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                      ( 雅安の4つ星ホテルで昼食 )
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                ( 本格中華料理の数々、この画像の他に2品もでました ) 
昼食のために訪れた雅安のホテルはプールのある立派なホテルでした。レストランにはチャイナドレスを着た女性もいたので、ホテルの格がこれで知れるような気がしました。
最初はどんな四川料理かと心配半分と高級そうなホテルだったので期待半分でした。しかし出て来たのはプロの料理人が作ったと分かるほどに美味しいもので、この味ならは日本でもレストランで出せるものだと思いました。ツアーも終わりになるに連れて料理が段々と美味しくなるので、これもツアーの作り方として「終わり良ければ全てよし」で正解ですねと誰かが言っていました。
四川省に来て以来、色々な店の中華料理を食べてきましたが、ここにきて普通に食べられる中華料理に出会って、金を出せば日本人の舌に馴染んだ中華料理も食べられるのではないかと言う風に感じた時でした。山奥のテントでは、変な油で炒めた野菜ばかりを食べてきたので、それと比べると質と量の落差の大きさにも驚きました。
 
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              ( 人が住んでいないと思った程の山奥に通じる道路 )
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                     ( パンダセンターの立派な建物 )
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                ( 碧峰峡に向かうバス乗り場に行く途中 すいか売り )
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                ( 碧峰峡に向かうバス停留所の反対側にある土産物屋 )
碧峰峡パンダセンターは雅安の街からはずっと山奥にありました。細いつづれ折れの急坂を何回も登っていくと、こんな場所にも人が住んでいるのか感じてた頃に大きな駐車場のある雅安パンダセンターに到着しました。
入場券を購入するというので大きな建物に入り、MさんやOんはチケットを購入していました。その間にツアーメンバーはトイレに行きました。トイレは子供を意識しているのか小さいもので、又壊れているもののあり中国とはこういうものかと段々と中国式というものになれてきて抵抗感は少なくなっていました。
ロビーではHさんが公園の模型で場所を説明してくれましたが、いまいち理解がよく出来ないと思いました。この地図模型の前には大きな絵があって、パンダとは無関係なものだなと思い、その理由が知りたくなるような絵でした。
Mさんがチケットを購入したのでバス乗り場に行くと、途中に色々な食物を売る店やパンダの縫いぐるみを売る店が並んでいました。又、豚の燻製らしいものを見せて売りこみの声をあげている人もいて賑やかでした。
バスの停留所では並んでいる人が少ないと思って待っていると、Mさんが「お昼は休憩でバスは来ません」と言ったのでHさんが「先に昼食を食べてからにしましょう」と言って再びバスに戻り、昼食のために急坂を下って雅安のホテルに行きました。
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                        ( 古い民家のままの商店 )
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                  ( 両替した中国銀行の雅安支店 )
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                    ( ボロのシートをつけた輪タク )
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                    ( 女性が運転するの輪タク )
田舎道を進んでいくと段々とコンクリートの建物が見えて雅安の町に入ったことが分かりました。一見した印象は日本と同じで、公共移設は立派な建物ばかりですが、一般の商業ビルは古びているのが見えました。
先ずは両替をしなくてはならないというので銀行を探しました。最初に道路沿いに見つけた「中国xx銀行」の窓口にOさんが行って確認すると両替できないと言うことでした。それでは中国銀行しかないというので更に進んで、街の中心街らしい場所にバスを止めて全員で中国銀行に行きました。
