俺の本棚~面白いッ書 第643回
令和5年10月25日
文庫本4冊購入。 浅田次郎「きんぴか②血まみれのマリア」と「きんぴか③真夜中の喝采」、何れも「三人の悪党」の続編である。 中山七里「ラスプーチンの庭」(単行本は2021年)、原田ひ香「古本食堂」(単行本は2022年、初めての作家は如何に?)
元会社のOB昼食会(カラオケ・飲み放題付き)は、57人の出席だった。 全道に194人のOBがいて、会費が4,000円ながらも、往復交通費は全額会社負担と言う有難い内容なのに、その少なさに愕然とした。 受付で指名されてカラオケ票を渡されたので、北島三郎の「その名はこゆき」を唄ってきた。 豪華な松花堂弁当や飲み放題、抽選による賞品、そして冷凍食品のお土産等々、全部で10,000円位じゃないか、と考えるとその恩恵を放棄した欠席者を気の毒に思う。 このホテル自慢の「回転展望レストラン券」は当らなかったけれど、抽選当選者10名程(グループ会社の防災品)に当たり、大満足で帰宅した。 このホテルは賃貸契約が終了するのと、設備が老朽化しているので明年5月末をもって閉鎖するとの事で、食材を納入している元会社のグループ会社に、「何か、催しを」と要請されたのだろう。 恐らく、来年4月の「OB会総会」もここで行われるのではないだろうか? 1兆円企業になった元会社を誇りに思い、会費以上の恩恵を今から期待しておこう。
佐伯泰英「柳橋の桜 ④夢よ、夢」(書き下ろし文庫、完結)
桜子と小龍太は、今、インド・カルカッタ港にいた。 長崎を出て既に十月(とつき)が過ぎている。 いくつの国の港を巡って来たかと、もう何十回もの二人の会話である。 二日前に着いたカルカッタの近代的な街並みを飽きることなく眺めている。 オランダの交易船「ロッテル号」の船長から、「花びらを纏った娘」と「チョキ舟を漕ぐ父と娘」の油絵をオランダに観に行こう、と誘われたが、絵に描かれただけの和人の父娘であって、私は絵描きじゃないから、と断わって帰国したのであった。 桜子は長崎に遺されていた絵だけで充分であった。
一年半振りの桜の季節に桜子と小龍太が帰って来た。 お琴が大河内道場を訪ねて、めっきり弱った道場主の立秋老を慰めていると、飼い犬のヤゲンが激しく吠えたてて、薬研堀・難波橋に尻尾を振りながら走って行く。 橋下の一艘の荷船から桜子が立ち上る。 お琴が叫ぶ、→桜子と若先生が帰って来た! →お琴ちゃん、 →爺様、息災か、と二人が声を出している。 お琴は、陽に焼けた顔と一段と逞しくなった二人を見詰めて、→異国を旅すると異人に似てくるのか、と茫然と見ていた。 →師範、この荷物はあまり人の目に触れずに一気に道場へ運び込みましょう、と二人の水夫が異国の品々に細心の注意を払っている。 長崎会所が江の浦屋の大旦那へ宛てた品々と、二人が交易の手伝い料として頂いたモノだった。 木の箱には絵が二枚と素描画も沢山入っている。 桜子にとって一番大事なモノである。 品々を全て運び込んでから、桜子はお琴に頼んだ、→私はまだ歩き回らない方がイイと思うの、江の浦屋の大旦那さんに今日中にこの品々をお渡ししたいの、恐らく大金が絡んでいると思うから、と言った途端、お琴は道場を飛び出して行った。 立秋老は、→嘆かわしや、長崎で棒術の稽古もせずに商いの手伝いか、と言うので、小龍太は毅然として、→異人相手の商人(アキンド)は危険が伴います、今や、異国交流の商人衆の方が武術を要しているんです、時には海賊と斬り合いになるから、今の江戸の武家方よりも水夫たちの方が実際の戦いに臨んでいます、命を張らねば異国交易は成り立ちませんぞ、と諫めたが、立秋老は、→それ程言うのなら朝稽古で棒術師範ぶりを見せて貰おう、と納得しなかった。
