被災の記録5 | のほほんいこう

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トホホな日常をのほほ~んと綴りたくて始めたブログですが。娘2人の不登校や父の末期癌や母の大動脈解離などいろいろありました。40代から始めて今や還暦過ぎ。長い長い自分の記録になりました。ボケ防止だと思って書いてます。

3月14日月曜日
朝一で外水道からの水汲みをした。
お風呂にはまだ半分近く残っていたので、
前日よりは少しだけで終わりにした。

雑炊の鍋も、外水道で洗い、
じゃがいもも 外でしゃがんで洗った。
江戸時代の長家の井戸端のようだと思った。

家の中では、炊飯器が3日ぶりに湯気をたてていた。
IHが使えるようになり、楽に、じゃがいもと白菜のたくさん入った味噌汁を作った。

瓶詰めの鮭フレーク、はちみつ梅干し、
福島名物イカにんじん、炊きたてのご飯が、
何よりのご馳走だった。

電気が来て、母は実家のコタツやヒーターのスイッチを心配して、叔母(母の妹)を呼んだが、ガソリンスタンド付近で大渋滞で来られず。
私はガソリンが少なくて心配なので、タクシーを頼んだ。
往復タクシーで、スイッチを切りに行き、
宅配の牛乳や、病院の目薬などを持ち帰って来た。
お煎餅やハッサクや、パウンドケーキ2種類も、持ち帰って来たので食料が増えた。

夜は、買い置きの塩ホッケを焼き、
白菜と油揚げの味噌汁。

15日火曜日
一度停電で溶けて、固まったまま凍ってしまった、ヨコミゾの冷凍餃子と、発酵して酸っぱくなったキムチを、中華スープにした。

大根とツナのサラダも。

原発爆発したので怖くて、この日は給水にも行かず、買い物も行くだけ無駄かと思い、家にいた。
テレビが見られるだけでも、ありがたいし、携帯もいくらでも充電できる幸せを実感。

灯油が少ないので、停電のときのように、ダウンを着たまま生活して、節約。
日本じゅうのことを考えて、照明も最小限にしている。

長男や長女のところは、不自由な思いをして、計画停電に協力しているのだから、無駄使いは出来ないと思う。
今までが、無造作に無駄使いしすぎだったと、しみじみ思った。

16日水曜日
今日は朝 外水道も出ない。

インスタントのワカメスープ、
缶詰めのマグロステーキ、炊きたてご飯。

昼は、3個だけ残っていた、豆餅を焼き、
袋入りの餡をつけたのと、
3個だけ残っていた卵を、
2センチの水でレンジ容器で茹でて、
1個ずつ。
残った2センチのお湯でオシボリを作り、
顔や手足を拭いたら、サッパリした。
もう5日もお風呂に入っていない。

午後、原発は怖いけど、給水に出掛けた。

最初の頃は、畑の水不足に使うような、
軽トラにタンクを積んだような給水で、
ペットボトルなどに入れるには、
桃の里マラソンの時に使っている、
麦茶入れクーラーポットを並べて給水していたのだけど。

今日、行ってみると
ちゃんとした蛇口が、たくさん並んでいて、
量も制限されなくなっていた。

もっと容器を持って行けば良かった。

ドラッグストアは大行列で諦めた。

ガソリンも灯油もなかったが、
ATMが動いていて助かった。

ホームセンターで、
マスク、ラップ、デオドラントスプレー、手のアルコール消毒、下着用シート、マウスウォッシュ、キシリトールガムなどを買った。

ダメもとで、コンビニにも寄ってみたけど、
見事になーんにもない。

買えたものは、
のど飴、ぷっちょ、チョコウエハース、じゃがりこ、カルピスアイス。

ふざけて冗談言って、笑っているけど…
実は毎日、朝、昼、晩、
母と娘に何を食べさせたらいいのか、
頭を悩ませる。
この状況がいつまで続くのかと、
途方に暮れる…

もっともっともっと、
大変なつらい目にあった人は、たくさんいるのだから、こんな悩みは贅沢かも知れないけど。。。

ふと思う。

風とともに去りぬ
スカーレット オハラ

憎い恋敵のメラニーのお産を助け、
頼りないピティパット叔母を抱えて、
砲火の中を逃げるシーン
母を亡くし、子供のようになった父と、
甘えん坊や我が儘なだけの妹たちと違い、
タラを守るため1人道を切り開くスカーレット


私も前を向いて、進まなければ。