俺の本棚~面白いッ書 第651回
令和5年12月12日
土曜日の朝、5時半にマンションのオートロックが開錠されて朝刊が届く筈なのに、6時を過ぎても来ていないので販売店に電話した。 実は、オートロックが解除されていなくて入れなかった、お客様からクレームが入ったら中から開けて貰おうと待っていた、という返事だったのですぐ来てもらった。 翌日も同じで月曜日は休刊日だった。 マンション管理会社に月曜日中の修理を願った。 ・・・管理会社の緊急時対応マンによるとタイマーが原因であるが、火曜日に同じようならメーカーに発注するという返事が来た。 その旨販売店に伝え、もし開かないなら5時半と言えども我が部屋番号にピンポーンして貰って構わない、とも伝えた。  ・・・火曜日朝、ピンポーン、鳴った、開錠されていなかったようだ。 


上田健次「銀座 四宝堂文房具店②」(文庫 書き下ろし)
・・・名刺
登川(とがわ)巌は定年を迎えた。 40才の人事課長との面談では、→有給休暇をこんなに残す人は初めてですね、と半分呆れていた。 会社は40年以上前に見た風景とは全く違った新しいビルになっていた。 内ポケットから絵葉書を出して赤いポストに投函した。 「今日、定年を迎えました、無事に勤め上げる事が出来たのはあなたのお陰です、恥ずかしくてお礼を言葉に出せそうにないので葉書にしました、これからもどうぞよろしく」 奇麗な朱色のポストは四宝堂文房具店の前にあって、昔はこの店に随分お世話になったのに、登川が転勤で地方廻りをしている内に、今では仕入れ先がネット通販に代わっていた。 会社は一部上場の食品卸会社で大卒しか採用されていなかったのに、簿記二級に合格していたので高卒でただ一人の入社だった。 大卒は全員が営業部、登川は総務課だった。 会社のビルの裏側の通用口の脇の小部屋で机が4つとスチールロッカーといくつかの書架だけだった。 誰もいない、案内してくれた人事部の人は、→今日はこれで帰ってイイよ、その代り、明日は7時まで来るように言われていますから、と9時始業の筈なのに随分早い指示を受けたのだった。 ・・・翌朝、6時半に総務部の戸を開けると作業着姿の爺さんが新聞を読んでいた。 →おはよう、と大きな声で挨拶しなさい、7時に来いと言われたら一時間前に来なさい、30分も遅い! さっそく着替えなさい、折角の一張羅が汚れてしまうから、とロッカーには同じような作業着と黒いゴム長靴が入っていた。 爺さんは箒と塵取り、ゴミ袋を用意して、→自分の会社ばかりじゃなく、100m先から掃除してきなさい、ご近所様に恩返しだ、と率先して始めた。 今でこそ、吸い殻は減ったが、当時は結構な量の吸い殻やチリ紙、チラシ、夕刊紙、雑誌等々が多かった。 奇麗に履き清めているうちに付近の社員が出社してきた。 おはよう、おはようございます、と挨拶が交わされる。 すると入社式で並んでいた重役が、→おはようございます、会長、今朝もお疲れ様でございます、と深々と頭を下げるではないか、吃驚暁天である。 この人が会長? 8時を過ぎると自社の社員がどっと増えて、会長、おはようございます、と全員が元気な挨拶を掛けていく。  元気そうだナ、どうだ調子は? 入院したって聞いたけどもう大丈夫か、と相手によって声を掛け、本当に嬉しそうなお爺ちゃん表情だった。 正面玄関のガラス窓を磨くと、丁度9時始業のベルが鳴った。 机の二つは、実務を熟している定年になった二人の嘱託のモノで安い給料の代わりに出社時間は自由らしい。 言ってる内に二人の爺さん・婆さんが入って来た。 丸田さんと角田さんは、社内で総務の丸さん、角ちゃんで通っている、会社の事なら何でも知ってるから良く教えてもらいナ、お前らもちゃんと巌を可愛がるんだぞ、巌が一人前になる迄くたばるんじゃ無いぞ、と先制パンチを咬ますと、→あたしらがそうなったら会長にこき使われての働き過ぎだわ、と角ちゃんが笑った。 丸さんが、→会長は私らよりもひと回り年上なんですからいい加減に無理しないで下さい、と口元を緩めながらも眉を顰めた。