一刻後、お琴は江の浦屋五代目彦左衛門と屋根付きの荷船で戻って来た。 船頭二人の他に、奉公人が何人も乗っていた。 →大河内小龍太様、桜子、ご苦労でしたな、と先ずは労いの言葉である。 →大旦那様、こちらが品揃えの書き付けでございます、と桜子が手渡す。 そして長崎に残っていた絵の説明を始めた。 10数年前、オランダ商館長付きの絵描きを目指していた若者・コウレルが江戸に滞在していた時に、御忍駕籠からひっそり描いた、墨一色の絵が何百枚も長崎に残っていたの、と木箱を開けて絵を見せた。 お琴がいち早く、→これは柳橋の神木三本桜だわ、この子は桜子ね、と興奮する。 神木に向かって幼い桜子が祈っている。 二枚目の絵には、チョキ舟と船頭・広吉と足元の娘・桜子の父娘が描かれている。 これに油で練る絵の具で描き改めたモノがオランダにあるそうなの、コウレルはフェメールという画家を尊敬していて、彼の作品「真珠の耳飾りの少女」を模して、「花びらを纏った少女」と題してオランダでお披露目されたらしいの、数年前に長崎出島に来たケンプエルという医師がこれを見付けて、丁度、江戸から長崎にやって来た桜子を知ったケンプエルが、これを見せたら江戸から来た子はどんな顔をするかと思って見せてくれたの、という凄い偶然が重なったのだった。 品々を全て乗せた荷船が去って大旦那一人だけが残り、→この絵の事は後日改めて相談しよう、その前に二人の祝言が先だ、とお開きになった。
江戸を出て一年後に江の浦屋から知らせがあった。 「最早、江戸に戻っても何ら差支えなし、色々な方々の助勢もあって心配はすっかり消えた」 ただし、心配の仔細とそれが消えた経緯は何も書かれていなかった。 一年半、異国への旅で貴重な見聞をさせてくれた事は大きな報酬を得たのだ、と二人は心に決めていた。 翌早朝、朝稽古にかかると、六尺棒が道場の気を切り裂いて打ち合った。 立秋老は激しい打ち合いに身を竦ませた。 →香取流棒術とは全く異なる武術! これが今の二人の棒術か、とかっての守りの棒術と異なり、己の命を張って相手の命を絶つ、攻めの棒術であった。 六尺棒の殺気に満ちた、生死を賭けた真剣勝負が窺えた。 →爺様、一年半の成果で異国の厳しさが教えてくれた、これが新しい大河内小龍太流棒術です、と宣告すると、立秋老は、→違う、もはや大河内香取流棒術ではない、只今から儂は真の隠居じゃ、今後は道場に足を踏み入れぬ、そなたらの棒術は異端じゃ、どのような運命を辿るのか、それを見る勇気はこの立秋には無い、この道場を好きに使うがよい、と言い残して道場から姿を消した。 いつの間にか朝稽古に来ていた門弟衆が立秋と小龍太の険しいやり取りを聞いていたが言葉を発する者はいなかった。 二人はふたたび、六尺棒を構え合った瞬間、六尺棒が刃か槍に変じたように攻め、躱し、切り込んでいって、最前の打ち合いより一段と険しいものになった。 道場に殺気が満ちて小龍太と桜子は生と死のギリギリの一点で闘っていた。 それを見ていた門弟が恐れを為して、一人二人と姿を消していった。 お琴が言った、→当分、門弟衆はいないと覚悟して、旗本拝領屋敷のここは辞するべきね、と冷酷である。
桜子は元のさくら長屋に小龍太と住む事を、船宿・さがみの猪之助親方に許しを得た。 父・広吉の位牌も置いたままである。 そこに江の浦屋の大旦那が昨日のお礼にやって来た。 小龍太は、→立秋道場主から遠まわしながら大河内香取流棒術道場を継がせない、と言われました。 200年も前の戦場往来の時代は終りました。 香取流棒術は泰平の世において己や身内や大切な人を守る為の武術でした。 それに反して異国で突き付けられたのは、殺すか、殺されるか、生死を賭けた武術でした。 長崎での薩摩藩家臣の襲撃(桜子が江戸から身を隠した原因であった)に始まり、海賊どもとの修羅場が幾たびもありました。 長崎の交易商人は江戸のお武家方よりも命を賭けております、それがしと桜子、かような1年半を過ごしてきました。 祖父には理解できないのも無理はありません。 大旦那様の有難いご配慮で道場を開くことはもはや考えておりません。 交易の中で武術を活かす事はないかと考えております。 それまでは桜子の船頭の稼ぎで食べさせてもらいます、と言い切ると十分理解した大旦那が頷いた。 傍で聞いていた船宿さがみの女将・小春が、→所帯を持った事を江戸中にお披露目しなきゃ、と言うが、小龍太は、→内々で宜しゅうござる、と断わるも、→世間が許しません、ましてや名高い娘船頭・桜子の父親代わりは江の浦屋彦左衛門様ですぞ、と猪之助親方が渋面を作る。 桜子が、→祝言の席にこの絵を披露して欲しい、と言いながら絵の説明を始めた。 さがみ屋の親方と女将は、→みっつの桜子と父の広吉さん、それが16年も経ってから長崎で出会うなんて、そんな偶然があるんですねェ、と感激仕切りである。 江の浦屋の主人が、→餅は餅屋だ、この絵は北洲斎霊峰絵師に先ず、見せてみよう、小龍太様にも付き合って貰いましょう、と話が纏まった。
