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( 成都から日隆鎮までの道筋 )
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          ( 京昆高速道路の北京市からの距離が1Km毎に表示されていたのは驚き )
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                    ( 石象村のサービスエリアのトイレ )
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               ( 石象湖への入り口がサービスエリアにつながっている )
この日の朝、午前8時30分から9時まで、ホテルの一室を借りてツアーの説明をするということで現地添乗員のMさんとOさんがパソコンとプロジェクターを持ち込んでいました。
説明は殆どが登山に際に見られるらしい高山植物の花の写真でした。登山歴の長いらしいツアーメンバーは「あれは知ってる」とか「見たことがある」とかという発言を聞いていて、私はそういう知識の持ち主に感心するばかりでした。
 
午前9時頃にバスはホテルを出ましたが、成都中心街の渋滞に阻まれて、バスは高速道路にはなかなか入れませんでした。中国では車道で車の割り込みが激しくて、一車線に2台の車が入ったりして日本では考えられない光景ですが、中国の人には普通のことらしいと思いました。車が渋滞しているので路線バスも中々動かない場所では、道を歩いていたおばさんが運転手に交渉して「乗せろ」と言っているのではないかと思えるような場面にも出くわしました。
のろのろした渋滞を過ぎて漸く高速道路に入る場所では、道路を走る登録が必要だというので道路の端にある管理事務所に運転手が向いました。こういう中国の手続は興味深く思えました。
この時、バスの中で年配の女性が「以前に中国に来た時は自転車ばかりだったのに・・・」とか「何故高速道路で手続きするの・・・」とかを現地添乗員のMさん声高にしつこく聞くのが耳障りでした。自分の価値観を他人に押しつけているのが不快な原因だと分かって、浮世を忘れるのに旅に来ているのにラジオの雑音がピーピーと鳴り響くような嬌声を聞かされたのでした。
 
走る道路は昆明道路という名称で北京市から雲南省昆明まで続いている総延長2865kmの高速道路で、1km毎に北京からの距離が表示されていました。最初は何の数字なのかMさんに聞いても答えられず、Mさんは運転手に聞いても「気にしてないから知らない」と言われましたが、途中トイレ休憩で立ち寄った石象湖というサービスエリアで誰かに聞いて、その数字の意味を私に教えてくれました。
成都を出ても暫くはマンションの建設が目立つ光景が続き、大きなスローガンが書かれた看板が目立ちました。暫くするとスローガンの看板は広告に変わって行きました。それに、高速道路際には立ち木が切れ目なく植えられていて、眺望が殆ど無いので景色が楽しめませんでした。
国の恥を見せない為に、わざと景色を見せないようにしているのかと思える程に、念入りに立ち木が立っていました。それでも木々は時々途切れるので、田園風景が垣間見られるのですが、そういう光景が見られない高速道路は本当に詰まらないと感じました。
午前12時少し前、にトイレ休憩で大きな駐車場のある石象村という場所で休憩しました。「トイレの紙はありませんよ」と添乗員のHさんに注意を促されながら全員がバスを降りました。日本の高速道路のサービスエリア同様、大きなトイレ棟の横には売店やバスの待合室がありました。現地の中国人添乗員からは「この場所は石象湖という観光地への入口ですよ」と説明を聞きました。
ここの売店で、ツアーメンバーはお菓子やジュースを購入しました。私はバスの待合室の奥でプラムや梨を売っていたので、梨を1個5元で購入しました。日本で言えばB級品でしたが、ここではそういうことは関係無く量り売りでした。この時期に梨が食べられることの方に興味があったので楽しみにしてバスの中でたべましたが、甘みが薄かったので期待はずれでした。ツアーメンバーが買った色々なお菓子が車内で配分されたので、少しお腹の空いた頃には丁度良い補給となりました。
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                                    ( 成都の朝 毛沢東像 )
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                     ( 成都の朝 天府広場前 通勤風景 )
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                  ( 成都の朝 裏道の店 昔ながらの風情に見えました )
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               ( 成都の朝 裏道の店 朝早くから開店しているのが印象的 )
成都のホテル到着後、翌朝の朝食は朝6時30分から食べられるということでした。日本人らしく、6時30分より少し早めに3階のレストラン行ってバイキングの朝食を食べました。時間が開始よりも早かったせいもあり、全ての食材が並んではいませんでしたが、朝食用に食べるには十分バラエティに富んだ種類の中華料理が楽しめました。食材は油でいためたものだけでなく、蒸したものもあったのが体には合うような気がしました。それに、入口にはスイカやメロンと林檎は切って置いてありましたが、レストランのウェイターがスイカを堂々と何切れも取って厨房に持って行ったのは中国ならではないかと感じました。
 
