるのに抵抗がありました。
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                ( 中国人の馬子さんは仏塔の周りで休憩 )
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                  ( 最初は眺望が良い急坂でした )
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                     ( 小さな石がごろごろする坂道 )
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             ( 大川さんという日本人の住んでいる家が見えた場所 )
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                      ( 到着地の日月山荘前 )
仏塔のある場所での中国人の馬子さんの行動は「馬に草を食わせてから下山します」とか「老牛園子に馬と一緒に戻ります」というようなことでした。昨晩我々が支払った馬に乗る料金はその場で各人に配分されていて、到着後は各人の判断で村に行くなり老牛園子に戻るなりとしたのだろうと思いました。組合のようなものは無く、個人で馬を所有して管理しているのが垣間見えたと思いました。
 
仏塔から村までの坂は「急坂なので気をつけて下さい」と言われましたが、日本では普通の山であるような坂でした。砂利で足が取られないように気をつけて降りなくてはなりませんでした。
長坪村の家々が梢の間から見えてきた場所でMさんが「大川健三」という有名な写真家があの家に住んでいますと説明しました。奥さんが現地の人ということなのですが、こういう奥深い山に日本人が住んでいる事自体が珍しいことだとOさんは解説していました。
下山は橋を渡った反対側の場所にある日月山荘で終わりでした。土に汚れた靴が洗えますと言ってブラシを持ってきてくれたので、出たり出なかったりするホースのちびちびした僅かな水で靴の周りを擦ると少しはきれいになりました。
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                  ( 遠くに下馬する場所の仏塔が見えました )
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               ( 仏塔には歩きで下山したツアーメンバーが待っていました )
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                     ( 雲に隠れた四姑娘山が奥に見える )
馬に乗って村まで下山するのかと思っていたら、歩きで下山したツアーメンバーが休憩していた仏塔のある場所で下馬しました。この先は急な坂で馬が降りられないので自分の足で村まで降りるということでした。
中国人観光客のルートとは別の道を下ってきたようでした、我々の到着する場所は村長さんの経営するホテルなので、登山を始めた登山口とは違う道であると分かりました。
仏塔のある場所で一休みして四姑娘山の方を見ると雲で山が隠れていました、徒歩で下山したメンバーは「歩いている途中で見えました」と言ってましたので、馬に乗って遅れた時間に雲が掛かってきたのだろうと思いましたが、快晴の下での四姑娘山を見ているのですごく残念という気持ちにはなりませんでした。
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             ( 我々が休憩している横を大海子方面に向かう中国人観光客の一団 )
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                   ( お花畑で休憩する中国人を見ながらの下山 )
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                     ( 崖の道を行くツアーメンバーの隊列 )
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                    ( 遠くの山々を見ながら馬に揺られて下山 )
高原の山道を馬で行くと、途中で中国人観光客が上がってくるのに遭遇しました。馬の数だけ馬子さんのいるので、村人が総出で馬を曳いているのかと思える程沢山の老若男女でした。当然ながら馬子さん同士の挨拶も頻繁に行われている光景も見ながらの道中となりました。夏の観光シーズンに一年間分の稼ぎをしているのだろと感じた場面でもありました。
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                   ( 遠くの山並みも綺麗に見通せました )
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             ( 林の中のぐちゃぐちゃ道でも泥が跳ねる心配ありませんでした )
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                ( この地域管理所の国旗が晴天にはためいていました )
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                 ( お花畑を見ながらの下山 )
日隆鎮長坪村から半日かけて登山した長い道のりを、ゆらゆらと馬の背で揺れながら下山するのは非常に新鮮で楽しいものでした。第一に楽であるというのは言うまでも無いのですが、馬の背中の上の少しは小高い視線で景色が見られるので眺望が非常に良かったという印象でした。お天気も良かったので益々そういう感想を強く持ちました。
登山の時はお天気が曇りで眺望がよくありませんでしたが、この日は晴れていて遠くの山並みまで見渡せたので、心も晴れ晴れして疲れない分心に余裕があって景色を楽しめました。その景色は見た印象は、中国の山というよりも日本の山並みに近いと言う風に感じました。
時々現れるぐちゃぐちゃの道も馬ならば心配はありませんでした。「泥がはねるからスパッツや防水上着が必要です」と乗馬する前に言われましたが、そういう心配は無用でした。中国人観光客の乗馬は普通に観光する姿でしたので私は不思議でしたが、万が一の心配をしてのことかなと後で思いました。
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           ( 老牛園子キャンプ場の朝 馬がたくさん連れてこられていました )
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                  ( キャンプ場から直ぐの急坂を上り始めます )
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               ( 急坂を上がった場所で休憩 キャンプ場が下に見えます )
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                  ( 荷物を積んだ馬を連れて上がってきたOさん )
午前6時半起床、午前7時朝食、午前8時に歩く人出発、午後9時馬に乗る人出発という予定でした。
朝食は登山も終わりほっとして朝食もおかゆをたっぷり食べました。FさんやKさんだけでなく、みなさんが「ふりかけは如何ですか、もう残り少ないので」と言って回ってくるので、おかゆの味付けは色々で食べることができました。
馬で下る人は6名、歩きで下山する人は4名で、歩きの人の方が少ないということになりました。Hさんは「山に来たから歩かなくっちゃあ」と意気軒昂でした。後の人は特にコメントも無く歩いて下山しますという意志表示だけでした。
現地ガイドのOさんが盛んに馬の利用を勧めたということもありましたが、馬に乗りたいという人は毎日中国人が馬に乗っているのを見て乗りたくなったのだろうと思いました。私は、馬ならば急坂でも疲れないので楽だろうというのも理由の一つとしてありました。
 