中国銀行の雅安支店というのは、街の規模の割りに窓口が少ない小さな銀行に思えました。中には背の低い痩せた目付の悪い保安員がいて客の様子をじろじろと見ていました。治安が悪いというのを証明しているような光景に思えました。
支店の入り口に座っていた中国銀行の丸顔の若い女性は、田舎町の女性とは少しは違って垢ぬけていて、我々の方を珍しいものでも見る様な感じで見つめていました。この女性がMさんの両替を手続きしてくれたようでした。
最初は個人で両替しようということでしたが時間がかかりそうなので纏めてMさんが行なうことにしました。日本人だとパスポートを見せる必要がありましが、Mさんならば身分証明書だけで両替できると言うので円を馬さんに預けました。そこでOさんは纏めて両替するのなら銀行にいても仕方が無いのでバスに移動して下さいと言ってツアーメンバーを銀行からバスに移動させました。
雅安の横断歩道では信号が不明確なので道を渡るときは気をつける必要がありましたが、Oさんが心得ていたので安心してバスに帰ることが出来ました。バスではMさんの両替が終わるのをじっと待っていましたが小1時間も掛かってしまったので、バスの中では待ちくたびれてしまいました。
 
その両替が終わるまでの時間、バスの車窓から雅安の街をみていると、この街は古い中国があるのが良く分かりました。地方ではまだまだ経済発展の恩恵が届いていないという実感を持ちました。何より市民の足が輪タクで、その輪タクはぼろきれを載せた古そうなものばかりでした。これが成都の外れで見た輪タクはきれいな外観だったので、そういう差がはっきり分かる光景でした。しかし大勢の人たちの行きかう様子は商業活動が活発であることの証であると思えて、発展途上都市であろうというのが私の感想でした。
 
すっかり待ちくたびれていた頃にMさんとHさんが現れ、ようやくバスはパンダセンターに向うことができました。車内で両替した元を全員に配ると、両替した中で一番小額の二千円を両替したおばあさんが「端数は切り捨てて下さい」と文句を言って何がしかのお金を返していましたのがおかしかったと思いました。
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                       ( 綺麗な稲の棚田の風景 )
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               ( 3重事故の現場、人っ子一人いない場所でした )
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                 ( 古い芦山の街の一角、昔ながらの中国 )
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               ( トイレ休憩で立ち寄った中国石油の前の農家の庭先 )
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               ( 雅安の街の手前にの道に並ぶ名物のキウイ売り )
午前8時30分、爽金山大飯店前で40人乗バスに乗り雅安に向いました。バスの中では昨晩ツアーメンバーが欲しいと言われたお土産のカタログをMさんが配りました。それに商品見本というので飴やお菓子のサンプルも回ってきました。お土産にはカシミヤのスカーフもあるというので女性陣だけでなく、男性のHさんも色や柄のサンプルを見ていました。申込書に書いてMさんに渡すと「成都のホテルで品物を渡します」と言うことでした。お菓子は5個買うと1個おまけしますと言うので、お土産物だけに値段のつけ方はいい加減だなと思いました。私はパンダクッキーを5個と申し込み用紙に書き込んでMさんに渡しましたが、バスの中はお土産選びの嬌声とか他人に無関係なお土産の届け先の話で賑わっていました。
バスは宝興の街を出ると霧が出ていて景色は良くは見えませんでしたが、景色よりもお土産物選びに3・40分も時間が掛かったので、バスの車窓の風景に気が行ったのは芦山の町の手前でした。もう山を随分と降りた場所になってからのことでした。
 
見覚えのある綺麗な棚田の風景を過ぎると、雅安から宝興に向う時に遭遇した三重事故の起きた現場を通過しました。バスは注意深くゆっくりと走り、ぐらりと少し揺れただけで何も無かったように通過しました。あの時の騒ぎがうそのように静まり返った田舎の風景があるだけでした。
トウモロコシ畑に突然現れる御伽噺に比喩される様な新品の芦山の街並みを通過して、再び古い中国の村筋の道を進んでいると、バスの後ろに座っていて気持ちが悪くなったという女性が現れました。道がつづれ折れで揺れるので後方の座席では車酔いになったということでした。Kさんの奥さんと50歳代の女性が前方の座席に移動しバスが雅安に向かい走りは始めると、今度は別の女性がトイレに行きたいと言いだしました。