当日は出発が午前8時30分でした。成都の朝をを見学する時間が約1時間あると思いホテルを出て、昨日馬さんが解説していた夜には皆が集うという天府広場方面に向って歩きました。行けるところまで歩こうと思いましたが道筋も分からず大通り沿いにあるくだけでした。
天府広場の反対側には毛沢東像があるのが分かり撮影しましたが、そこには若い警察官が常駐していました。若い警察官に向って手振りで毛沢東像と一緒に写真を撮らせてもらえませんかと仕草で説明すると「ノーフォト」と言って断られました。この時は諦めましたが、帰り際にしれっとこの警察官と毛沢東像を撮影しました。
大きい道は朝の通勤する電動バイクと車で混雑していて街の熱気が伝わるような気がしました。日本で言えば満員の通勤電車の光景と同じことかと思いました。
30分経過して到着したのは公園が見える場所の反対側でした、ここで引き返してホテルの方角に戻りましたが、途中でわき道に入るとそこには昔の中国の光景が広がっていました。八百屋・肉屋・饅頭屋が点在して人々が開店準備やもう既に店開きを終わって客もいました。
表通りは新しいビルが建築されているのに、一歩横道に入ると昔ながらの生活があるという発展途上の国にありがちな裏通り街の光景を見ました。4・50年も遠い昔の日本もこういう街の状態ではなかったかと、思い出せもできないながら、うっすらと残滓の如くのこる記憶を辿るような瞬く間を過ごしました。この横道から再び大通りに戻ると再び現実世界に戻ったような気になり、電動バイクで走る人たちを撮影しながらホテルに戻りました。
 
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      ( 成都のスーパー入り口 ビニールの短冊が冷気が出ないように垂れ下がっている )
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          ( 成都のスーパーは日本のスーパーと同じでした ビニール袋は有料 )
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              ( 成都の中心街の夜 繁栄している街のように見えました )
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       ( バイクは殆どが電動で騒音も出ず静かです 自転車扱いなのでヘルメット無し )
午後9時も少し前に添乗員のHさんからカードキーを貰って部屋に入りましたが、私は登山で水を沢山飲む体質で、旅行会社から支給される500mlの水1日2本では不足するので水を買いたいという申し出をしました。
部屋に荷物を置いた後に直ぐにロビーに戻って、HさんとMと連れ立って近くのスーパーに向いました。ホテルから歩いて5分ほどで大きな通りに面したスーパーに到着しました。入口は厚手のビニールの短冊で冷気が外に流れないようにしてありました。それほど大きく無い売場には色々な食品や日用雑貨品が置いてあり、私は水のペットボトルが欲しいと手振りで近くの店員に告げると、直ぐに置いてある場所が分かりました。
上海空港で緑茶と思って購入したものが砂糖が入っていて甘いので登山の飲料としては使えないと分かっていたので、本来ならは日本茶が欲しいと思いましたが諦めて600mlの水を5本購入しました。ペットボトルの水は1本1元(約13円)だったのでえらく安い水だと思いました。レジでは袋が有料なので、細かいつり銭をもらい処分をどうしようかと考えてしまいました。
スーパーの店内を撮影していると、掃除をしているお爺さんが撮影は駄目だというのを中国語で言うのが分かり、逃げるように外に出ました。
H野さんやMさんは色々買いこんでいましたが、翌日のサンドイッチ用のパン・ソーセージ・トマトにマヨネーズ等、後々テント生活で必要となりそうなものを買い込んでいました。テント場の昼飯にでた麺類もここで乾麺を仕入れていたのかも知れませんでした。
 
