令和7年9月17 日(水)

俺の面白いッ書 第764回

大相撲が始まった。 桟敷席には、初日・デビィ夫人、二日目・芸人はなわの顔がテレビに映っていた。 元・NHK大相撲アナウンサーの杉山さんは、テレビ画面に滅多に映らない正面席なのだろうか?  地方場所では必ずテレビに映る桟敷席にいるのだが・・・。

 

一週間振りの、三回目のO皮膚科、→随分、良くなったわネ、と女医先生からお褒めの言葉である。 過去にネットで購入した足爪水虫の治療薬のチューブ残りを差し出すと、→ありゃ、これ、ただの消毒薬、と断言されて落ち込んでしまった。 ネットの世界を信じ込んでいたわが身を深く反省! →今度は二週間後にいらっしゃい、と二週間分の薬を指示されて、元気付けられて帰宅した。

 

 

阿部暁子「パラ・スター SiDe百花」(2020年書き下ろし文庫)

山路百花は、老舗の車イスメーカー・藤沢製作所に勤める女工員である。 そして大親友の君島 宝良(たから)は車イステニスプレーヤーである。 今回、ワールドカップの代表に選ばれて、イスラエルの大会に初出場している。 今、携帯に嬉しい連絡が入った。 →モモ、イギリスとの準決勝に勝ったよ、私も世界7位のサラ・コールマンにギリギリで勝ったよ。 →た~ちゃん、おめでとう、凄いね、格上の選手に勝って・・・、今度は決勝だね、と声が上擦って、最早嬉し泣きである。 →モモは馬鹿だね、おめでとうは早いよ、オランダとの決勝が残っているからね、疲れて眠いから、もう、寝る、とイキナリ通話が切れた。 そっけない、いつものた~ちゃんだった。 そこへ声が掛かった、→就業中にスマホとはイイ度胸だな、ボルトが緩んでるなら締め直してやるぞ、と世界で最も恐ろしい指導係の上司・小田切夏樹の低い声だった。 上げた百花の顔をみた小田切はギョッとなった。 →鼻水たらして泣いているのか、まさか、また指やったのか、と心配そうだ。 →準決勝も、た~ちゃんも勝って、明後日、決勝戦です。 →そうか、良かったナ、と優しい声である。 いつも沈着冷静な小田切だが深い安堵の声だった。 ナショナルチームの多くの選手の競技用車イスは、藤沢製作所で作られており、自分の足として藤沢の車イスを選んでくれた大切なパートナーが大活躍してくれる事はこの上ない喜びなのだ。 小田切に毎日叱られている百花にとっては、その温かい、選手を思いやる声にまた涙が溢れてきた。 宝良がこれまで歩いてきた道の険しさを知っているから、なお更、泣けた。 でも、宝良はそんな感傷なんて蹴っ飛ばして、世界の舞台で勇敢に戦い、勝ったのだ。 明後日の世界最強といわれるオランダが相手でも、恐れることなく挑むのだろう、その勇姿を思うだけで、心の底から嬉しくて誇らしくて、涙がとめどなく溢れた。 →おめでとう、た~ちゃん、ついにここまで来たんだね、おめでとう!

 

藤沢製作所は従業員60名ほどの小規模事業所ながら、デザイン力と溶接技術は業界随一と評判で、グッドデザイン賞や科学技術長官賞を幾度も受賞している。 競技用車イス部門を設立したのは、現社長の藤沢由利子で、30才で父親からアトを継いで間もなくだった。 彼女は全日本学生ランキングの上位に名を連ねるテニスプレーヤーだったが、脊髄腫瘍を患って、自らも車イスユーザーとなって今に到っている。 由利子社長が、1985年に福岡県・飯塚市で開催された「飯塚国際車いすテニス大会」を観戦して衝撃を受けたのだった。 人の肉体とはいったいどれほどの可能性を秘めているのか、車イスで走り回るスピード、ボールを打つパワー、勝利を賭けて全身全霊で戦う、まさしく決闘であった。 由利子は興奮とない交ぜになって、口惜しさに手を握りしめた。 日本選手の足たる、車イス、もっともっとイイモノを作る。 由利子は固く決心した。

 

百花は高三の夏に車イスの藤沢製作所に入社したくて、会社案内で見た藤沢由利子社長に、その旨、お願いした。 就職したい会社の社長に直接電話を入れるとは、恐れを知らぬ若者の仕業であるが、宝良の事を思って必死の百花だったのである。 今は雇用予定がありません、しかし、その間、色々な勉強で知識を養って下さい、と諭され、健康医学の短大で障害スポーツを勉強した。 二年後に藤沢製作所の社員募集を知って、面接に赴くと、由利子社長が面接官だった。 →山路百花さん、二年前にお電話下さった方ね、と優しく声かけられて吃驚した。 生意気な高校生を覚えていてくれたのだ。 百花は思いの丈を訴えた。 君島宝良という車イステニスの友人がいる、彼女の為の車イス制作の仕事をしたい、と。 3日後に採用通知の封筒が届いて、百花は嬉しく感激して、玄関で泣き崩れた。

 