とある中国石油の給油所でトイレが借りられるかどうか運転手が確認し、それから全員がバスを降りてトイレを借りました。お金は必要なかったのですが手洗いの水は出ませんでした。トイレを出てから、この中国石油スタンドを撮影しようとすると店員が出てきて手をふりました、Hさんが「撮影禁止です」と言ったので意味が分かりました。しかし何で給油所が撮影禁止なのか不思議でした。
給油所で皆がトイレに行っている間、少し時間があったので道路の反対側にある農家らしい家が目に留まりました。家の前で子供達がトウモロコシの皮を剥いているところでした。「ニイハオ」と言っても反応は無く、子供達は嫌々仕事をさせられて期限が悪いのかなと思ってしまいました。それとも見慣れぬ人間に警戒をしたのかもしなれい等と色々考えてしまいました。
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朝食はバイキングでしたが、ここのおかゆは本当に米粒が無くて、鍋底にある米粒をすくって茶碗に入れるというようものでした、本場のおかゆとはこような物かも知れないと思いました。
ゆで卵がバットに積んであったので手に取ると、ゆでたままの湯の熱がそのまま残っていて火傷をするのかと思うほどでした。食べる時も、熱で殻をとるのに散々苦労して、熱々のゆで卵をふうふう言いながら食べました。
食べるものは饅頭や炒め物が並んでいて沢山あったので、少しづつ取って食べましたが、山のテントで決まった炒め物ばかりを食べていたせいか、独特の油の臭いも気にならずまあまあ美味しく食べられたと思いました。特に麺類は辛くて美味しいと思いました、Hさんは「これは本場のジャアジャア麺です」と説明していました。
 
食事後、荷物を持って部屋を出て1階ロビーに行きました。ロビーでは出発までの時間に片隅にある土産物コーナーの石細工を見学しました。夾金峠から宝興の町に下る時に、何時落ちてもおかしくないと思われるほどに大理石らしい大きな石を無造作に積んだトラックがびゅんびゅんと道を飛ばしているのが脳裏に残っていて、この地方は石の産地でもあるのだと思いました。
綺麗に磨き上げられている、小さな石の置物をお土産で買おうかと思いましたが、造形センスが凡庸なものばかりに思われて手が伸びませんでした。パンダの里というのでパンダの置物があったのはご愛嬌かと思いました。
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( つり橋を渡って街に出かける人、籠が中国らしい形 )
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( 楼閣風屋根付のベンチ、地元の人の交流の場所? )
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( 路地の大通りに出る少し手前の町並み )
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( 路地を出て大通りをホテル方向に歩く )
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( ホテル前の舗装前の道から街のシンボルらしい門を見る )
朝6時に目が覚めて、部屋のカーテンを明けても外は未だ薄暗い感じでした。顔を洗い髭を剃って自分の顔をまじまじと見つめると、成都を出発してから宝興に来るまではずっと帽子を被りっぱなしだったので、顔の鼻から上は白くて鼻先から下が真っ黒という二色饅頭のような顔になっていました。帽子を被っていた効果があったのはよかったのですが、顔の黒さ加減を見て山の紫外線は意外に強いものだというのを認識しました。特に鼻の頭は真っ赤になっていて赤鼻のトナカイに変貌したのかと、自らの顔の変貌に笑ってしまいました。この不自然な日焼け顔を修正するために、顔全体を日焼けさせないといけないと思って、この日以降は帽子を被らないことにしました。又、改めて手を見ると、登山中に手袋はつけてたもの常時ではなかったせいか、手の平の部分は真っ黒になっていて皮膚の皮が薄く剥けかけているような酷い外観になっていました。
 
朝食が午前7時30分と言われていました。朝食前の約1時間、宝興の街を散策してみようと思いたってカメラをぶら下げて出かけました。ホテルを出ても雲空の街は未だ眠りの中にあるらしく、人出は少なく朝の散歩で老人と時々すれ違う程度でした。
Hさんが昨日「つり橋があります」と言っていたのを思い出して、そのつり橋のある場所に行きました。空は曇で天気が悪そうで冴えない光の状態なので、川筋から街の様子を撮影しても冴えたものにはなりませんでした。
つり橋は古いものらしく鉄の錆が気になりました。出入口には楼閣のようなものがあるのが如何にも中国的だと感じました。橋を竹かごを背負った人が通るので撮影しようと思いましたがシャッターチャンスを逃してしまいました。橋を渡り始めると反対側から人のよさそうなおばあさんが菜っ葉を三把ほど手に持って渡って来るのに出くわしました。その様子を見て、橋の反対側にある誰かの家に持っていくのだろうというように感じました。お婆さんの風体は遠い昔に日本の何処にでもいそうな田舎町の素朴なお婆さんでした。
