令和6年2月3日

俺の本棚~面白いッ書 第659回

文庫本3冊を購入。 月村了衛「白日」(単行本は2020年)、貫井徳郎「悪の芽」(単行本は2021年)、伊吹有喜「犬がいた」(単行本は2020年)。 伊吹は初めての作家である。 購入翌日の朝刊に広告されていた。 さて、如何に?

 

PGAは松山だけ。  80人中、70位で最終2日間に臨む。

欧州ツアーはバーレーンで、川村昌弘、星野陸也、中島敬太の3人。 星野だけが予選通過。

 

 

中山祐次郎「泣くな、研修医⑥ 外科医、島へ」(書き下ろし文庫)

雨野隆治・31才は助手の西桜寺凛子と手術を終えた。 凛子は研修医の頃から優秀で、外科医として三年ほど修業しただけでかなり手術が上手になった。 控室で二人で昼食を摂っていた時、外科部長の岩井が入ってきて、→おい、雨野、4月から半年、島に行かないか? 外科だけじゃない、何でもやるんだ、とだしぬけに言われた。 →神仙島だ、三宅島の隣で長くいる診療所の所長と24時間・二人体制だ、どうだ? →半年で戻って来れるんですよね、(その間、手術が出来ないナ・・・)と、返しながら部長の勢いに負けて、→行きます、と答えた。 西桜寺が、→私も行きたい、とダダを捏ねたが岩井部長が、君はまだ早い、と窘めていた。 A4判の紙に、「4月1日から10月2日までの約六か月間、規定の給与の他に離島手当月額30万円支給、神仙島診療所に於ける交代常勤医師」と記載されている。

 

3月31日、夜10時、隆治は、竹芝桟橋のフエリー乗り場で「あしたば」に乗り込んだ。 チケットは「2等和室」となっていて、30畳はある広い部屋だった。 黒いカバーのついた枕が置かれている。 これで雑魚寝なんだろう。 自動販売機でアサヒビールのロング缶を買って、展望デッキに出た。 誰もいない、缶ビールを呷るが、明日の早朝三宅島に着いて民宿でひと休みしてから、昼に出る船で神仙島に向うらしい。 半年間、手術の腕が鈍るだろうなァ、凛子助手がメキメキと上達して追い抜かれないだろうか?と、二期下の後輩を恐れる。 だからこそ、島でしか得られ無い様な事を学ばなければならない、半年間頑張るって決めたしナ、と残る缶ビールをグイッと空けた。

 

フェリーが揺れる中、翌朝4時、三宅島の伊ヶ谷港に入港した。 「雨野先生」と書かれた紙をかざしている女性が、→お疲れ様でした、三宅島役場の者です、車で民宿迄ご案内します、と役場の車で送ってくれた。 →また11時にお迎えに上がります、と言って帰って行った。 寝入っていると民宿の老婆が、→そろそろ起きて朝食をどうぞ、船の時間も迫っていますから・・・と起こされた。 旨い! 簡素ながら美味しい朝食だった、全て平らげた。 玄関に今朝の女性が迎えに来た。 カーブを曲がると真っ青なベタ凪の海が目に飛び込んできた。 奇麗だ、素晴らしい! 小さな「しんせん丸」が8人の乗客を乗せて神仙島に向った。 宝港には若い背の高い女性が立っていた、→雨野先生ですか? 診療所の看護師で半田志真と言います、ご案内します、と中古車のダイハツミラへ誘う、→ここから診療所のある神仙村まで凡そ20分です、と説明されるが、余計な言葉を慎んでいるような気まずさがあった。 →瀬戸山先生がお待ちです、と二階の医局に案内されると、初老の男性が、→遠いところ、よく来たね、所長の瀬戸山です、さっそく今から外来診療をお願いします、私は今から往診に出掛けます、と驚いたが、二人しかいないのだから当然であろう。 →都立病院から来る予定だった医者がうつ病で休んでしまって、来る人を捜していた、牛の町病院で引き受けてくれて良かった、私も始めは半年間の積りだったが、まァ、いろいろあってもう32年目だ、と外科医歴10年で一人医者をやった苦労は想像を絶するが、それも見せずに安堵顔だった。 →仕事の事は看護師に聞いてくれ、と言って出かけて行った。

 

外来診療は沼太一と言う名の、喘息発作、喫煙が契機、という煙草を止めない患者だった。 呼吸が苦しくなると来院するらしい。 電子カルテで確認し、前回と同じ治療を施すが、半田看護師の優秀さが垣間見えた。 頼りになる人だ。 ・・・患者が落ち着いてきたらしい。 →瀬戸山先生から連絡がありました、雨野先生はこれで勤務終了とし、宿舎にご案内致します。 出がけに患者を確認すると、確かに、表情も柔らかく、静かに寝息を立てている、酸素飽和度も96%を示している。 これなら大丈夫だ、とダイハツミラに乗り込む。 これからは雨野先生がこの車をお使い下さい、と言われて着いたのは、平屋二軒が向かい合っている四軒の住宅だった。 右二軒が二人の看護師宅で、独身の半田さんと、雨野の向いはシングルマザー繁田秀子さんと息子さんが住んでいるそうだ。 こちらの一軒は空き家らしい。

