俺の本棚~面白いッ書 第695回

令和6年8月14日

山口恵似子「食堂のおばちゃん⑯幸せのカツサンド」(書き下ろし)

第一話 どっちの唐揚げ

人気女優・御子神玲那は、往年の大女優、樋口玲子の孫である。 玲子は御子柴財閥の御曹司に見染められ、玉の輿に乗った。 子供や孫に恵まれたが、美貌と気性を受け継いだのは玲那だけだった。 玲子が、はじめ食堂の先代・孝蔵の料理の大フアンで、祖母・孫が数回、食堂に訪れていた顔なじみだった。 玲子はそのアト、亡くなったが、玲那は、中学生の時からテレビドラマ、映画の主役に抜擢されて、大手企業のCMにも起用され、大学生になった今でも人気はうなぎ登りである。 ・・・今日、ひょっこり顔を見せた玲奈は、→急に簡単に人気者なってしまって、この先、とても恐いの、血の滲むような努力とか、全くしていないのに・・・ 最近お会いした高島礼子さん(注・女優、1964年生まれ)は、下積み生活が長かった時、死体の役を全部引き受けたの、絞殺・刺殺・撲殺・焼死・溺死・ひき逃げ、所属するプロダクションも引くような仕事であるのに、私やります、と自分でアピールしたら、どんどん仕事が入って来て、その内、プロデューサーが、あの子、イヤな役で頑張っているから今度はもっとイイ役を付けてあげよう、と取り立ててくれた、と始めから人気女優じゃなかったお話を伺ったの、グラビアデビューだった宮崎美子さん(注・女優、タレント 1958年生まれ)は、もう40年もドラマ、映画、クイズ、バラェティ、情報番組等々で大活躍でしょう、物凄い陰の努力があると思うの、お二人とも凄い努力の塊でしょ、私はどうやって自分を磨いたらイイか、全然、判らない、このままだったら何も残らない、だから英語が得意だし、イギリスで大好きな演劇を学びたい、と気持を打明けたらマネージャーの彼女が大反対なの、曽根崎三枝さんの戦略が当って売れっ子になった恩がある大事な人、今ここでキャリアを中断するのは致命的で取り返しのつかない事になるって、折角、人気が出たのに何年も日本を離れるのは勿体ない、って。 でも、私はスターじゃなくても大好きなお芝居を続けたいだけ・・・ 只、私がイギリスへ行っちゃったら、三枝さん、社長に監督不行き届きだって叱責されて、社内の立場が危うくなる危惧があるし・・・、と悄然とするのであった。 自分を最も理解してくれた祖母を失ってから、曽根崎マネージャーが玲那に寄り添ってくれた最大の理解者だったのだろう。 一子は諭した、→お互いの信頼感が醸成されていれば、きっと、判り合える道があるから、トコトン、本音を晒して話し合いなさい。 玲那は、→良かった、やっぱりここで相談できて安心した、とエビフライ定食の、かっての孝蔵自慢のタルタルソースを平らげた。 その食べっぷりに、一子は、→マスターが草葉の陰で喜んでいるわ、と嬉し涙を流した。

 

その二日午後、賄い中の時間に、ショートカットの小柄な女性が訪れた。 高級菓子店の紙袋を差し出し、→御子柴玲那のマネージャーの曽根崎三枝と申します、玲那がご迷惑をお掛け致しまして・・・ と言うから、玲那の相談を受けた一子が対応した。 玲那のイギリス留学希望と、曽根崎マネージャーが反対している事を充分話し合っている事をお互いに理解しながら、それでも、一子は、今、人気絶頂の玲那が数年後にイギリスから帰国して、例え、人気下降に陥っても、大好きなお芝居を続けたい、という願望をどうして、このマネージャーは受け入れないのか? 不審に思った。 →あなたがイギリス留学に反対している、もっと別な理由がおありなのでは? と水を向けると重い口がやっと開いた。 →私の実績を称えて、5年前に社長は次期社長に君を推薦する、と口約束をしてくれましたが、3年前に若い奥さんを娶り、翌年息子さんが生まれると、会社は妻と息子に残したい、とイエスマンで廻りを固め、露骨な人事がまかり通りました、それで、私が発掘して人気俳優に育てた3人の若者に私の独立願望を伝えると、行動を共にすると約束してくれました、それを打ち明けようとした時に玲那から相談されて独立の話が言い出せませンでした、独立は人生の賭けです、あの子がイギリスから帰って来た時に私の会社が潰れているかもしれません、だから、今はどうしても玲那を手元に置いておきたかったのです、と打ち明けられて一子はやっと得心がいった。 →あなたと玲那さんは信頼関係で結ばれた良いパートナーです、隠さずに全部話してお互いの気持ちを確かめて下さい、玲那さんは留学を諦めるか、留学をするか、どっちに決まってもあなたと玲那さんの信頼関係は変わりません、きっと、大丈夫ですよ、と諭すと、三枝マネージャーは肩に乗っていた重しが取れて、胸に閉まっていた秘密を吐き出したせいか、軽々とした晴れやかな気分になった。 →一子様、玲那には正直に全てを話します、その上であの子の留学を全力で応援します、玲那は旬を過ぎたら売れなくなるよな、そんな儚い才能の持ち主じゃありません、それを信じて私はあの子のマネジメントをしていきます、と断言して自信満々の顔付で帰って行った。