会長との掃除はその後もず~っと続いた。 月曜日、昨日は休みで多くの人が銀座に出ていた筈なのに、ゴミは少なく奇麗になっている、と会長に告げると、→ウン、お前は真似なくてもイイ、オレが散歩代わりにやっている、と言うではないか。 吃驚である。 会長は休みもなく365日掃除をしているのだ。 頭が下がった。 →お前は真面目に会社に往復しているようだが、それじゃ、人生が詰まらん、これはお前に投資だ、帰りは必ず違う道を通れ、気になった所は全部寄れ、旨そうなものは全部食え、そして次の朝、どんな事があったか掃除をしながら報告しろ、これは業務命令だ、と言いながら一万円札を三十枚ほど寄こしたのである。 →名刺も渡しておくから足りなくなったら、ここに請求書を廻して下さい、と言えば銀座なら何処の店でも通用する筈だ。 ・・・四宝堂で銀座ガイドブックと地図を購入して、翌日から回り始めた、喫茶室のフルーツパーラーは初めて食べた果物が多かった。 歌舞伎の面白さを知り、有名な寿司店やレストラン、紅茶やコーヒーの専門店で高級品の味を覚えた。 掃除では時にゲロの後始末があったが、会長は絶対、巌にさせずに、→こういう嫌な仕事を人に任せたくなったら俺は引退する、と言い切った。 その横顎を見て、「この人について行こう」と固く誓ったのである。

本来は冬の賞与からしか貰えない筈なのに、夏の賞与を少し貰った。 会長の配慮だった事がアトから知った。 冬のボーナスを貰って、会長にお願いした、→普段から、大変ご指導頂いている会長と丸さんと角ちゃんをレストランに招待させてください、と頼み込んだ。 三日後に会長の時間を貰い、四人で銀ブラしながら目的のレストランに向った。 三人とも、銀ブラなんて何年振りだ?と言いながらも改まった服装で楽しそうである。 支配人が傍までやってきて挨拶してくれたので、予約したコースでお願いします、と頭を下げた。 静かにビールで乾杯した後、スモークサーモンのグリーンサラダ、コンソメスープ、メインはチキングリルと料理を楽しんでくれている。 〆はオムライスである。 180分後、食べ終わった会長は、→俺はこんなに美味い飯を食ったのは久し振りだ、巌、本当にありがとう、ご馳走様でした、との言葉に丸さんと角ちゃんも深々と頭を下げた。 そのままだと涙が溢れそうになったので、慌てて食後のコーヒーを頼みながら、支配人に勘定を済ましたい、と申し出た。 するとコック服姿のオーナーを伴って紹介してくれた。 →初めての賞与を頂いたので会社でお世話になっている方々にお礼をしようとここを予約しました、こちらのオムライスが凄く美味しかったのであの方々にも味わって欲しかったんです。 オーナーが去ると、支配人から差し出された勘定は余りにも少額だった。 →当店は既に充分な報酬を登川様から頂いております、真心を込めたおもてなしは私どものようなレストランは決して忘れてはならないおもてなしの原点でございます、どうか、これからも当店をご贔屓に・・・と深々と頭を下げられた。

入社後三年の三月末、会長から、→明日付で大卒は主任に昇格する、登川巌も一緒にだ、と頑張ったが重役連中に反対されて叶わなかった、これで勘弁してくれ、と「主任代理」の名刺箱を渡された。 有難過ぎてポタポタと涙が零れた。 →何もできないって? 何を言ってるか、お前さんは三年間ずっと休まずに朝の掃除を務めたじゃないか、お前の他に誰がした? 台風の時は泊まり込んでひと晩中、寝ずの見張り番、雪が降れば大通りまで雪掻きだ、更に困っている部署の仕事も手伝い続けている、身を粉にして働く奴が付けるべき「主任」なんだ、もう少し我慢してくれ、きっと代理を外すからナ。 実は入院することになってナ、この大きな金庫には会社印や代表取締役印が入っている、「開錠申請書」に総務部長と経理部長のハンコが必要だ、二人のハンコが無い時は決して開けちゃならん、こんな大事な事を頼めるのは巌しかおらん、頼んだぞ! 明日からの掃除もお前ひとりでやらなくちゃならん、いいナ! と鍵を手渡されたので、両手で押し頂いた。

