被災の記録4 | のほほんいこう

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トホホな日常をのほほ~んと綴りたくて始めたブログですが。娘2人の不登校や父の末期癌や母の大動脈解離などいろいろありました。40代から始めて今や還暦過ぎ。長い長い自分の記録になりました。ボケ防止だと思って書いてます。

3日目の夜明け。

6時半から始まる給水に、
1人、車で出掛けた。

近くのコンビニに寄ってみたが、
500ml缶入りファンタ グレープが数本と、
無糖ブラックコーヒー数本、
瓶入りザーサイしかなかった。

私の前に並んだ人は、そのファンタを5本買った。
その前の人は、ネコ缶を3個買ったようだ。

私はファンタ2本と、ブラックコーヒー1本だけ買った。

24時間セルフのガソリンスタンドにも行ってみたが、在庫あるはずもなくお休み。
ここなら、いつものカードが使えるけど、
現金を下ろしていなくて、残金が乏しいんです。
10日の木曜日が給料日で、
11日の買い物ついでに下ろす予定が、
そのまま被災。

仕方なく給水所に行き、1人5リットルなので、1.5リットルのペットボトル3本と3分の1だけもらい、帰宅。

カセットコンロにヤカンをかけ、
もらった水を入れてお湯を沸かした。

冷蔵庫に残っていた1人分のご飯を、
3人で分けて鮭の瓶詰めブレークをかけて、
お湯をかけて食べたりもした。

また毛布にくるまり、ラジオを聞く。

窓から誰か来るのが見え、
(停電でチャイム鳴らない)
出てみると、ガス会社の人だった。

ガスの復旧を知らせてくれたが、
うちはボイラーのみガスで、
電気が来ないと使えないんです、
と言うと、気の毒そうな顔をされた。

外水道なら、水が出るかも知れないですよ、
とその人が言うので、一緒に外に出た。

その人が、不凍栓を開けて蛇口をひねってみてくれたら、感動!少し弱いながらも水が出る。

ありがとうございますとお礼を言い、
物置からバケツを出して、汲めるだけ汲んだ。

お風呂に半分位まで、娘と2人でリレーした。

いつでも少しずつなら出るからと、
安心していたら、午後にはもう出なくなっていた。
でも、誰にでも教えて歩いたわけじゃなくて、ガスの復旧を知らせていただけだから、
たまたま聞けた私はラッキーだったんだと思います。
お風呂に半分の水でも、トイレを流せるのは本当に助かりました。
気持ちがちょっとでも軽くなりました。

昼は何を食べたのか、記憶がありません。
お煎餅やクッキーなどを食べたのかも…

夜になり、またコップロウソクを灯し、
ペンライトの明かりで夜ご飯。

残った小さい焼おにぎり、たった4個。
鍋にお湯とほんだしと酒少し入れて、
おにぎりを崩して雑炊に。
卵2個を溶いてとじて食べた。
久しぶりにお椀に入れたご飯が、
美味しいと好評だった。

私は買い置きの発泡酒や酎ハイを毎晩飲んだ。

余震が何度もある中、よく眠れるので、良かった。

真っ暗な夜も3日目…いつまで続くのか、ため息をつきながら、少ない水で歯磨きをして、またペンライトとロウソクと、ラジオで寝ていた。
そんな諦めの夜、突然、電気が復旧したのだった!

て、テレビ!
灯りのスイッチ!
「やったー」
拍手する3人の笑顔。

うれしい瞬間だった。

昼夜も休みなく、復旧に尽くされた東北電力の方々へ、感謝。

そして私は、洗うようにあっさりと米を研ぎ、翌朝のご飯を炊飯器に予約した。
電気のありがたさ。

いつもの、当たり前の、そんなことが、
たまらなく嬉しかった。