桜子は、→長崎の旅は二人にとって夢の旅だった、大きな帆船、立派な船室、三度三度の食事が供されて、江の浦屋さんの身内扱いのお陰だったわ、長崎でも大店のお屋敷の一角に泊まらせて貰ったわ、船賃から何から何まで、全てタダよ、女船頭の身としては、「夢よ、夢」としか言えないわ、とチビのお琴にしみじみと打ち明けたのだった。 (小龍太と約束したのは、公儀に知られない為にも異国への旅は誰にも口外しない事だった)
女船頭復帰の最初のお客は、読売屋の手練れの小三郎さんだった。 この1年半の桜子の不在を事細かく調べていただろうから、訊かれた事は正直に応えようと心に決めた。 案の定、→異国はどんなところだった? と切り込んできた。 →交易船に乗って、唐人の国の上海を始まりとして、シャム、一番遠くは天竺のカルカッタです、長崎に居るより、交易帆船の暮らしが長かったわ、と言うと、魂消た、と驚いている。 桜子は自分と父親が描かれた絵の事を話すと、→16年前の絵が偶然にそんな事があるのか、信じられ無い、その絵を見せてくれ、と懇願された。 小龍太は江の浦屋大旦那と絵師を訪ねた。 二挺櫓の屋根船で誰にも聞かれずの話が続いた。 →長崎や異国を見た大河内小龍太様は、私の裏仕事の異国との交易には大きな力となります、自由に交易出来る時は意外に早く来るかと思います、その時にしっかりとした異国交易の仕組みを作っておきたいのです、手伝って下され、私のささやかに為してきた商いは何十倍にも膨らみます、と強い要請をされた。 小龍太が大きく心が動いたのは言うまでもなかった。 ・・・古びた屋根船に霊峰絵師が住んでいた。 犬2匹、猫4匹も一緒の生活らしい。 こちらに乗って貰って船宿さがみであの二枚の絵と数百枚の素描画を見てもらうのだ。 そして大河内小龍太とひょろっぺ桜子の祝言に披露するので智恵を貸してほしいと頼むと、→何?日本橋で読売屋が披露していた娘船頭か、と驚きながらも受けてくれたのだった。 ・・・彦左衛門、小龍太、霊峰、読売屋の主・豊右衛門と小三郎、さがみ屋の親方・女将が大広間に揃っているところへ、桜子がオランダ商館長一行の江戸参府の素描画を並べ出した。 霊峰絵師が、→長崎から江戸までの長い旅路が描かれておるか、和人との描き方とは違うな、為になるわ、と感嘆している。 床の間に額装された二枚の絵に真っ白な布が掛けられている。 小龍太が白布を剥ぐと、「花びらを纏った娘」と「チョキ舟を漕ぐ父と娘」である。 豊右衛門は、じっと見詰めて、→何と、これは神木三本桜と桜子ちゃんじゃないか、こっちは広吉さんと桜子ちゃんか、と唸っている。 桜子は願った、→霊峰さん、江戸参府の絵から選び出して、前半分と後半分の真ん中にこの二枚の画を見て頂きとうございます。 その前後の絵を絵師の目で選んで頂きたいのです。
(ここ迄全325ページの内、150ページまで。 さがみ屋で開かれた桜子と小龍太の祝言と数十枚の江戸参府の絵と額装された二枚の絵は、その偶然さは読売屋・小三郎の筆によって評判を呼び、更に、公儀に知れると厄介になる事から、異国を旅した事を伏せて、異人から聞き得た風にした「長崎夢物語 異国放浪譚」は、実際の異国訪問した二人の経験の話であるから、小三郎の巧妙な書き方によってこれも大評判となり、売り出す度に何回もの増刷となったのである)
以前、協会の仕事を手伝ってもらっていた元札幌消防局長のIさんと10年振りの会食がしたくなって、K元会長に都合を聞くと、ぜひ、やろう、懐かしい!と賛同してくれて、移築した石倉の鮨屋を予約する、費用はこちらが負担する、と張り切ってくれたが、Iさんからの返事は、体調が悪い、今回は勘弁して欲しい、だった。 残念、折角、K元会長が高価な鮨屋をご馳走してくれると言ったのに・・・。 Iさんは市立病院に入院していた事もあり、今も、通院している様だった。 こっちから言い出した事が不発に終って、元会長には、お騒がせしました、と謝罪した。
(ここまで、5,300字越え)
令和5年(2023年)10月25日(水)