スーパーからホテルに帰る途中の道すがら、もう午後9時も過ぎているので大勢の人出がありました。日本でも景気の良い頃、東京の繁華街は夜遅くまでにぎわっていたので、そういう光景を思い起こさせるものでした。
それに、街の中心地を之ほどの大勢の人が歩いていること自体がおかしなことであると感じました。私をにやけて見ながら、若者がゴミ箱に手を入れているのが印象に残りました。
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                ( ホテルのロビーでチェックイン手続き中 )
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                   ( ホテルのロビー 三国時代のレリーフ )
午後8時30分も過ぎてホテルに到着した後、長旅の疲れも出て早く部屋に入りたいと思いながら、HさんとMさんがチェックインを手続をしていました。中国では宿泊や観光地の出入りに外国人はパスポートが必要なので、普通にホテルにチェックインするのに比べて何倍も労力と時間が掛かるのでした。
 
ツアーメンバーはロビーの中央にある椅子に座っていましたが、私は奥に売店があるので水でも買おうかと思って中に入りました。日本語の上手い若い女は私を見てカモが来たのかと思って傍に寄ってきて「この店は近く閉店するので安くしときます。このパンダのキーホルダーは5個で1000円でいいです」とか「奥のショールも安くしときます」とか男がショールなんか買う筈もないだろうと思っているものの、相手は早々と販売攻勢モードに入っていた。
私は「相手にもせず、水はありますか」というと奥にあるクーラーを指差して「5元」ですと説明するので「スーパーなら3元ですかね」と一人言を言って、高すぎる水のペットボトルを買うのを諦めました。
店の真ん中にあるショーケースの見ると写真集が置いてあって、四姑娘山とか花の写真集があったので「これを買いたいんだよ」というと「これが最後の商品ですよ」と畳み込もうとするのでした。
そこにツアーメンバーの男が入ってきて、写真を見るので私は取られてはいけないと思って手に取ると、店員は奥の棚から在庫を出してショーケースの上に写真集を積み上げました。一杯あるんじゃないかと思いながら、気に要ったものを写真集を購入しようとすると150元ほど必要であることが分かり、残り200元ほどしかなくなったので「両替してもらえる?」と質問すると「いい料率で両替しますよ」と猫なで声になりました。気持ちが悪いなと思いながら「1万円札しかないのですが、5千円お釣りで5千円分を元に両替御願いできますか?」と言うと「ここには日本円もありますから大丈夫ですよ」と言って、お釣りの5千円と両替した元を渡してくれました。両替率が高いのか安いのかも分からず、こういう場合は仕方なかろうと思って受け取りました。
店の入口からツアーメンバーの方を見ると、未だHさんのチェックイン作業が終わらずツアーメンバーは呆然として座っているのを見て買い物時間に余裕はあるのかと思って、ショーケースの中を見るとウーロン茶があって鐡観音というブランドのウーロン茶の箱が見えました。私が鉄観音の箱を見ていると、別のウーロン茶の箱を勧めて「3個で2000円でいいよ」と勧めてきました。私は普通のウーロン茶ではなく「鐡観音が欲しい」と言うと「2個で2000円で、別の鉄観音をサービスします」と言ったので「円でもいいの?」と質問すると「いいよ」と言ったので、ここで鉄観音を3個購入する羽目になったのでした。
店から出る時、若い店員の女が「又、明日来てね」なんて言うので「明日は日隆です」と言ってきっぱり縁を切りたいというなニュアンスの言葉を投げてロビーのツアーメンバーが集っている場所に行きました。
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                  ( 成都でも有名なレストラン 名前は不明 )
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                           ( 成都の夕景 )
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         ( 左側は夕すずみをする人出の天府広場 右側白の像は毛沢東像 )
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                          ( 成都の光か? きんきらきんのデパートの照明 )
午後8時頃にレストランを出てホテルに向った時は、少し暗くなってバスが走る成都の中心にあるデパートの照明が美しく輝いて見えました。輝くという表現よりもど派手過ぎるというのが私の感想でした。日本での電力事情を適用すれば無駄な照明ということになるのだろうと思いました。成金趣味らしい百貨店を過ぎて曲がった場所にホテルがありました。ホテルの正面横にパンダのモザイクがあって水が流れていました。
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                   ( レストラン近くの成都の街の夕景 ) 
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             ( レストランの名物らしいアヒル?の燻製が店の入り口に飾ってある )
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         ( 日本と同じ回転テーブルのある店内 中国のレストランには椅子カバーがある )
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                   ( 見るだけだと美味しそうな夕食のメニュー )
レストランに行くためにバスを降りると、午後7時頃でも十分に明るい状態でした。時差の1時間が間違っているのではないかと思う程の明るさでした。Mさんがバスを降りると「千円、千円・・・とパンだの縫いぐるみなどの土産物を見せて近づいてくる連中がいますが、きっぱり断ってください」とバス車中で解説していました。
下町風情の路地にバスが停車して、現地の人々が夕食後の団欒を戸外で楽しんでいる光景を見ながら、ツアーメンバーが下車を始めると、何処から現れたのかパンダの小さな縫いぐるみを二つ三つ掴んで「千円、千円」と言いながらおばさん連中が寄ってきました。ツアーメンバーは首や手を振って要らないという仕草をレストランまで続けていました。流石にレストランの中にまでは入ってきませんでしたが、食事後レストランを出ると再びたかってきました、まるで蚊が人にたかるような風情に思えました。
 
