俺の本棚~面白いッ書 第648回

令和5年11月27日

先週、PGAは小平智が辛うじて予選通過したが3日目を終えてビリに近い。 ・・・78人中、やっぱり76位に終り、シード権は確保できないだろう。

LPGAは60人枠の内、畑岡奈佐、笹生優花、西村優菜、古江彩佳の4人。 シード権喪失の渋野日向子は出場できていない。 3日目を終えて畑岡が首位、残る3人も上位で健闘中である。 ・・・畑岡は惜しくも2位(445千$)、西村13位(75千$)、古江16位(67千$)、笹生23位(60千$)だった。

欧州ツアーはアラブ首長国連邦で50人だけ。 3日目を終えて久常涼は上位で健闘中。 ・・・18位(91千€)だった。

 

8月末で閉店した床屋のマスター・Mさんの慰労会を、我がマンション近くの「居酒屋カラオケ・K」で招待した。 85才ながらの艶っぽいカラオケにお客の万雷の拍手が多かった。 翌日、ありがとう、久し振りのカラオケは楽しかった、また、一緒して下さい、とメールが入ったから、月イチ位でやりませんか、と返信した。 すると翌日、釧路時代に付き合いのあった一つ年上のSさんから突然の電話、今、札幌に来ている、と言うからモツ屋で再会した。 娘宅の孫の顔を見たくて夫婦で来た序に、エスコンフィールドを一人当たり3,500円の案内人を雇って4人で見学してきたらしい。 各所の親切丁寧な説明のアト、ダックアウトの新庄監督のいつもの定位置の椅子に座らせて貰い、豪華なロッカー室で清宮のロッカーを開けてくれた等々、普通じゃ経験出ない魅力があった、と興奮気味だった。 半年前に見学だけして来た自分は、もう、行かない、と決めていただけに、14,000円を支払ってまでの見学とは見識が違い過ぎた。 Sさんが更に言う。 氷が張ったアトの阿寒湖のチップ(ヒメマス)は脂が乗って、支笏湖の夏場のチップなど問題にならない旨さだという。 来年2月に冷凍チップを持ってくるから、ここで食おう、と2軒目の「小料理・S」の店主と約束した次第である。 釧路当時、彼と関係していた、落語仲間の先輩のSさんと別会社の恵庭在住のIさんにも声を掛けろ、と厳命された。 楽しみな2月である。

 

 

図書館から借用した文庫本3冊、堂場瞬一「インタビューズ」、佐伯泰英「吉原裏同心㉝ 赤い雨」、長岡弘樹「教場X 刑事指導官・風間公親」。 「インタビューズ」は、1989年から2018年までの30年間、実際に街角でインタビューした100人の応答である。 平成の時代背景が思い出されて、そうか、そんな事もあったなァ、と感じる内容だった。 「教場X」は、白髪・右目義眼の 指導官・風間が任期3年ほどの若い刑事に真犯人を逮捕させる実践教育の物語である。 兎に角、自分で考えさせられる「風間学校」である。 決まり文句は、また交番勤務に戻るか、警察学校でやり直すか、と恐怖の烙印を押されないよう、折角、刑事に引き上げて貰ったのに、と必死になって考えるのだった。 「赤い雨㉝」は前後の話が見えていないから、イマイチだった。 普通ならそんな途中巻は借りないのに、決定版、と表記されていたのでつい、手が出たのだった。

 

 

原田マハ「リボルバー」(単行本は2021年)

・・・この作者は六本木ヒルズ53階の「森 現代アート美術館 設立準備室」を経て、アメリカの「ニューヨーク近代美術館」へ派遣された後に独立し、フリーのキュレーター、カルチャーライターとして活躍中、と紹介されている。 その知識を以てこの小説である。 多くの才能に恵まれた才女である。 120年前、短期間だがゴッホとゴーギャンが一緒に創画していた事実があり、パリの小さなオークション会社に持ち込まれた錆びついた一丁のリボルバーから物語が始まった。