・・・百花は中二の春に宝良に助けられた。 酷い虐めに遭っていて、その日も、→さっさと死ねよモモ豚、と三人の同級生に蹴られていた。 その時、凛とした声で、→何で黙っているのよ、と宝良が肩からラケットバックを外して黄色の硬式ボールを取り出した。 宙に高々と放り投げて、鞭のようにしなった身体から、ぱ~んッ、という打球音と共に三人組のリーダーの足元に跡が残るほどの勢いで打ち付けられ、ワンバウンドして体育館の壁にぶち当たった。 三人は凍り付いたが、直ぐ立ち直ったリーダーが文句を言おうとした途端、二本目のボールが飛んだ。 さっきよりも足元を抉った。 硬直したリーダーに向けて三発目を、今度は当てる、と宣言するようにラケットを向けた。 慌てて三人は競って逃げ出した。 礼を言おうとした百花に向かって、→ああいう虐めの奴らも大嫌いだけど、自分で戦おうとしない奴は反吐が出るほど嫌いなの!とキツイ目で睨まれてしまった。 それから、百花は宝良に付き纏った、ストーカーかよ、と吐き捨てられても付いて回った。 強くなりたい、その方法を教えて下さい、と頼み込むと、→まず減量、それからトレーニング、私は毎日10キロ走っている、そのアト、私はテニス倶楽部で硬式テニスをしている、と言い切った。 それからは必死に宝良のランニングの後から付いて行った。 た~ちゃん、凄いね、と言いながらも、始めは迷惑そうにしていたが、最近はランニングの後の休憩にも付き合ってくれて、多摩川沿いの草ッ原に引っ繰り返っている。 中三に進級する頃、体重は標準を下回り、筋力強化の成果で体育成績もかなり上がり、同級生からの暴言・暴力がなくなった。 中三のクラス変えの発表では同じクラスになって、→モモ、同じクラスだよ、と初めてモモと呼んでくれた。 高校はそれなりの進学校だったので、ノンビリ人生だった百花は、スポーツ推薦が決まっていた宝良と一緒になりたくて、血反吐を吐く思いで猛勉強し、何とか試験に合格した。 合格発表の日、嬉しさと安堵のあまり百花はベソをかき出すと、宝良は、しょうがないナ、と言う顔で、→ホントにバカだね、モモは、と初めて見せてくれた優しい笑顔は、今も、胸の中で記念写真になっている。

 

高校では一緒にテニス部に入部した。 兎に角、た~ちゃんの傍で活躍を見たいからだった。 専属応援団長になって、「生体拡声器モモカ」と部員から野次られる程の大声の応援が続いた。 しかし、高二の10月初旬、宝良がトラックに撥ねられて脊髄を損傷したのだ。 あまりの出来事に百花は耳鳴りがした。 誰にも会いたくない、と頑なな宝良の様子を、母親の紗栄子(看護師)から聞き知った。 メールを入れても一切、返事は無かった。 ・・・しかし、宝良は普段から、モモ、モモと百花の事を話していただけに、母親は宝良に黙って、百花を病室に入れた。 眼を大きく見開いた宝良は、母親に毒舌をぶつけた。 →誰にも会いたくないって言ってるでしょ、勝手に思い込んで勝手に決めて勝手にやるのはもう止めて! お父さんと別れた時もそうだし、嫌だって言ってるのに無理矢理リハビリさせて・・・ 娘が寝たきりになったら恥ずかしいからでしょ、自分の思い通りにしたいだけのくせに、恩着せがましい事をすんなよ! 手負いの獣のように凶暴に目を光らせている。 →た~ちゃん、やめて! と百花が叫ぶと、宝良は信じていた者に手ひどく裏切られたような顔つきだった。 →帰って、モモ、もう来ないで! メールも電話もやめて、もう私の事を考えないで! グルっと背中を見せて、もう、一言も口を開かなかった。

 

・・・三学期が始まっても宝良は顔を見せなかった。 百花は毎日手紙を書いて母親に渡した。 →手紙はちゃんと全部読んでいるわ、百花ちゃんに元気付けられている筈よ、ホントに愛想のない子だけど、宝良を見守ってやってね。 そんな時に、ニュースが流れた。 「車いすテニスの全豪オープンで、若干18才の日本の七條玲選手が優勝しました、日本人初の快挙です」 先天性の病気の為に小学生から車いす生活をしていた、とも知った。 宝良と百花よりも一つ上だが、笑顔で手を振っている姿は衝撃だった。 百花は直ぐ、車いすテニスの事を調べた。 何と、世界中で、年間200試合があって、テニスプレーヤーが競い合っていた。 男子では、「車いすテニス界の帝王」と呼ばれる三國智司が金メダルを何個も取り、史上初の年間グランドスラムも達成していた。 日本は車いすテニス大国だった。 知らなかった! 百花は病院に飛んで行った。 →た~ちゃん、テニスしよう! 車いすテニス! スマホを出して七條玲選手の動画を見せた。 しかし、冷徹な目で宝良は吐き出した。 →あんなの、テニスじゃない! 本物のテニスが出来ない障害者が泣く泣くやる代用品なんだよ、本物のテニスが出来ないならこんな体も人生もいらない、何の意味も価値もない。

(こんな宝良をどうやって車いすテニスに引きこんだのか? 百花の献身的な感涙シーンが拡がっていく。 宝良を取り巻く人脈の善意が彼女を奮い立たせる。 解説の北上次郎は、感涙シーンがず~っと続く、山場の感涙シーンが驚くほど多い秀作だ、と賞賛していた。 次巻は、宝良側からの、車いすテニス大会の高みを目指すワクワクシーンが続く)

 

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令和7年(2025)9月17日(水)