遅い機内食を食べたせいか、この鄙びたレストランで出された料理は余り冴えたものでは無いと思えて、食欲もそれ程でないので少しだけ食べて終わりました。随分と残してしまいましたが、その様子をHさんが見て「こちらでは少し残した方が礼にかなっています」となにやら分からぬ理屈で言い訳を言っているように聞こえました。四川料理と聞くと辛いというイメージでしたが、このレストランではその辛さもいまいち舌に届かないという風に思う様な料理だと思いました。
以後何度かレストランで食事をしましたが、日本人の口にはいまいち合わないような気がしました。ホテルのレストランでは日本でも食べる様なものでしたので、多分料金によってうまいまずいもあるのだろうと想像をしました。
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                       ( 成都空港に到着 )
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                    ( 成都市内は帰宅ラッシュで渋滞 )
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                 ( 成都市内 生活道路の横で建設が行われている )
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                  ( 成都市内 何処もかしこも工事中でした )
上海から成都までは3時間ほどのフライトなので、成都空港に到着したのは午後6時くらいでした。時差以上に明るいので、実際の時差はもっとあるのではないかと思える程でした。
成都空港では荷物を貰って外にでるだけでしたが、1階の荷物を受け取るターンテーブルの前に出迎えの人たちが並んでいて、現地添乗員の二十歳代前半に見える風貌の開襟半そでシャツ姿のMさんが手を振っていました。日本の添乗員HさんはMさんは初対面ということでしたが、直ぐに分かったようでした。私はMさんに名前を聞いてメモ帳にサインをして貰いました。この日の夕食はホテルではなく市内のレストランというので、空港からバスに乗って市の中心方面に向いました。
 
空港から成都市内に向かうバスの車窓から街を眺めていると、成都は建設ラッシュであることがよく分かりました。バスの車中でMさんが「成都では地下鉄と高速道路を建設中です」と説明してくれた通りに、街の道路は掘削機が動き、鉄筋がにょきにょきと現れて、地下には丸いトンネルが見えました。40年以上も前の日本が高度成長している時と同じような光景だと思い、現在の日本では失われてしまった発展するというエネルギーが満ち溢れているような空間だと感じました。
Mさんはバスが移動するたび現れるビルを見て「ここら当たりの部屋代はxx元です」という解説をしていて、成都では住居問題があるのだなというのを知りました。事実、収入の少ないMさんは「一部屋を二人で借りています」と言っていたので、建設ラッシュで綺麗なマンションが建築されても入居できる人は限られているのかなと思いました。それに「中国では結婚するのには家と車を持っていることが条件です」と言って、Mさんは暫くは結婚は無理だろという失望に満ちたニュアンスの発言をしていました。
翌日、Mさんに加えて日本語の上手なOさんがツアーに加わりましたが、彼の話では「中国では貧富の差があります」と言っていたので、経済の成長に乗って金を得られる人とそうでない人が明確に分かれているのかなとも考えました。
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                           ( 上海空港内の移動用電気カート )
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                                         ( 近代的で綺麗な上海空港 )
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                      ( 上海空港内男子トイレ 何故か一番手前のトイレには金隠しが無い? )
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                            ( 出発が1時間半も遅れた成都行き 中国国際航空機 )
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                                     ( 上海-成都 機内食 )
成田からの飛航機は予定通り午前11時30分に上海に到着して、入国検査をしてから成都に向かうゲートに進みました。入国検査は日本人だけでなく、イラン人の観光旅行らしい一団もいて片言の「コンニチハ」という会話もしました。中国は入国にはビザが必要というので入国審査も厳しいかと思いきや、日本と同じスピードでパスポートに判子をどんどんと事務的に押していました。又、そうしないと大勢の人たちが捌き切れないという事実もあると思いました。上海の繁栄というものをこういう場面で感じることが出来ました。
ここで日本からの荷物をピックアップして、再び成都行きの搭乗手続きをして荷物を預けました。この場所には旅行会社の専属という現地中国人のスタッフが出迎えてくれたので、搭乗手続きや移動にも迷うことはありませんでした。年配の痩せた男と若い男の二人組みでした、ターンテーブルから旅行会社のタグを見て全部下ろしておいてくれていました。
同時に両替もしてくれたので全員が1万円か5千円を元に両替しました。この時には、それ程大金を使うことも無いだろうと思っていたのですが、最後には全員が足りなくなって、ツアーメンバー同士で元の貸し借りをすることになりました。
空港の一番端らしいC96が中国国内線の搭乗口でした。空港の長い通路を歩くと、上海空港は成田空港よりもずっと大きいのではないかと、歩く距離の長さやゲート番号の大きさから感じました。又、空港内の移動に電気自動車が使われており、これも広さゆえの対策かと思いました。軽い警笛を鳴らしながら走っているのは中々ユーモラスに感じられました。
 
