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壱や【源氏物語】
宇治十帖
第四十九帖
宿木やどりぎ
壱やブログより画像お借りしました。
宿木前半のあらすじ
時は遡って薫が大君を喪う前の夏のこと、今上帝の女二の宮の母・藤壺女御が急死した。
十四歳になる寵愛の娘の将来を今上帝は思い悩み、薫への降嫁を思いつく。
薫は即答を避けたが、噂を聞いた夕霧は娘の六の君の結婚相手を匂宮に絞り込み、動き始めた。
それが原因で大君は中の君の結婚を悲観し、その年の十一月、心労で亡くなったのだった。
翌朝、藤壺女御の一周忌後に、薫は女二の宮との結婚を承諾するが、心では故大君を追慕していた。
いっぽう匂宮は、春から中の君と二条院で暮らす傍ら、夕霧の六の君との縁談が本決まりとなった。
中の君は一心に不安に耐えるうちに五月懐妊したが、子を持った経験のない匂宮には確とは分からない。
八月、匂宮の婚儀が迫ると、中の君を大君の身代わりと慕う薫は同情し、彼女を訪おとなってはしみじみと語るようになる。
その月半ば、豪華な婚儀のもと六の君を本妻とした匂宮は、六の君の予想外の美しさに魅了されて夕霧の邸に入りびたりとなり、中の君から足が遠のく。
傷心の中の君は薫を頼り、宇治に戻りたいと相談し同行を願う。
中の君に初めて気を許されたと感じた薫は自制心を失い、ついに御簾の中に入り、添い臥す。
だが、懐妊の印の腹帯に気がひるみ、中の君をいたわしく思って自分を止めた。
彼女をつらい目に遭わせたくはない。
しかし後見に徹することもできないと、思い乱れる薫だった。
宿木 後半のあらすじ
俄に夕霧の邸から戻ってきた匂宮は、中の君に沁みた薫からの移り香に気づいて二人の関係を怪しみ、二条院にとどまった。
これを聞いた薫は、慕情を抑えて中の君の後見に努めようと決心する。
しかし時には文などで気持ちをほのめかしてしまう薫。
中の君は困り果て、彼を遠ざけたい思いを募らせた。
ある夕刻、訪ねてきた薫が「大君の人形を作りたい」と口にしたことから、中の君は父八の宮の隠し子・浮舟の存在を思い出し、薫に明かす。
薫は晩秋の宇治を訪れ、八の宮邸改築の指示を進める傍ら、弁の尼に聞いて、かつて八の宮が召人・中将の君を身ごもらせて母子とも棄てた経緯を知る。
匂宮は、新婚の一時期こそ夕霧の娘・六の君に心を移したが、薫と中の君の仲を疑ってからは一転して中の君に執着し、傍を離れなくなった。
業を煮やした夕霧は二条院に乗り込み、本妻の父として匂宮を強引に連れ去る。
中の君は日陰の身の弱さを痛感した。
だが二月に彼女が男子を産むと周囲は沸き立ち、明石中宮も産養を催すなど、中の君は一転して匂宮の妻と公認され、ときめく。
一方、薫は裳着を終えた十六歳の女二の宮と結婚し、やはり華やかに祝われるが、内心ではまだ大君を想っていた。
その夏、宇治へ赴いた薫は偶然にも浮舟を垣間見る。
義父が受領という身分の低さながら、大君その人と見まがうほど酷似した雰囲気である。
薫は心を騒がせ、さっそく弁に仲介を頼みこむのだった。
宿木前半後半あらすじ
平安人の心で「源氏物語」を読む
山本 淳子著 引用
薫の内面世界
薫は二十六歳の二月、権大納言に昇進して右大将を兼任し、女二の宮と結婚した。
同じ頃中の君は匂宮の若君を出産して妻の地位が安定した。
中の君は薫が女二の宮と結婚したことで気持ちも変わっただろうと考えたが、薫は匂宮の留守を見計らって中の君を訪ねると、相変わらず大君を忘れることができないと言い、女二の宮の降嫁は気乗りのしない結婚で世の中は思うにまかせぬものだと話した。
中の君はとんでもないことを言うとたしなめつつ、薫の大君への愛情の深さを改めて思う。
薫は中の君の若宮を見るにつけて大君が自分の子を生んでくれていたらと思い、女二の宮に子を生んでほしいとは思わなかった。
そういう薫を物語の語り手は始末に負えない料簡だと厳しく批判している。
