令和7年1月9日

俺の本棚~面白いッ書 第719回

凄い! 松山英樹が開幕戦優勝!(360万$=5億4,000万円) おまけに大会レコードの35アンダーとは歴史に残る快挙である。 2位に3打差をつけての堂々たる優勝だった。 下世話ながら、キャデイの早藤クンの実入りも相当な高額であろう。 10%か、それ以下か? 良いコンビである。 来週もハワイで2戦目、今季からの日本人のPGAメンバー5人がどんな結果を見せるか、期待大である。

 

入浴の度に体重を測り、記録している。 その月平均体重を合計するると、’24年は784.3㎏であった。 年平均65.3㎏である。 現役時の体重が80㎏をオーバーしていたので、現役引退後の家内からの指示による、朝食時の玉葱氷や、トマトの効果だと思う。 絶対的に感謝である。 勿論、夫に早死されては年金収入が半減する危機感もあると思うが・・・。

 

冬になると、16時頃から我がベランダの左方から右方へ飛ぶ、数百羽?(もっと多い?)のカラスの群れに驚く。  左方には月寒公園、右方には豊平公園があり、恐らく寝床に帰る飛翔だと思う。 月寒公園で容易く餌を啄み、豊平公園の高木の寝床に帰還するのだろうか? だとすれば月寒公園の餌の容易な理由を知りたいモンだ。 それとも月寒公園には高木がなかったかなァ。

 

文庫本2冊を購入。 佐伯泰英「助太刀稼業③ 新たな明日」(書き下ろし)、知念実希人「機械仕掛けの太陽」(単行本は2022年)である。

 

 

中山裕次郎「泣くな研修医⑦ 迷うな女性外科医」(書き下ろし)

佐藤玲・32才は牛ノ町病院の外科医である。 四学年下の雨野隆治の指導医でもある。 上司は岩井医師。 外科医のウデは抜群であり尊敬する先生だった。 雨野には今日から入院の新患の主治医となってもらう。 そして研修医で最初の三か月間を外科に配属された西桜寺凛子は甲高い声で自己紹介を始めた。 父が世田谷区長という。 志望するのは外科以外で~す、と外科医にとっては面白くない挨拶だった。

 

翌朝、玲は岩井医師から告げられた。 →昨夜、緊急入院を入れた、直腸がんで狭窄症状が強いからオペしようと思っている、患者は43才、4年前迄ここに居た外科医の東凱慎之介だ、と聞いて驚いた。 滅法手先が器用で懇切丁寧に指導してくれた先生を忘れる筈がない。 →お前に主治医を任せたい。 オペは俺がやるが、ヤツとは大学時代からサッカー部の先輩・後輩の間柄、卒業後も同じ外科の医局だからそんな先輩に主治医をして貰いたくないだろう、という先輩の思いやりなのであった。

 

玲はまず先に個室へ挨拶に伺った。 東凱先生の男振りは衰えていない、老けた印象もない。 主治医の指示を受けた事を告げると、→岩井先生に相当信頼されてるネ、そうか、佐藤先生はもう7年目か、俺も年取る訳だよナ、岩井先生からは直腸癌で閉塞寸前やって聞いとる、岩井先生は今でも一番オペ上手いし、安心だわ、と屈託なかった。 ・・・電子カルテを開いてCT画像を覗くと、骨盤の中に7cm程の大きな腫瘍がある、始めて見る癌の大きさである。 肝臓に転移は無かったが肺には10個以上の白い点がある。 詰まりかけの直腸癌、多発性肺移転、正に重度のステージ4である。 まだ43才、治療しなければ半年で死亡する、こんなにお若いのに・・・、と玲は嘆息するのだった。

(次回に続く・・・)

 

 

 

 

今年は昭和で言えば丁度、100年のキリのイイ年である。 我が家は全員が昭和生まれなので、昭和換算しておけば、年令計算が容易なのである。 昭和22年、24年、48年、49年である。 それぞれの誕生月が来ると、78才、76才、52才、51才となる。 何と、結構な世代だナ、と思う。 

・・・高校の同期生・旧姓S女の投稿が道新に載った。 数人のローマ字表示名を挙げ、彼らに会いたいネ、かかァ天下と言われた楽しいクラス、とあった。 S女は毎年6月のK寿司での懇親会に顔を出しているから、それに誘ったら?とメールしておいた。 相変わらずの軽妙な文章力を称賛しながら・・・。

 

(ここまで1,700字)

 

令和7年(2025)1月9日(木)