成都行きの中国国際航空の飛行機は午後13時40分に出発の予定でしたが、機体はなかなか現れませんでした。添乗員のHさんが登場口の係員に質問すると、インドのムンバイからの到着機が遅れているとのことでした。ムンバイからの飛行機が成都に行くと聞いてびっくりしました、国際線と国内線を共用しているのは意味が理解できませんでした。結局飛行機は約1時間半遅れの午後15時に離陸しました。
しかし、午後2時を過ぎると、成田から上海の飛行機で機内食を食べなかったせいかお腹が空いてきたので、仕方なく売店に行ってクッキーを購入してツアーメンバーに配りながら食べて過ごしました。この売店では、私は何を買おうかと迷っていると叔母さんの店員近づいてきて「クッキーです」とか「チョコレート菓子です」とか言って品物を解説してくれたので、買うものを決めるのに大いに助かりました。お金を払う時に「随分と日本語お上手ですね」と言うと「日本人が多いから勉強したのですよ」という返事があって驚きました。
飛行機が現れて搭乗できたのは予定よりも1時間半以上も経過した午後2時過ぎでした。すっかり腹具合もおかしく調子が狂ってしまいました。日本時間で言えば午後3時くらいでしたので、朝食を朝6時に食べて以来、殆ど何も食べないでいたので、上海から成都までの飛行機の機内食は味も分からずがつがつと食らうだけのものになりました。
このツアーでは以後色々な事件が起きましたが、この時間遅れの飛行機はその前兆ではなかったのかなと後で考えてそう思いました。
 
待合をする広い場所にはテレビがあってオリンピックの中継をしていたので、その画面を見ていると時間をつぶすのに退屈はしませんでした。それに、近くに座ってしいる中国人の家族とかビジネスマンの仕草を見ているだけでも時間がどんどんと経過していくのでした。それでも見飽きてしまうと、仕方なく立ちあがって搭乗口の周りの光景を撮影しました。2階に作られたレストランの看板には日本語書いてあったのを発見して、この空港には日本人が多いというのが分かりました。
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                                ( 成田空港 行き先表示モニタ )
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            ( 中国国際航空 737-800 座席図 通路が少し狭い )
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                    ( 中国国際航空 ド派手な機体 )
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                         ( 成田-上海 機内食 )
ツアーは8月2日午前7時に成田空港第一ターミナル4階に集合というスケジュールでした。当日、午前7時には自宅から成田空港に到着する自信が無かったので、仕方なく空港近くのホテルに前泊をすることにしました。飛航場が近いホテルなので騒音が煩いかと想像しましたが、音の問題は全くありませんでした。
後ほどツアーメンバーに前泊したかどうかと質問したら前泊したのは3名だけで、後の人は「朝一番の電車やバスで来ました」という答えでした。しかし朝三時に起きた等という話を聞くと、とても私には出来ないことだと思って前泊は正しかったと思いました。それに当日電車が遅れてギリギリに間に合ったというような人の話を聞くと余計にそういう実感を持ちました。
翌朝、朝早くに目が覚めて、午前6時40分のホテル発のバスに乗車するところを、6時20分のバスに間に合ってしまいました。しかし、バスは第2ターミナルから乗客を下ろしたので、第一ターミナルに到着したのは午前6時40分くらいでしたのでが、時間的には丁度いい時間でした。朝早いので乗客は少ないのかなと思ったら、バスは満席でしたのでびっくり、夏休みに中国や東南アジアから来たらしい若い男女が大勢乗りこんでいました。
 
