令和7年2月3日

俺の本棚~面白いッ書 第726回

PGAは招待試合で松山英樹だけ。 ・・・全79人中、48位(48千$)だった。

LPGAも招待試合、古江彩佳、笹生優花、竹田麗央の3人だけ。 ・・・全32人中、竹田8位(62千$)、古江25位(23千$)、笹生30位(19千$)だった。

 

原田マハ「本日は、お日柄もよく」(単行本は2010年)

・・・スピーチライターの物語である。 15年も前にこんな感動的な作品とは! 涙が溢れる名セリフが続々と・・・。 作者に脱帽である。

 

二ノ宮こと葉・27才は、秘かに想いを寄せていた幼馴染の今川厚志・28才の結婚式で、祝辞を述べていた牛丼チエーン「吉原屋」の鈴木社長の長過ぎる退屈な話に、猛烈な眠気が我慢できず、スープ皿に顔を突っ込んでしまった。 ガシャン!と派手な音がして周囲の人はおろか、挨拶中の鈴木社長までもが絶句である。 二流ホテルのせいか、早過ぎるスープ出しでぬるかったのが幸いした。 厚志君とは生まれてからず~ッと家族ぐるみでお付き合いを続けていたが、一昨年はお母さんを、去年は衆議院議員だったお父さんを相次いで亡くして、今日は我が二ノ宮家の両親が親代わりである。 彼の仕事は、大手広告代理店「白鳳堂」のコピーライターで、主賓の鈴木社長は、厚志君が企画宣伝を担当しているお得意様だった。 新婦の恵里ちゃんは21才、厚志君は白鳳堂でアルバイトをしていた短大生を射止めて電撃入籍した。

 

トイレの鏡に映る顔は滅茶苦茶だった。 少し整えたが、ロビーですっかりしょ気ていた。 直ぐ隣の長椅子から、くッ、くッ、くッと笑い顔が聞こえてきた。 私を笑っているンだ、と気付いたから、思いっきり無視した。 余りにも長く笑っているので、メイクの剥げた顔で睨み付けた。 30代後半位の中々の美人である。 彼女が言う、→だいたい、乾杯も終わっていないのに、さっさとスープを出すなんて、このホテル、二流の証だわ。 こと葉はカチンと来た。 →二流って、新郎新婦が選んだ場所ですから、イイじゃないですか。 →やるねェ、アンタ、あんな目に遭ったのに、正論だわ、それ。 あなたがあれやってくれたから私も抜け出せたのよ、あの退屈極まりないスピーチから、あなたがやってくれなかったら、どのみち、私があれやってたから・・・。 奇妙なフォローだ、変わったひとだナ、と興味が湧いた。 →聴衆がじりじりしていたところで、ガシャン! あなたのあれでどうしょうもないスピーチを一発で救ったわ、と笑顔である。 何だか、この人凄い、そう、痛快!と、こと葉は心が弾んだ。 すると、お色直しか、恵里ちゃんが出てきた、すかさず謝る。 →ウウン、厚志さん、寧ろ、感謝してたかも。 あれが超ウケて拍手喝采、社長さん、すっかり気を良くしていたし・・・と、アハハと笑い声だった。 美人に名前を聞かれて、「こと葉」と答えると、→へえぇ、誰が付けたの? 俳人の77才のお婆ちゃん? 二ノ宮驟雨(しゅうう)さん? お兄さんが詩歌(しいか)さん? 素晴らしいわネ、と感嘆している。 お婆ちゃんの息子の父は文雄という普通の名前、お婆ちゃんは、孫の命名で遊んでいるという魂胆が見え見えなんだ。 「古都の葉の赤くなりしや姫生まる」と、鎌倉の自宅で詠んでくれたお婆ちゃんだった。

 