 

翌朝6時半、船旅で余程疲れていたのだろう、フトンを引っ張り出して其の儘食事もしないでぐっすり寝入ってしまったらしい。 洗顔を済ませガラガラと玄関を開けると、ゴミ向かい側から袋を持った看護婦が出てきて、おはようございます、と紹介し合った。 食べるものはどうしようか?と、考えていると、間もなく、ゴメンください、と声がして呼び鈴が鳴る。 警察官の服装をした中年の男性が、→雨野先生、こんな島に着任されて本当にありがとうございます、本官は駐在の山井嵐です、このとおり、体がデカいのでヤマアラシと呼ばれています、これからはどうぞよろしくお願い致します、と去って行った。 随分朝早くからご苦労様でした。

 

診療所に7時45分に着くと、もう、車が5台も停まっている。 診療時間は9時からなのにもう来院しているのか?と思いながら待合室を抜けて二階の医局に向うと、既に瀬戸山所長は白衣で座っていた。 →今日は二人で外来だ、私は既にパンク気味なので雨野先生には初診を頼みたい、慢性期の提起通院患者、外科系、小児系もナ、と通告されたが小児系は自信がない。 大変なことになった。 やはり全てを診る事になるのか、と改めて溜息が出る。 →お昼の弁当を朝の内に決めて看護婦に頼んでくれ、近くの商店が配達してくれる、メニュー表はそこにある、と言われて確認する。 「アンジュリーナ刈内商店 からあげ弁当500円 のり弁当400円 カレー400円 カツ丼350円」 変な名前の店名と4種類だけである。 カツ丼にした。 のり瀬戸山と書かれていたので、その下にカツ雨野と書き込んだ。 8時50分、下に降りると第2診療室には志真看護師がいる、かなり心強い、→今日は新患が5人いらっしゃいます、恐らく飛び込みでプラス5人位、→え! 10人もですか、と恐れ驚く。 最初の8人は二ヶ月毎の定期受診の高血圧症状の確認だから異状なければ簡単に終わる。 次の患者が妊婦だった。 まったくわからない領域である。 月に2回、産婦人科医が往診に来るがカルテには妊娠24週となっている。 最近、一日1回は腹が張るので心配で、というのが来院理由だった。 →先生の専門は何科ですか? 婦人科じゃないんですか? と訊かれて正直に、外科ですと言うとガッカリ顔をされる。 すかさず、志真看護婦が、→アトから瀬戸山先生に診てもらいましょうね、とフォローしてくれて安心顔になったが、それなら始めから所長の診察に回せばイイのに・・・と隆治に不満が起こる。 次は4才の男の子と知的障害の母親との理解できない診療会話、志真さんがいなけりゃ埒が明かない。 次は、誰かに見られている気がする、という精神科?の患者、次は作業服を着た男、目に鉄線が飛んできて・・・と言う眼科患者、その後は意外とスムーズな流れの外来患者だった。 最後の一人が終わった時、→お疲れ様でした、と志真さんが微笑んだ気がした。 その時、サンタクロースのような白髪と白く長い髭の老人が入って来た、志真さんが慌てた、→まだだ~が、もうちょい待ってて、と島言葉で追い出した。 →父です、すみません、と謝るが、島の仙人みたいだナ、とボンヤリ思った。 医局に戻ると、→すみません、父がご挨拶を、と志真さんが連れて来た。 →先程は失礼した、半田重造と申します、志真の父です、と言いながらソファに座る。 →父はこの島の火葬場の職員なのですが、瀬戸山先生としょっちゅうお話しております、と気まずそうに志真さんが言う。 →わしは生まれた時から神仙島だった、大阪で働いていた時、結婚してこっちに連れて来て志真が生まれたが、あいつは島の暮らしが嫌だって大阪に帰っちゃった、ここの暮らしは島の人しかわからんですからなァ、志真は腎臓病でここで人工透析をしております、東京にいたんですがちょっと前に島に戻って来たんです、先生、島にはいろいろと変わった事がありますが、どうぞ驚かれませんように、と言って医局を出て行った。 そうか、志真さんは東京でウデを磨いた看護婦さんだったんだ、と妙に納得がいった。 もう二時、カツ丼は僅か二分ほどで平らげた。 この生活が半年続くのだ、と改めて思った。 午後三時、島外の釣り人が足を滑らせて怪我をしたと運び込まれてきた。 車椅子を押しているのは奥さんだろうか? 市村・24才、奥さんじゃなく彼女だと言う。 レントゲンで腓骨骨折が判った。 東京での入院治療を勧めたが、→どうしても神仙島に来たくて二年前から準備して、ウエブデザインの仕事を全て片付けて、今回、やっと一ヶ月の休みを取れたんです、このまま、ここで治療させて下さい、と頼み込まれてしまった。 瀬戸山所長は、→Ⅰ型糖尿病らしいが、神経障害もなさそうだし、そんなにご希望なら島でイイだろう、と承諾してくれた。