午前6時50分くらいに指定された旅行会社の受付カウンターに行くと、野球帽を被った外見が冴えない年配の親父が一人だけ立っていました。使い古した大き目の登山リュックサックに小さな手荷物を持っていただけなので、これで10日間も旅行できるのか?と不思議に思えました。この人は東北の地方都市の人で、如何にも無骨ものにみえましたが、ツアーが始まっても余り他人を気遣うとかいう行動はなく、気ままな動きをしていたのが野暮に見えました。
そういう外見でとっつきが悪そうだったので敢えて私からは声も掛けず、私はスーツケースをその男の後ろに置いて並びました。しかしながら、集合時間の午前7時前になっても添乗員が現れないので、場所を離れようと動き始めたら痩せた若い男が現れて看板を掛けたりしたので、この男が添乗員のHさんだと分かりました。
Hさんが準備を始めるやいなや、田舎ものらしい男が旅行ガイドを見せて参加者だとHさんに言うと「少し待ってください」といさめられたのでした。後で話を聞くと、前泊して朝早くから並んでいたと聞かされたので焦っていたのかなと思いましたが、60歳過ぎたらもっと落ち着いてもよいのではないかという風に感じたときでした。
午前7時も少し過ぎるとツアー参加の9名は集りました。スーツケースを預けて、航空券も貰って出国しようという時間になっても「一人だけ遅れるので、先に搭乗口に移動して下さい」とHさんに言われて、9名だけが先に搭乗口に行きました。夏休みの始まりかけた時期なのでセキュリティチェックや出国手続も長い行列を作っていたので少し時間が掛かりました。
午前8時30分には、中国国際航空の搭乗が始まり「ニイハオ」と言いながら座席に座ると、日本の飛航機よりは通路が狭いように感じました。配膳している時に、後方にあるトイレに行くときには難儀をしながら細い通路を歩かなくてなりませんでした。
又、古い機体なので座席前に画面はありませんでした。天井両側から画面が降りるタイプなので、映画の予告編とかを上映していましたが観察するだけで見たいという気持ちにはなれませんでした。離陸前に安全について画面で説明するのは何処も同じでしたが、最後に機長と客室乗務員が頭を下げるシーンは中国ならではのものかと思いました。
 
30分ほど遅れたというツアーメンバーも何とか飛行機に乗り込んで、ツアーメンバー10名と添乗員のHさんの合計11名で予定通り、午前8時55分には中国国際航空ボーイング737で成田を出発して上海へ向いました。成田から上海への飛行時間は3時間20分ほどなので一昔以前の東京大阪間の新幹線での移動と同じ感覚を持ちました。この時、日本には台風が2個近づいていたので、飛行機の窓から台風の目が見えるのを期待していましたが、全くの期待はずれに終わりました。
飛航機が離陸して1時間もしないうちに機内食が提供されたので困りました。朝食を食べたばかりでとても食べれないので果物とかを食べて後は全部残してしまいました。時間は1時間の時差があり、中国では午前9時くらいなので遅い朝食でもおかしくはないのですが、体はそういう反応はありませんでした。
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         ( 一番奥の山は四姑娘山スークーニャン、一番手前の山が大姑娘山タークーニャン ) 
昨年来の多忙な仕事が続き少しストレスがたまってうまく発散することもできずにいて、又割合に長かった5月の連休もうまく利用できなかった不満がありました。夏休みは是非海外の山に行きたいという願望は年初からあったので、7月にはいると急に登山ツアーを探したいという気持ちが強くなりました。
昨年カムチャッカの登山ツアーに行った時、添乗員のKさんがツアー最終日の昼食時に紙に「四姑娘山」と書いて、お勧めですと言われたので、今年の行き先は昨年夏には決まっていたようなものでした。Kさんは「四姑娘山」は中国でも人気があるので混み合っていますよ」と解説までしてくれました。多分Kさん自身の四姑娘山には添乗員として訪れたことがあるのだろうと思いました。その込み合うという程度はどんなものか現地に行くまでは分かりませんでしたが、成都で合流した現地ガイドさんから中国も夏休みですと聞かされたので、家族連れが多く込み合うのだろうということが理解出来ました。
 