そして二ヶ月後、午後7時に会長の息子・経営企画部長が、→おい、登川、金庫の鍵を開けろ、と迫って来たが、「開錠申請書」が無ければ開けられません、と頑として撥ねつけた。 息子は屑籠を蹴り倒して、→てめェ、平の分際で何を偉そうに! と吠えていたが人が集まって来たからか、→お前、覚えておけよ、と捨て台詞を吐いて出て行った。 肌身離さず首から紐で下げている鍵を握りしめた。 ・・・週明けの月曜日、丸さんが青い顔で、→会長がお亡くなりになった、と言ったその時から余りにも忙しくなってあまり覚えていない、気が付けば霊柩車を見送っていた。 会長逝去による早々な人事は経営企画部長が取締役に昇任した。 バカ息子だけど株をたくさん相続したしナ、けど、あんな詐欺に引っかかりそうになるようなバカに務まるのかしら、と丸さんと角ちゃんが囁ていいる。 総務部は廃止され、巌は地方の小さな営業所に飛ばされ、丸さんと角ちゃんは嘱託を外された。

葉書を入れたら、→登川様、と呼ばれたのは四宝堂の主、宝田硯だった。 →永年のお勤めお疲れ様でした、と挨拶されて、そういえば、半年ぐらい前にそろそろ定年なんだ、と口にしたような気がするが、それが今日だとは一切言ってなかったのに。 →長年、当店をご贔屓にして下さった大切なお客様でしたから、とお世辞と判っていても悪い気がしない。 →宜しければ少しお立ち寄りになりませんか? と誘われてお言葉に甘える事にした。

四宝堂の二階に上がる。 登川巌は、最初の転勤から30年、小さな地方都市を転々としてきた。 丸さんも角ちゃんも既に鬼籍に入っている。 銀座の本社に戻って来たのは10年前、舌を咬みそうな横文字の部署だったが、中身は総務部そのものだった。 不意に照明が灯り、→登川さん、お疲れ様でした!とクラッカーが鳴らされた。 何と、50人を超える人が集まっていた。 いつもロビーで挨拶を交わしている警備の山本さん、自販機の補充に来てくれる松本さん、清掃係の古河さん、給茶機のメンテナンスの野田さん、受付の殿村さん・水川さん・七尾さん、郵便配達の丸川さん、宅配便の在田さん、社員食堂の調理長・斉藤さんとスタッフの鈴木さん以下全員、その他、会社を陰で支えてくれている人達が大勢、顔を揃えている。 →登川さんは分け隔てなく誰にでも優しく挨拶されて、困り事があると率先して動いてくれる、厨房の水廻りが故障した時、早くしろよ、と怒鳴る人がいたが登川さんはバケツと雑巾で床の掃除をしてくれて、こんな人いません、とそれぞれが感謝の言葉を口にする。 自販機の松本さんは、ウチの誰もが全員来たかったけど大勢過ぎるので私、代表でやって来ました、これ皆からの差し入れです、と冷えた缶ビールを10ダースである。

会が盛り上がっている頃、宝田店主が、→これ、ご覧ください、地下の活版印刷機の傍の棚に残っていました、と名刺ひと箱を差し出してきた。 「主任 登川巌」とあるではないか、「主任代理 登川巌」と同時に注文されていたらしい。 亡くなった会長の真摯な心が胸に迫ってくる。 窓の外では雨がやみ、月が煌々と輝いている。 まるで優しく笑う会長のようだった。
・・・もうすぐ春の大型連休を迎える季節、宝田店主は陳列した商品を確かめていた。 登川様がにこやかに微笑んで、→やあ、こんにちは、この前は本当にありがとう、とお礼を言いながら近寄って来た。 退職した筈なのにスーツで決めている。 銀座には、飲食店・物販店等、小さな会社が結構あるから、そういった人たちの総務を一手に引き受ける会社を作った、だから名前は、「株式会社 銀座の総務」 名刺を作って欲しい、肩書は、「主任」 凝った造りは要らない、社長よりも主任の方が相手も何でも相談し易いいでしょう。 店主と常連客の打ち合わせはしばらく時間がかかりそうだ、ここは銀座の文房具店「四宝堂」・・・
(ここ迄、全5話・325ページの内、第四話66ページ分、アト、単語帳、ハサミ、栞、色鉛筆の4話がある。 読み応え充分、感涙も多い)

(ここ迄、5,000字超え)

令和5年(2023年)12月12日(火)