 

第三話 花火で寿司ざんまい

隅田川花火大会、三原の高層マンションに招待されて、一子、二三、要、皐、万里、野田梓の六人がエントランスに集合した。 四基のエレベーターの前に20人程の人がいる。 するとここの住人らしき70代後半の夫婦の夫が、→どうしてこんなに混んでいるんだ、イイ迷惑だ、と吐き捨てた。 それぞれ別なエレベーターに乗った、要が、さっきの人、感じ悪い、と呟いた。 梓は、あの奥さん、気の毒ネ、我が儘な旦那と悲惨だネ、と気の毒がっていた。 今日は、万里が修業中の「八雲」の親方から仕込まれている豊洲市場で、二三と仕入れて来た寿司ネタで皆に握り寿司を振舞う段取りになっていた。 三原が用意していたキャビアのカナッペで乾杯し会が始まった。 スモークサーモンも旨い。 万里が握り始めた、マグロ、カンパチ、スズキ、タイ、アジ、イワシ、コハダ、ウニ、車海老、スルメイカ、玉子焼きは、豊洲の専門店に予め捌いてもらっていた。 万里は鍛えたウデで本物の寿司職人のようだ、誰もがその手際の良さ、味の確かさに舌を巻いていた。 三原がテレビの花火大会を映した、アップされている分だけ、迫力があった。 充分、満足していると、フードデリバリーがローストビーフを届けに来た。 三原さんが、→万里君が寿司を握ってくれたので、肉料理を用意しました、と言ったら歓声が上がった。 最後は野田梓が持参したメロンだった。 一子が、→一生分の贅沢を堪能させて頂きました、と全員で頭を下げた。 万里、要、皐が、→後片付けをするから高齢者グループは先に帰りな、台所も狭いから・・・と追い出された。

 

エレベーターホールには先程の夫婦と、ベビーカーを押す若い母親がいた。 三組が乗ると、不意にエレベーターが急停止して照明が消えた。 不機嫌な夫が、→な、何だ! と言いながら各階のボタンを片っ放しから押し始めた。 妻が窘めていた、→地震じゃなくて停電だから復旧するまで動かないでしょ、と梓も同調すると、煩い!こんな所に閉じ込められて堪るか!と血相を変えて扉を蹴飛ばしている。 その剣幕にベビーカーの幼児が泣き出した。 煩い、静かにしろ!と狼藉が止まらない。 一子は、煩いのはあなたでしょ、静かにして下さい、と窘めると、黙れ!クソ婆! と悪口を繰り返す。 二三は頭のネジが飛んでしまった。 黙るのはアンタだよ、クソ爺! よくそんな無礼な口が利けたモンだね、どいう育ち方をして来たの、礼法をやり直しなさい!と言い放つと、途端に喉元を押さえて搔きむしりながら膝から崩れ落ちた。 狭所恐怖症でパニックになって過呼吸に陥ったのだろう、と思い、二三は介抱した。 エレベーターが止まったと携帯した万里から折り返し連絡が入った、近所の大きな自動車事故で送電線がやられた、これから自家発電されるから、もう少し待って、と安心の電話だった。 グッタリしている旦那に冷たい目を向けた妻が、→大変お見苦しい醜態を晒して恥ずかしい限りです、済みませんでした、と頭を深々と下げた。 そして、→私、離婚します、50年も我慢してきましたが、もう、ウンザリです、私は今年75才です、残された時間は自分で自由に生きます、普段は威張り散らかしていたくせに、こんなことで取り乱して目を廻して、みっともないったらありゃしない、つくづく愛想が付きました、と吐き捨てた。

 