馬に乗る前には好きな馬を選べというので私は割合大きな灰色の馬を選びました。馬が繋がれている間、この白い馬の横に二頭の馬が寄り添っていたので、馬の中でもリーダーかなと思ったからでした。実際に乗ってみるとやや馬力が弱いので年配の馬ではないかとも思いました。
馬に乗った場面の写真をMさんに撮影してもらった後、馬子さんに引っ張られて老牛園子キャンプ場を出発しました。
中国人ガイドのMさんは馬に乗る客を紹介してくれたサービスらしく、我々と一緒に馬に乗って下山しました。しかし、馬子さんがつかないので、隊列が前進している時は前の馬に続いていましたが、Mさんの前にいる馬子さんが馬を連れたまま小便で木陰に行くと、Mさんの馬もその方向に行ってしまうのが面白く思いました。前の馬の尻の後ばかりを追いながらの乗馬でした。
老牛園子キャンプ場から最初の急坂も馬は必死で登るので、自分で登るようリも非常に楽だというのを感じました。しかし馬も急坂では人間同様疲れるので、この坂を上りきった場所で馬を休めるために下りて一休みすることにしました。
 
急坂を上がって馬を休めていた時、中国人ポーターさんが荷物を積んだ馬がいないことに気づいて、老牛園子のキャンプの方を見ると、キャンプ場の前の川の反対側の山すそで草を食べているのが見えました。ポーターのOさんが急いで山を降りて現場に行って馬2頭を捕まえて、靴を濡らして川を渡ってくるのが見えました。その後は灌木の中で何処にいるのか分かりませんでしたが、30分以上もして漸く坂を上ってきました。Oさんの靴はずぶぬれ状態でしたが案外平気でした。
こういう事件が起きたので、予定では先に出発した歩いている人たちを追い抜く筈が最後まで追いつくことが出来ずに、長坪村の見える丘で合流したのでした。
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( 湯沸かし鍋のある小屋 )
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( 老牛園子キャンプ場の夕食メニュー 毎日同じようなものでした )
午後4時前に老牛園子のキャンプ場に到着し、再びテントが割当られました。私は以前よりも一個奥のテントになりました。中に入ると地面が傾いていて寝るのが辛いので、マットを斜めにすると何とか寝られるように思い、そのマットの上に寝袋を敷いて準備をしました。
夕食の午後6時までは2時間以上も時間があるので、テントの中で下山の荷物を整理しても十分に時間はあり余り、キャンプ場をうろうろして奥にある湯沸かし場の小屋に行くとOさんが火にあたっていたので私も中に入り火にあたりながら雑談をして過ごしました。
火にあたっていると温かく感じられたので、ここは標高が高く寒いのだというのを始めて意識できました。暖房もないテント場で寝起きしていたので、体が若干寒いのに慣れていたのだということでした。
小一時間もここで過ごしてから食堂に割り当てられたテントに行き、キャンプ場で出るおなじみのメニューの夕食を食べました。この日は最後というのでツアーの皆さんが持参したふりかけの残りがふるまわれ
ました。それでも振りかけの全部は食べられず残ってしまいました。
 