席に戻って、母から苦情を言われながらも、座席表で確認すると、「久遠久美(くおん くみ) 新郎知人」となっていた。 厚志君もお色直しで退席したので追っかけて謝った。 →酷ェ顔だな、お前、ヤケドしなかったのか? あのスープのサービスは二流の証拠だよナ、と久遠さんと同じ事を言った。 ・・・キャンドルサービスが始まって席に着くと、→新郎の知人で、新郎が大変尊敬されている「言葉のプロフェッショナル」、久遠様から祝辞を頂戴いたします、と司会者の声が響いた。 あのひとだ! マイクの前に立ってもなかなか話さない、不審に思った会場が水を打ったように静まるのを待って、話し出した。 →あれは二ヶ月ほど前の事だったでしょうか、或る夜、厚志君が相談がある、と電話をしてきました、実は好きな人が出来た、会社のアルバイトの子、20才そこそこで、すごく可愛くて、とってもイイ子でみんな彼女を狙ってる、だから、結婚しちゃえばイイ、と考えました、それって早過ぎますか? 私は直ぐ答えました、それの何処が相談なの? もう、決めてるじゃない。 ・・・どっと会場が湧いた、父も母も笑い、お兄ちゃんは腕組みで苦笑の顔、お婆ちゃんはぷっと吹き出して口元を押さえている。 笑い声をが収まるのを待って、彼女は続けた。  →世の中に早ければ早いほど美味しいものがみっつあります、一・ボージョレヌーボー、二・吉原屋の牛丼(・・・会場、大爆笑!)、三・結婚、今日はこのみっつが勢揃いしていますね、大変、さい先がイイ、そう思いませんか皆さん?(拍手が起こる) ・・・拍手が鳴りやまない、上手い、こと葉は膝を打った、鈴木社長も満足そうに頷いている。 →そして年月を重ねれば重ねる程、深いうまみが増してくるものがみっつあります、一・愛情、二・人生、三・結婚です、新郎のご両親は残念ながらこの日を待たずに他界されました、私はご縁あって衆議院議員・今川篤郎先生と懇意にさせて頂いておりました、先に亡くなられた奥様について、失礼を承知で伺った事があります、ご結婚されて一番良かった事はなんでしたか? 先生はあの独特のシブイ声で、そして、たまらなく優しい声で、→深いうまみのある人生をあいつと一緒に味わえた事かな、と仰いました、そして、→厚志にも言ってやらなくちゃナ、時にはしょっぱくても苦くても、人生の最後の方で一番甘いのが結婚なんだ、お前もさっさと体験してみろ、いいモンだぞって。 果たしてお父様がその言葉を伝えたのかどうか、私にはわかりませんが、お父様に代わって申し上げたいです、どうだ、厚志、結婚てなかなかイイもんだろう、・・・そして、お父様も愛されたフランスの作家、ショパンを、苦しみながら生涯愛し続けたジョルジェ・サンドは言いました、愛せよ、人生においてよきものはそれだけである。 本日はお日柄も良く、心温かな人々に見守られ、二つの人生をひとつに重ねて、今から二人で歩んで行って下さい、たったひとつの良きもの為に・・・、おめでとう!! 厚志君も恵里ちゃんも滂沱の涙が頬を濡らしていた。 会場には温かな拍手が鳴りやまない。 こと葉は着け直したマスカラがまた落ちてしまう程、泣いてしまった。 お父さんとお兄ちゃんは夢中で手を叩いている、お母さんはナプキンで鼻を押さえている、お婆ちゃんは丁寧に静かな拍手を送っている。 ・・・こと葉はこうして「言葉のプロフェッショナル、スピーチライター、久遠久美」に出会ったのだった。

 

去年、厚志クンからメールが入ったのだった。 明日、親父が野党第一党としての代表質問する、一世一代のスピーチになるから録画してでも見て欲しい。 ・・・今川のオジサンが声を張り上げた。 →民衆党の今川篤郎です、総理と厚生大臣、議員諸君の皆様に、私事で恐縮ながら告白させて下さい。 私は現在、末期がんを患っております。 本日、この代表質問を以て議員としての人生に幕を降ろす覚悟を致しました。 最後の力をふり絞って申し上げます。 ひとつは後期高齢者医療制度の見直しです、総理、お答えください、後期高齢者医療制度はお年寄りの生きる尊厳を危うくします、あなた自身の母上に、こんな制度を作りました、賛成してくれますか?と、聞いて下さい、これが本当に日本人のあるべき姿なのですか? 親が子を大切に育て、子が親を命尽きるまで大切にしてきた日本人の家族のシステムを蹂躙すると解っておられるのですか? 総理、思い出して下さい、平和が戦争を封じ込め、強きが弱きを助ける国、それが私達の国、日本なのです。 私は今、命と向かい合っております、私もまた弱者です、実は気が付いた事がみっつ、意志と言葉と場所が私の財産です、国会で訴える立場を最大限に利用して、私は弱者の為に立ち上がる、総理、どうか、法令改正にお力添え下さい、国民の為に立ち上って下さい、これが私の人生最後の質問、そして最後のたったひとつのお願いです! ・・・アトから知ったのは、この原稿を久遠久美さんとオジサンが作ったって、本当? あの厚志クンの披露宴でスピーチの素晴らしさを心に刻ませてくれた人、これから、私も同僚の千華の結婚式で、来月に迫っている友人代表の人生初スピーチをしなければならないので、真底、コツを教えて欲しい、と願っている。