橋を渡ってみたものの、橋の反対側に行っても何かあるわけでもなく、古臭い中国の民家やトウモロコシ畑があるだけでした。そして次々に仕事場へ行くらしい、つり橋を渡って行く人たちを何人かを見てから、取り立てて撮影するものの無いので早々につり橋を渡り始めると、渡って反対側に来る時に出会ったおばあさんが帰ってくるのとすれ違いになりました。おばあさんは私の姿を見てにやにやしながら通りすぎて行きました。
橋の入口の楼閣が見えてくると、黒い犬が橋の中央に現れてじっと渡ってくる私を見ていました。犬は逃げる様子はありませんでした、餌でももらえるのかなと思って私を見ていたかも知れません、私は目を街の方角に向けると犬はそそくさと釣り橋を出て行きました。
 
田舎町で写真撮影をする場所も無いのかなと思って道路の反対側側を見ると、中国式の屋根の先が反り上がった建物が見えました。お寺かなと思った場所は市民の休憩所らしい場所でした。階段を上がると道があったので、その小道を歩いてみることにしました。
歩き出すと威勢のよい声が聞こえてきてバスケットボールでもしているような音が聞こえてきした。屋根付の体育をするような場所まで行くと2組がバスケットボールの練習なのか早朝の体操なのか不明でしたが真剣にボールの取り合いをしていました。中年の叔父さん連中が太った体の上半身裸で走り回っている姿が中国らしいと思いました。その連中は街で見かける痩せている庶民の体つきとは違ったので共産党の幹部かもしれないと思いました。
細い路地を更に先に進むと、朝7時なのにもうセメントを捏ねて煉瓦を壁につける工事をしている場所もありました。こんな朝早くから働いているものだと驚きました。成都の高速道路の現場で、午後7時過ぎでも基礎の穴掘りで働いていた男の姿を思い出しました。中国は労働時間の管理はされていないのかも知れないと思いました。
この通りは宝興の立派な人民委員会のビルもある割には狭い道でした。それに再開発しているらしく、足場が道の両側に立っていて建設ラッシュの様に感じました。暫く歩くと自分の宿泊しているホテルの裏通りであるのを分かりました。ホテルの窓から見えた足場は、一部ではなくずっと林立しているのがこの道から見ると良く分かりました。
のろのろと一本道を歩いていても、この小道は大通りに出る道が無いので行き止まりかと不安になりましたが、ホテルの裏通りの少し先で大通りに出たのでほっとしました。時間が既に午前7時20分を過ぎていて、朝食の時間が迫ってきたので少々焦りながらホテルに戻ると、ホテルの門のある場所ではツアーメンバーの何人かがうろうろしているのに出くわしたので挨拶をしました。
急いで部屋に戻ってカメラを置いて、午前7時30分丁度に離れのレストランに行きました。ホテルの廊下を歩いていると緑色の大きなバッタがいたので驚きました。Kさん夫婦の部屋には中にいましたと朝食の時に報告がありました。
帰国後に東京都内の公園を撮影に出かけた時、公園の外の道路を歩いていると、薄暗いガード下のコンクリートの壁に小さな緑色のバッタが張り付いていたので、その姿を見た時に宝興のホテルの廊下のバッタのことをを思い出してしまいました。
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                      ( ホテルのロビーの様子 )
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( 綺麗な部屋の様子 )
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( 水漏れする使用前のシャワー室 )
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( 中国の味付けにも慣れて来た夕食 )
ホテルのロビーで30分もかかり、少しいらついて部屋に入りました。パンダが売りの街だけあって、部屋の扉についている部屋番号を示す金属製のプレートはパンダの形をしていました。
部屋はきれいなもので、毎日テントで寝泊まりしていた身には天国のようにも思えた程でした。早速、洗面台で手を洗おうとして水道の蛇口をひねるとぐらぐらして配管が固定されちないのが分かりました。その上、水を少し勢いよく出すと水が配管から漏れて床が水で濡れてしまいました。こういう状態を夕食の時にKさんに話すと「中国ではごく普通のことです」と何回も訪れている経験者からコメントがありました。
シャワー室も見た目にはきれいに出来ていましたが、湯を出したらHさんの説明通りにシャワー室の外に湯が漏れ出て床が水浸しになっていました。
かように、中国では設備がいい加減というのは、田舎のホテルのことであって、成都のホテルでは全く問題のなかったことを記しておきます。
 
ホテルのチェックインに30分ほども掛かり夕食の時間が遅くなったので、Hさんは「荷物を部屋に入れたら直ぐに食堂に来て下さい」と説明をしました。ホテルに伝えた予定時刻を遅れていたのかも知れません。
3階の部屋には荷物だけを置いて、手を洗ってから直ぐに1階別館の食堂に行きました。