 

高遠冴・37才は、パリ八区の小規模のオークション会社「CDC」で、5年前からオークショニアとして働いている。 冴は、フランス・パリ大学に留学して美術史の修士号を与えられていた。 「19世紀フランス絵画史、ゴッホとゴーギャンを中心に・・・」という研究を究め、いつか博士論文に挑戦したいのだった。 50代で独立した社長はギロー、マイクの手仕舞いをしているジャン=フイリップと、会社創立10年以来、今日、400回目のオークションを終えた所だった。 会場の出入り口に50代後半だろうか、白髪交じりの長い黒髪、佇まいには品がある夫人が立っていた。 →こんにちは、マダム、オークションは終了しましたが何か御用でしょうか?と冴が滑かなフランス語で語り掛けた。 →すみません、ちょっとみて頂きたいモノがありまして・・・ すかさず社長のギローが獲物を見付けた様に握手を求め、→「CDC」代表のギローです、出品のご依頼でしょうか?と畳み掛ける。 彼女は、トートバックの中からしわくちゃの茶色の紙袋を取り出し、→見て頂けますか・・・ 消え入りそうな声で取り出したのは、錆びついた一丁の拳銃、リボルバーだった。 冴は何故か、背筋がゾクリとした。

 

「CDC」の応接室に案内して話を聞いた。 リボルバーは血を吸ったような赤錆が全体を覆っている。 銃としては使い物にならないのは一目瞭然であった。 今、別室でジャン=フイリップがコンデションチエックの最中である。 →私はサラと言います、画家です、母も画家でしたからいつも絵に囲まれて育ちました、実はこのリボルバーはゴッホを撃ち抜いたモノです、と言うから二人はのけ反った。 →1890年7月27日、ゴッホが自殺を図った時に腹部を撃ち抜いたピストルです。 冴は、19世紀フランス絵画が専門の鑑定師であるから、ゴッホが自殺を図った話は当然知っている、共同アトリエでゴッホとゴーギャンが2ヶ月間イーゼルを並べて制作に励むが、5才年上のゴーギャンが意見の不一致からゴッホの元を去ろうとした時、それを止めようとゴッホが自分の耳を切り落とした痛ましい事件もあった。 そして、心身を病んだゴッホは自殺を図り、二日後に死んだ。 サラは、→証明出来ます、このリボルバーはアムステルダムのゴッホ美術館の展覧会に出品されました、これをご覧下さい、と言って差し出してきたのは、2016年開催の展覧会の「狂気の縁で~ゴッホと病」 会場の一隅に1丁のピストルが展示されている、「ゴッホの自殺に使われたとされるリボルバー」というキャプションがついている。 冴は、→一旦、お預かりした上で責任を持って調査・鑑定します、と預かり証にサインしてサラに引き上げて貰った。

(ここまで、全342ページの内、54ページまで。 冴の調査が進んでいくが、納得できない事が続く。 さて、この結末はどうなるのか? こう、ご期待である)

 

 

今週、日本男子の道産子は、片岡尚之、植竹勇太、安本大祐の3人、植竹が予選通過したが56位だった。

女子は選ばれし40人のメジャー戦で最終戦、道産子は小祝さくら、菊池絵里香、阿部未悠の3人だったが、菊池25位、小祝30位、阿部37位と低迷した。 山下美夢有が二年連続の賞金王に輝いた。

PGA、LPGAは試合無し。

欧州ツアーはオーストラリア(豪$=100円)で、久常涼、星野陸也、比嘉一貴の3人だったが、星野が惜しくも2位(約1,200万円)、久常は13位(200万円)、比嘉が47位だった。

 

大相撲、我が一山本は11勝を挙げて初の敢闘賞、今場所は殆ど引き技が無かった。 来場所以降も引かない相撲で勝ち星を積み上げて欲しい。 此の儘行けると三役も夢じゃない。 

(ここまで、3,100字越え)

 

令和5年(2023年)11月27日(月)