食べ終わると、Hさんが明日馬で下山する人の希望をとると、ツアーメンバー9人中6人が馬で帰るということでした。私は全員が馬で帰るのかと思ったのですが意外な結果でした。
その場で各人が400元をMさんに支払ってから、Mさんから荷物を馬子さんに持ってもらうと50元追加で必要ですと言われましたが、私は元の手持ちが無かったので支払えませんでした。リュックサックは自分で背負えばいいと思いました。しかし翌日には馬子さんが強制的に私の背中からリュックサックを取り上げて背負ってしまい、結果的に50元を支払うことになりました。
 
この日の夕食時には若い女性が給仕をしてくれたので少々驚きでした。現地の男は皆一様に日焼けなのか汚れなのか分からない位に黒い顔でしたが、この女性は普通に白い顔でしたので帰ってキャンプ場には不似合いのように思えたのでした。翌日、この女性も馬と一緒に下山したのでどの馬かの馬主だっかも知れませんでした。
いずれにしても、明日はもうあの急坂を登らなくてもいいいと考えただけで気が楽になり、大姑娘山登頂と下山の疲れもあって、テントで寝袋に入ると直ぐに眠りに落ちていきました。
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                   ( 急坂を下りどんどんと標高を下げる )
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                  ( 下る途中で荷物を下ろす馬と出会いました )
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                ( エーデルワイスの咲く丘を見ながらの下山 )
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               ( 遠くに老牛園子のキャンプ場が見えて一安心 )
アツモリソウを見てから急坂をぐんぐん下ると山の天気が変わり始めてきました。ガスが掛かり始めたかと思うとぽつぽつ降り出した雨が小雨になってきました。
長坪村への道との分岐点から少し上がった場所で休憩がてら雨具をつけました。老牛園子まではもう少しなのでぬれたままでも良かったと思うほどでしたが、風邪でもひいては何もならんというので全員が雨具をつけました。
日本人ツアーメンバーは殆どの人は綺麗なカラーのゴアテックスらしい高級品でしたが、中国人ガイドは100円ショップで売っているようなビニール製のポンチョを着ていました。
そうして雨具をつけて歩きだすと直ぐに雨が止んで何のために着替えたのかと思う程の短い時間の降雨でしたが、雨具をとる時間がもったいないのでキャンプ場まで全員が雨具をつけたままでした。
標高3600mの老牛園子のキャンプ場に到着したのは午後4時前でした、1号営地から約2時間半かけて下山したことになりました。
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                ( コル(鞍部)を背にして緩やかな斜面を下ります )
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                  ( 少し傾斜がきつくなった場所に来ました )
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                ( 太陽に照らされて少し干からびたアツモリソウ )
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                    ( アツモリソウに別れを告げて撮影 )
この時の下山は下りばかりでしたので疲れた体でもそれ程の抵抗はありませんでした。夜明け前からから一日中歩くなんていう経験は無いので、体力的な面だけではなく生活行動も違うことが疲労感にも現れたのかなと思いました。
1号営地からの緩やかか丘を下ってから、少し急な下る道に差し掛かった場所で「あっ、アツモリソウ」とHさんが叫びました。熱い太陽の熱に照らされて少ししなびかけていましたが、きれいなアツモリソウが1本だけ現れたので私は驚きました。直ぐに写真を撮りましたが、ここでも順番に撮影したので少し休憩になりました。しかし登山ツアーの最後の最後でアツモリソウが見られて幸運でした。この帰り道も行きとは違う道筋を下っていたのですが、ほんの偶然で見られたというのは、四姑娘山が快晴で見られたのと同じくらいにつきがあった登山ということかと感じました。何せ自然に生えているアツモリソウを見たのは初めてなので、その姿や形にほれぼれして余計に感動がありました。
感動した分心も晴れて疲れがいやされたのは確かでした、人間のいい加減な感覚と言うものを理解をしたとも思いました。