 

外来終りに志真看護師が、→午後は透析を受けます、何かありましたら透析中のベッドまで来ていただけますか?と言われて驚いた。 透析中でも対応するとは! 夕方、市村はベッドの上に座っていた。 →かなえには東京に帰れ、と言ったんですが、一人じゃ淋しいし、ダイビングで楽しむと言ってます、と嬉しそうに微笑んでいる。 →貧乏に育った小さい頃からイカがご馳走だったんで、ここにかなえに持って来させてイイですか、と問われたので、イイでしょう、と許可を与えた。

・・・島に来て4日目、隆治は向かいの秀子宅に夕食に招かれていた。 左には志真さん、テーブルの向いは秀子と三才になった息子・タモロウ(保郎)と、4人で乾杯をする。 秀子は都立田端病院で10年ちょっと看護師をやっていたらしいが、先輩の看護師が全員お局様で随分虐められたらしい。 →離婚して子育ての環境を考えてこっちに移住したの、ロクでもない亭主でサ、外科医だったけどね、ナースと浮気していたの、とニヤッと笑って、→先生は彼女いるの?と突っ込んでくる。 一年前に別れた、と否定すると、→ほほ~、31才、外科医、まあまあイケメン、一年彼女無し、島へ半年滞在か、と立ち上りワインとグラス二脚を持ってくる。 →酔っ払わせてずけずけ聞いてやる、前の彼女は3才下でしょ、とピンポーンである。 →わたしがそうだったから、へへ・・・、処で志真なんかどう?と振ってくると、→やめてくださいい、先生に失礼です、と志真が強く怒気を孕んで遮る。 酔った勢いで隆治も尋ねた、→志真さんは彼氏とかいるんですか? すると秀子がすかさず答えた、→東京で婚約してた男と別れてこっちに戻って来たんだもんネ、あんな男と結婚したらヤバイわよ。 どんな男か知りたかったが質問したら気まずい雰囲気でその日は終わった。

 

翌日、工事現場でトラックに轢かれた若い男が救急車で担ぎ込まれてきた。 キタハラヒロトさん、25才、ショベルカーのバケットにお腹の辺りを強く押されたそうです、と隊員が叫びながらストレッチャーを押してくる。 作業服を切り開いていくと、骨盤が歪み、腹部には青い痣と細かい擦過傷が無数にある。 骨盤骨折? それはヤバイ、それだけはヤバイ、骨盤のまわりを走行する動脈・静脈がちぎれるととんでもない大出血になる。 東京の大病院でも救命できない、それ程の危険な病状だ。 CTを確認すると小腸がちぎれていた。 瀬戸山所長も覗き込みながら、→肝損傷もあるし、腸間膜の出血もある、先程ヘリの手配をした、搬送して都立病院で手術をして貰う、とい合われて、隆治は思わず、→搬送では間に合わないです、と言ったが、所長は平然と、→ここではしょうがないんだよ、と外来に戻って行った。 すると意識が戻ったキタハラが、→オレ、ミスっちゃって、パイプを持ってダメなところを歩いていたらショベルカーに当てられちゃって・・・島で事故に遭ったら死ぬって親方に言われていたのに・・・だから、イイんです、親方にありがとうって言っといて・・・と弱弱しい目をした言葉は間違っていないのだろう。 隆治はどうやってこの男を救命するのだ、と必死に考えたが、途端にけたたましいアラーム音が鳴った、心肺停止!と志真さんが叫ぶ。 ・・・死亡判定書 腹部外傷による出血性ショック死。 大量故輸液に反応し、一時は意識レベルが改善するも、その後心肺停止になり蘇生行為を行った。 一時間施行するも心拍再開なく、死亡確認。 ・・・助ける事が出来なかった。 自分で手術も出来なかった。 自責の念ばかりが隆治を責める。

(ここ迄、全305ページの内、144ページまで。 このアト、骨折して入院していた市村が偽装殺人されて、駆けつけた刑事と駐在のヤマアラシが活躍する。 大好物のイカが絡んだウラの真実があり、それが犯行の動機だった。 駐在半年の間に総合診療の激動に揉まれた隆治が外科医の枠を大きく超えた医師の根本を体に刻んだ。 ・・・半年後の後任は西桜寺凛子だった)

 

(ここまで、5,600字越え)

 

令和6年(2024年)2月3日(土)