「あまりすべなき君の御心なめれ」(宿木)と。
薫は女二の宮の降嫁を帝から直接申し込まれるほど厚い信任を得ており、官位の昇進は不自由なく、時の帝がこれほどまでに婿を大事にすることは例のないこととやっかまれるほどであった。
薫は自分の置かれた現実が悪くないことを承知していた。
女二の宮の美しさに満足した薫は、自分の運命はまんざらでもないと得意げな気持ちすらあった。
いったい薫は何をどうしたかったのであろうか。
亡き大君に恋々として匂宮の妻となった中の君にまとわりつき、内親王との結婚は気が進まないと言いながら、結婚すると自分の運命は悪くないとと得意げであった。
語り手は薫が「めめしくねぢけて」(宿木)いるふうに話すのは気の毒だと言い、そのようにみっともなくまともでない人を、帝が特別に婿に迎えて親しくなさるはずもないので、政務の方面の心構えはしっかりしていたのだろうと推測できますと言って弁護する。
だが、語り手の言うように薫が政務の世界ではしっかりしていたということを認めたとしても、彼の内面世界は「めめしくねぢけて」いたと言うほかあるまい。
こうした薫の状況は閉塞的退嬰的な精神ではなかろうか。
宇治十帖の物語は閉塞的に内攻する人々の心の葛藤を語っていく。
浮舟の登場
「人形」として
中の君は匂宮から薫との仲を疑われて以来、薫の恋慕を迷惑にも厄介にも思うようになっていたので、ある時いつものように大君を忘れられないと話す薫に、大君によく似ている異母妹がいることを打ち明けた。
浮舟である。
薫は宇治に寺を造って大君そっくりの「人形ひとがた(像)」や、絵を納めて勤行しようと思うようになったと話した。
悲しみを軽減する方便として、薫は「人形」を思いついたのである。
これを中の君は罪や穢れを撫でつけて川に流す祓えの道具としての「人形」が連想されて大君がかわいそうだと言いながら、その「人形のついでに」(宿木)、異母妹の浮舟のことを告げた。
浮舟がこうした「人形」問答によって呼び出されたことは象徴的であった。
中の君以上に大君に似た異母妹のいることを知らされた薫は、その話に心をひかれた。
そのような人がいたら宇治の「本尊」にしたいと言い、中の君は異母妹が「本尊」になるのは過分の幸いと応じる。
彼らは「人形」だの「本尊」だのと言って機知的に浮舟を話題にしたのだが、しかし、それは川に流される「人形」の不吉なイメージや山寺の「本尊」という寂しいイメージを浮舟に付与することでもあった。
「人形」の象徴的意味
浮舟は中の君にとっても薫の執拗な恋慕を回避する身代わりとして求められたのだった。
中の君は薫の「かくうるさき心をいかで言い放つわざもがな」(宿木)と思っていた。
薫と中の君の双方が彼らの悩みや厄介事を祓い流してくれる存在として浮舟を求めたのである。
浮舟は完璧に手段として存在したのであり、生きた祓えの道具とされていたのだと言える。
そのように手段化された存在として罪や穢れを負わされて川に流される祓具の連想と山寺に据えらる仏の連想という不吉なイメージを浮舟は一方的に付与されたのである。
薫の次の歌は、そのような浮舟の位相をよく示している。
見し人の形代ならば身にそへて
恋しき瀬々の撫でものにせむ (東屋)
浮舟が大君の身代わりならば、いつも側に置いて、大君を恋しく思う折々にはその思いを晴らす撫でものにしよう。
「形代」も「撫でもの」も「人形」と同じく罪や穢れをなでつけて流す祓えの道具である。
薫は浮舟に自分の悩みを撫でつけることで、みずからの救いを願う。
浮舟がどのように思うか、彼女の気持ちは全く考えていない。
「人形」は浮舟の人生を象徴していた。
薫の内面世界、浮舟の登場
源氏物語の世界 日向一雅著 引用
一部、東屋からの内容も入れてしまいましたm(_ _)m
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