ビワハヤヒデ | ミスプロの海外競馬

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ビワハヤヒデの死亡のニュース。

 

私は岸クンが鞍上だった時からのファンでした。

赤いマスクに覆われた白く大きな顔が目立ちました。

同期のナリタタイシン、ウイニングチケットと三冠を分け合ったのも印象深い1年でした。

 

ネットで拾った平松さとし氏のレポートです。

 

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7月21日、北海道日高町の日西牧場でビワハヤヒデが老衰により死んだとのニュースが飛び込んできた。同馬が菊花賞(G1)を勝ったのは1993年。このレース後、手綱を取った岡部幸雄(当時)騎手と話すと、彼は“さすが一流騎手”とも思える驚きの発言をした。

 

菊花賞を勝った翌週、美浦トレセンでこの主戦騎手と顔を合わせた私は「前半、少し行きたがっていましたね?」と聞いた。掛かりながらも圧勝した事から、折り合うようになればどれだけ強いか?という思いがあったし、逆に考えると折り合いだけがまだ弱点なのでは?という気持ちもあってそう聞いたのだ。しかし、それに対する名手の答えは意外なモノだった。

 

「折り合いを欠くというのは馬に走る気があるという事だからね。走る気のない馬よりずっと良いですよ。それをうまくコントロールするのがジョッキーの仕事であり、酷く掛かって負けてしまえば、それは馬の責任ではなくて抑えられなかったジョッキーの責任ですからね」

 

折り合いを欠けば、馬自身や調教を課す厩舎の責任にする騎手も多い中、さすがトップジョッキーは考え方が違うと思った。そんな事を間接的に教えてくれたのがビワハヤヒデだった。今はただ、安らかに眠っていただきたい。

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