暫くして照明が点灯し、エレベーターがゆっくり降下を始めた。 幼児の親らしい若い父親がしっかり妻子を抱き締めている。 40代半ばの男がグッタリしている老父を助け起こし、これから病院に連れて行くから母さんは帰ってイイよ、と声を掛けると、私が付き添う、最後の御奉公よ、と老女が言い切り、旦那と息子は怪訝な顔だった。 一子、二三、梓は顔を見合わして納得した。 間もなく、エレベーターで下りて来た、万里、要、皐が心配そうな顔だったが、三人は晴ればれと、大丈夫!と声を張り上げた。

 

第五話 幸せのカツサンド

永野つばさは、半年休業する「ラーメンちとせ」の店舗を借りて、10月5日(土)にサンドウイッチ店をオープンする準備中である。 今日は、はじめ食堂のランチを注文する。 オムカレーとコロッケ、丁寧に作られたその味は手間暇の結晶である事を痛いほど感じさせられ、→美味しい、手抜きしていない味ですね、と呟くと、それを漏れ聞いた一子が、→同業者の方に褒めて頂いて喜びもひとしおです、と返した。 つばさは思わず深く一礼した。 同業者と認められて嬉しい気持がいっぱいだった。

 

9月最後の土曜日、今日はランチが休みである。 今日は「ラーメンちとせ」の最後の日なので、食べ納めにしようか、と一子と二三が相談していた時、店のシャッターを叩く音がした。 二三が階下に降りて勝手口から表に向かうと、千歳が真っ青な顔でしゃがみ込んでいた。 急におなかが・・・と、苦しそうである。 陣痛だわ、直ぐ、救急車!と慌てた所に、魚政の先代・山手政夫が心配そうにこちらを見ていた。 →どうした? 急病人か、任せとけ、今、車出してくる、と、どんと胸を叩いて、「魚政」と大書したライトバンを持ってきた。 一子が、ふみちゃん、団さんに電話して、行きつけの病院にも連絡!と、落ち着いたテキパキした指示が心強い。 一緒に来た山手の息子の妻・のり子に、「ラーメンちとせ」のシャッターに「臨時休業」の貼り紙をお願いして、平井駅近くの「さくらマタ二ティ・クリニックへ向った。 30分ほどで着くと、団が飛び出してきた。 看護師が、用意していた車椅子に千歳を乗せてクリニックの中に入った。 団に礼を言われた山手は、→この歳になって人助けができるたァ、冥途の土産が増えたってもんサ、とニヤリと笑った。 →おじさん、ありがとう、今夜、飲みに来て、奢るわ、と誘うと嬉しそうに、久し振りに顔出すか、と上機嫌で引き上げて行った。

 

その夜、口開けに、団の弟の開と永野つばさがやって来て、昼間は兄夫婦がお世話になりました、と礼を言う。 ひとしきり、酒や料理を楽しんだアト、つばさが言う。 →ウチはマヨネーズを手作りします、あと、コンビーフも、味は缶詰とは段違いです。 すると、開も、→卵サンドも抜群です、自家製マヨネーズが利いてきっと看板になると思います。 そこに件の山手政夫が入って来た。 開とつばさが皐に紹介されて深々とお礼した。 つばさは、→カツサンド、ハムカツ、メンチカツ、コロッケもやりたいけど、最初に火を使わないって約束しているし・・・と情けない声だった。 それを耳にした魚政の山手が、→この店は持ち帰りが出来るから、前の日に予約して開店前に受取ったらイインじゃないの、と助け船を出してくれた。 つばさの顔が一気に輝いた。 立ち上がって厨房の一子・二三に、→あの、トンカツとハムカツとメンチカツと海老カツ、それとポテサラとコロッケ、予約して持ち帰る事、可能でしょうか?と大声で問うと、皐も含めた3人が揃って、→はい、大丈夫ですよ!と張り上げた声が帰ってくる。 ・・・開のスマホが鳴った、→良かった、おめでとう、元気な男の子ね、と嬉しそうに答えると、はじめ食堂に拍手が巻き起こった。 すかさず二三が、→つばささん、お店は成功しますよ、こんなおめでたい日に生まれたアイデアが成功しない筈はありません、今、日本で一番おでたいカツサンドですよ、と断言すると、つばさの目が涙で潤んだ。 前祝いにスパークリングワイン、一本開けちゃいます、と二三が言うと、店中に歓声が上がった。 幸せの気分が天を目指して上って行った。

(ここまで、5,200字越え)

 

令和6年(2024)8月4日(水)