食事は体調も回復して少しは油物も食べられるようになったので、少しだけは食べました。そこにMさんとHさんが「食事の味はどうですか」と現われたので色々と質問をしました。
私は「明日の雅安のパンダセンターでは円が使えるのですか?」と質問すると「使えません」という回答でした。「もう元が無いので両替が必要です」ということと「お土産を買いたいのですが」という質問を投げました。
この時にツアーメンバーが考えていたことは、お土産をどの位買うかという事とオプションツアーの川劇(せんげき)を見に行くかどうかということでした。
「川劇というのは北京で行なわれている京劇(きょうげき)と同じで、四川省でおこなわれているので川劇というのです」とMさんが説明してくれて分かりました。ツアー前には全く情報が無かったので行くかどうか迷いましたが、折角ここまで来たので旅の記念に行こうと思いました。中国元で300元、日本円だと4900円というので圧倒的に元払いのほうが安いと分かりました。
日本には元を持って帰りたくなくというツアーメンバーの気持ちは同じで、両替は支払予定金額分だけきっちりとしたいと思いました。私はMさんに30元と早野さんに1元の借りがあったので、その分も返す必要があったので加算せねばならないと思っていました。
パンダセンターでお土産を買えば全て済むと思っていたのですが、円は使えないのでどれほどの元に両替すればよいのかという議論になりました。お土産はチョコレートとかクッキーの類だろうと思いましたが値段の想定がつきませんでした。
その時Mさんが「お土産のカタログがあります」と言ったので「じゃあ持ってきてください」と言うとバスの運転手が持っているので今は出せませんと正直に言うのでHさんが「Mさんは商売に慣れていないので・・・」という言い訳を言っていました。
カタログを貰えば商品を決めて値段が決められるので、両替する金額も確定できるのにというのがツアーメンバーの気持ちだっただろうと思いました。
この時Kさんが「パンダセンターの外にある店は値引してくれるのでしょう」と言ったのでHさんが「パンダセンター内は公共施設なので値引はあまりしませんが、外の店は出来るでしょう」と言ったので私は「でも、その品物の品質は分かりませんよね。変なお土産は持って帰りたくありません・・・」と意見みたいなもの言いをしてしまいました。
それを返してKさんは「どうせ表示価格の半値くらいで売ってくれるのでしょう?そういう値引の交渉が面白いのだよね」と反論していました。私は土産物で値段を値切ってもたいした金額でもないので時間が無駄であるという風にしか思えないので、それ以上の話はしませんでした。
Mさんは、お土産のカタログは明日の朝バスの車内で配りますと言ってから、お土産は5個買うと一個おまけしますといわれたので随分とサービスの良いことだと思いました。私はパンダのクッキーを買うくらいの気持ちしかなかったので、色々な土産を考えていた人よりも気楽でした。
Hさんは「それじゃ明日は先ずお土産を決めてから両替に行きましょう」と言って夕食は解散になりました。
 
ホテルの部屋に帰ると、登山で使用したダッフルバッグの荷物をスーツケースに移すという作業がありました。
汗の滲み込んだシャツやパンツを整理してスーツケーに入れました。老牛園子でサンダルが必要と言われていたので持参しましたが使わないのでここに置いていくことにしました。
たくさんのビニール袋も捨ててスーツケースを整理するときっちり収まる程度になりました。
四姑娘山の写真集と成都のホテルで買ったお土産のお茶も丁度きれいに収まり、後は手土産を買えば終わりというような状態にすると何だかすっきりして気持ちの整理がついたような気持ちになりました。
新四姑娘山荘で酷い下痢をして、6日間も体を洗っていなかったのでシャワー室が排水の悪いのも気にせずに頭から足までタオルでごしごし擦って垢を落としました。案の定、シャワーが終わってみると洗面室の床の一部に水が染み出していたので、Hさんのアドバイス通りフロアマットに水を吸わせてきれいにしました。
体を頭から足の先まで丁寧に洗うと気持ちよくなり、すっきりした気持ちでベッドに入りました。
もう何日も狭い寝袋生活に慣れていたせいか、大きなベッドのシーツは快適すぎて気持ちが良いと感じました。しかし1時間経過しても眠れず、水を飲んだりして眠ろうとしましたが寝付けず仕方なく持参した睡眠誘導剤を飲んだら漸く眠ることが出来ました。快適すぎる環境では眠れなかったのか枕が替わって眠れなかったのか不明でしたが、登山も終わってほっとして返って緊張感が増したのかと色々考えてしまいました。
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                      ( 夾金峠からの下り道を望む )
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                  ( 畑には一面のトウモロコシが植えてありました )