仕事のスケジュールとツアー会社の企画している大姑娘山登山ツアーの日程が合わなくて直前まで決められませんでしたが、K社のツアーに参加することにして申し込みをしたのは出発3週間ほど前でした。既に催行が決定しているということでしたが、参加者は予約時に聞いていた14名から実際には10名に減少していました。
大姑娘山の標高はインターネットで旅行会社や個人のHPの情報を調べると5025mとか書いてありましたが、山頂には5038mと書いてあり、中国ガイドブックには5355mと書いてあるとか混乱しているようです。中国の山岳地図を調べる余裕もなかったので本当のところは分かりませんが、大勢は5025mのようです。
 
参加するツアーの日程が決まると旅行会社から登山準備のパンフレットが送られてきました。富士山よりも高い5000mの山に登山するということで、高い山の登山に備えて「ダイアモックス」という薬の準備や「低酸素室の利用」を勧める内容が記載してありました。
ダイアモックスというのは本来は緑内症の治療薬ですが、高い山での順応性を高めるという目的外での使用でした。旅行会社の解説書には処方箋が必要と書いて有り、病院のリストも記載されていたので、このダイアモックスを入手するためだけに初めての近くの病院にいきました。医師に薬の必要性を告げると、慣れた様子で「この薬を飲んで登頂できなかったら諦めて下山して下さい・・・」とあっさりした口調で諭されました。こういう言葉を聞くと、本当に登山できなくなるかも知れないという不安が頭の中をよぎりました。
 
低酸素室というのは富士山頂上くらいの薄い酸素濃度に体を慣らすということでした。旅行会社の説明書には低酸素室の設置してあるというスポーツ用品販売が記載してあり、蒸し暑いさなかに現地に出向き一生懸命に場所をさがしましたが既に閉店したらしく跡形もありませんでした。
仕方なくインターネットで低酸素室サービスをしている施設を探すと、埼玉県の登山用品販売店で低酸素室を利用できることが分かり出発直前まで3回の利用を申し込みました。自宅からは1時間もかかるような場所でしたが、新しく登山靴も購入したので足を靴に慣らす目的も達成できるので苦にはなりませんでした。
「低酸素室の利用は登山の一週間くらい前がいいです」というアドバイスがありましたが、仕事の都合もありそういう利用日程は組むことが出来ず、登頂10日前の訓練が最後となりました。
低酸素室の利用は70分で、最初の30分は室内で体を慣らし、その後ルームランナーとステッパーを15分から20分位運動して、その後は高酸素濃度室に移動し休んでから退出するというものでした。1度目は試しみたいなものだったので、リュックサックを背負わず何もない楽な状態で練習しました。2・3回目は5Kgの重量のリュックサックを背負って運動すると結構汗が出て苦しくなったので訓練の効果はあったのかと思いました。
血中酸素濃度を測定するパルスオキシメーターの測定値を見ると劇的に順応しているようには思えませんでしたが、体の感覚として対応力が出来たという風に感じました。感じたというのはあくまでも自身の感覚なので、実際にそうなっていたのかどうかは分かりませんでした。しかしながら、こういう訓練する事自体は高所登山への心構えをするとか覚悟を決めるとかいう意味でも意義のあることであると思いました。ツアー中に聞いたところ、この登山ツアーに参加した10名のうち、低酸素室を利用したのは3名だけでした。そういう結果を聞くと、案外不必要なことだったのか感じましたが、体が人よりも虚弱と思っている自分には必要な工程であったと思い、訓練の効果を信ずることになりました。