 

千華は大手商社役員のお嬢様、相手は機器メーカー社長の御曹司で、招待客500人超と言う。 千華、プレゼント、何がイイ?と、問うと、こと葉のスピーチが欲しい、と言うから魂消てしまった。 各界の名士や政治家やら、当然ウチの社長も・・・。 考えただけで汗が噴き出てくる。 そんなの出来るわけないでしょ、と悲鳴を挙げて再考させようと試みたが、頑として、こと葉のスピーチ、と言い張るモンだから、しぶしぶ承諾せざるを得なかったのだ。

 

10日間の新婚旅行から帰った厚志くん夫婦から誘われて、お婆ちゃん共々墓参りに行くと、何と、そこに久遠さんが居た。 お婆ちゃんは、→篤郎さんは句作の弟子でした、師匠として心よりあなたにお礼申し上げます、と久遠さんに頭を下げている。 →今川先生のように言葉の大切さ、言葉の持つ本来の力に気付いている代議士なんてそんなにいませんから、本当に大切な方を失いました、我が国にとって大きな損失です、と久遠さんはしみじみ言うのだった。 ・・・民衆党・小山田次郎代表の弔辞、あれも久美さんが書いたンですね、と、こと葉が言うと、4人が目を丸くした。 そうなのだ、絶対! →今川君、そう呼び掛けても君はもういないのか、いつも国会へ、地元へ、支援者の元へ、私の代わりに吹っ飛んで行った、あの君はもういないのか、訃報を聞いてからそんな悲嘆にくれております、どれほどその存在が大切であったのか、痛感しています、我が党、我が国にとっても、どれ程大きな損失か、かけがえのない存在を失った悲しみと闘わなければなりません、今川君、生前、君は強く言いました。 「私は小山田さんの影なのです」と。 大躍進して野党第一党になった時、これからは党の看板を新しくする時だ、今後、政権交代を成し遂げた時、あなたが党首になっているべきだ、と心正直に申し上げたが、あなたは意志に漲った声でこう言ったのです、「小山田さん、お気持ちは有難い、けれど私は影なのです、どこまでも小山田次郎について行く影、国民の気持に寄り添う影なんです、影には条件があります、いつも空に太陽が輝いている事、輝く太陽を享受する誰かがいる事、だから私は影として存在出来ます、小山田代表と国民が太陽の光をいっぱいに浴びて欲しい、こんな贅沢な生涯の影なんてありますか?」

 

厚志君の披露宴のスピーチ、今川おじさんの最後の代表質問、小山田代表の弔辞、その全てに久遠久美さんが関わっていた事実、・・・こと葉は依頼人となって久遠さんの事務所を訪れた。 →貴女はとても敏感、スピーチの数々を完璧にクオート(引用)しているわ、記憶力抜群ね! スピーカーとしての素質充分ね、と久美さんは言う。 エッ、そうなの? しかし、半信半疑であるのは言うまでもない。 特訓は千華との親しい仲の様子と、こと葉の正直な気持を打ち明ける事から始まった、それをヒントにしてくれて自分で文章を書き上げなければならない。

 

・・・新郎の主賓は又しても鈴木社長だった。 また、あの退屈な挨拶が始まるのか、聞き疲れても今日は失態出来ないぞ、と張りつめていると、マイクの前で会場が静まる迄待っている、→私は寛(ゆたか)君のお父さんの部下でした。 私の結婚式にお父さんに連れてこられた小1の君は、→おじさん、良かったね、こんなに綺麗なお嫁さんで・・・、と言ったのです(・・・どっと、笑い声が挙がる) 小さな紳士のひと言で、緊張感でいっぱいだった私達の心を和ませてくれたのです、その短さと正直さは、祝辞の中でも群を抜いていました(・・・ここで、また会場が湧いた)  ・・・驚いた、厚志君の時のスピーチと別人である。 完全に全員を引き込んでいる見事な鈴木社長のスピーチだった。

(ここ迄、全375ページの内、88ページまで。 次回も続けよう)

 

(ここまで5,000字越え)

 

令和7年(2025)2月3日(月)