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                ( 小山のがれ崩れで土砂が道路をふさいでいた場所 )
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                    ( 宝興の街外れの夕暮れの時の店先 )
夾金峠の標高標識のある場所でMさんに撮影を御願いしました。夾金峠に来た時も同じ場所で撮影したので「登山前後の写真になります」と説明したのでした。帰国後にこの時の写真を見ると疲れた顔をしていているのが良く分かりました。
夾金峠から宝興の街までは下りばかりでした。つづれ折れの山道がダムのある湖の見慣れた道に入り、いよいよ山崩れのあった場所だというのは案外遠いものでした。
山道の脇に村々の家が見えてトウモロコシ畑が続いて見えました。このトウモロコシが川岸の植えられる場所には全て植えるほどと思うくらいに植えてあったのが印象的でした。収穫を少しでも多くするために段々畑が山の頂上まであるのと同じくらいに、川の狭い場所にこれでもかと植えてありました。通行中の道にでかい黒豚が道端をうろうろしていたのも中国的だなと感じさせる光景でした。
がけ崩れのあった場所の土砂は大半が取り除いてありましたが完全ではありませんでした。土砂が取り除かれていた小山は土砂が流れてやせ細って、鉛筆の先のように見えました。
この道路は土砂崩れした場所以外でも、生活道路といいながら落石や小さな土砂崩れで道路の半分が使えなくなっている場所がありました。日本の1日に車が1台も通らない立派な林道とは比べ物にならないのですが、道路を整備するだけの財政力が無いのだろうと感じました。
崖崩れの場所では苦労して道路に荷物を運び上げた記憶もすっかり消えていたのは、旅も終りになって疲れが出ていたからだと感じました。「ここを登ったのだよね」という誰かが感想をぽつりと述べても全員が無反応なのが、そういう状態であるのを示しているようなものでした。
案外素気なくがけ崩れがあった場所を通り過ぎると宝興の街に直ぐに入りました。田舎町の風情漂う細い道をバスが進むと「黒猫xx」と書いた門の前にある爽金山大飯店に到着しました。バスがこのホテルに到着する前にHさんから「このホテルのシャワー室は水の流れが悪いでの気にしないで下さい。水が溢れたら、マットで拭いてシャワー室に入れておいて下さい」と言って、欠陥がありますという事実を事前予告していました。
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夾金峠の小高い丘のお寺の裏手にあるゴミ捨て場のような斜面には所々に可憐な色のブルーポピーが咲いていました。ツアーメンバー全員がこの中国の山奥には再び来ることは無いと言っていた通り、多分私も同様にこの場所を訪れることは無いだろうと思うと、このブルーポピーとの出会いもこれで終わりと思い少しばかりせつない感情が湧きあがり、足場の悪い急斜面で何とか良い花の写真を撮影しようという気持ちになりました。
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             ( 夾金峠の駐車場から登って来た道路を見る )
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         ( 夾金峠のお寺に至る道 この丘の反対側にブルーポピーが咲いていました )
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             ( お寺の中は真っ暗で撮影に苦労しました 感度を上げて撮影 ) 
ツアーメンバーは駐車場を出て登って来た道を左手に見ながら道路の脇にあるお寺のある小高い亜丘に向かって歩きました。高度順応がきいているせいか普通に歩いている分には息も苦しくなるようなことはありませんでした。
ブルーポピーの原種はこのお寺に行くまでの丘にあるということでしたが見当たりませんでした。ブルーポピーが咲いているのが見えたのは丘の反対側の斜面でした。
しかしながらその場所はコンクリートの破片等が散乱するゴミ捨て場みたないな場所でした。撮影に不要なものが写らないようにゴミを下に投げ捨てる場所もありました。ブルーポピーはそれ程多くは咲いていませんでした。
添乗員の解説では「夾金峠だけに咲くブルーポピーで、原種です」ということでした。周りはガスで視界不良で、遠くの景色は見えないのでブルーポピーを撮影すると後は撮影するものはありませんでした。共産軍がこの峠を越えて行ったという長征の記念プレートもありました。
 
お寺の中に入る人影が見えたので私も中に入りました。線香を持って拝むというようなことをしていたので私は「お賽銭は・・・」と言ったのですが反応は無く無頓着な様子でした。高齢者というのは全く持って非礼だなと思った時でした。私は写真だけ撮影して外にでましたが、賽銭ほどのお金は持ち合わせが無くて出せなかったので少し悔いが残りました。