俺の本棚~面白いッ書 第642回
令和5年10月23日
U内科から借用の、村上春樹「騎士団長殺し」は2017年刊の単行本、上・下巻である。 彼の小説はどれもこれも随分人気であるが(・・・自分としてはとても不思議である)、この30年以上、自分は買ったことが無い。 1987年刊の「ノルウエーの森」や、そのアトの「海辺のカフカ」の失望感が拭い切れ無いのである。 「色彩を持たない多崎すぐると彼の巡礼の年」を誰かに借りて読んだ気がするが粗筋の記憶が定かじゃない。
プロ野球、パ・リーグの2位ロッテと3位ソフトバンクのクライマックスステージ。 9回まで0対0で延長戦に入り、10回表ソフトバンクが3点を奪取、最早勝負あったと思ったその裏、同点スリーランが出て歓喜のロッテフアンとベンチ! そして、サヨナラツーベースで逆転という恐ろしいほどのドラマであった。 ベンチもフアンも狂喜の興奮状態だった。 あんな数字(0と3と4)が並んだスコアボードは史上初ではないのか! そして藤本監督が辞任発表し、小久保監督の後任が決まった。 かって常勝軍団だったソフトバンクが2年続けてリーグ優勝できなかった責任とは、何と厳しい事か。 ・・・両リーグとも首位のチームが勝ち残り、下剋上にはならなかった。 阪神対オリックス、関西チームの対決は59年振りだという。 熱戦を期待しよう。
高校同期会をK寿司にて開催。 コロナで3年間の休止だったが、僅か15名の出席だった。 いつもの常連が10名程、色々な理由で欠席である。 3年の間、亡くなった方もいるし、手術を終えて療養中の方も、脳梗塞で倒れで施設に入っている方や、夫が亡くなった方、息子さんが亡くなった方、夫の看病中の方、その日は先約がある等々、千差万別の空白の3年間であった。 それでも新規の参加者が二人いたおかげで随分と活況を呈して、充分な満足感に満ち溢れていた。 以前は6月末の土曜日に行っていたので、元に戻して来年の土曜日を予約してきた。 恐らく今度は20人以上になるだろうと思うし、今回の喜寿以降、これからも卒寿、米寿、白寿、と長寿の祝事があるから、毎年1回、元気な顔を見せ合おうと約束したのだった。
・・・9月にI町で行われた高校の3年A組のクラス会の幹事のOが、今金男爵イモ10㎏を届けに来た。 えッ、送料が不足したのか、と問うと、札幌に来る序があるから、小樽に3宅、札幌に2宅、届けたと言う。 I町の9宅は既に終って来たらしいが、何とも律儀な奴である。 流石にご祝儀を送ってくれた富山市のM、東京のKには送料負担しただろうが、ジャガイモ10㎏じゃ、中身よりそっちの方が高いかも知れぬ。
佐伯泰英「柳橋の桜 ③二枚の絵」(文庫本書き下ろし)
・・・①は618回、②は625回にUPしています。 先にご覧下さい。
大河内道場で稽古中の小龍太と桜子に、道場主の立秋老から呼ばれて座敷に赴くと、勘定奉行の御用人・倉林宗佐衛門からイキナリ切り出された。 →桜子、暫く江戸を離れてくれぬか、その曰くを話すことは出来ぬ、桜子と同席した事が洩れるとわしの命も危ういかも知れぬ、と言うではないか! 更に、→そなたが江戸に不在中に我が殿・勘定奉行が和解に持ち込む、としか言えぬが・・・と、何やら不穏な空気が充満していた。 小龍太が、→桜子にはそれがしが従いまする、是非ともお許し下され、と申し出ると、→承った、とどこかホッと安堵した倉林であった。 小龍太は大河内道場を辞した倉林御用人の駕籠のアトを秘かに警護して安全を確かめてから戻った。 桜子は魚河岸の江の浦屋彦左衛門を訪ね、この話を打ち明けると、→明後日早朝、昵懇にしている帆船が神奈川湊から出船致します、その船に若先生と乗りなされ、と流石に江戸の魚河岸を仕切る聡明な大旦那であった。 船宿さがみには大旦那が秘かに知らせると言う。 →倉林様が命を張ってやっている程だ、あちらこちらに別離の挨拶などしている暇は無い、そなたらはすぐさま江戸から行方不明になりましょうぞ、倉林様から路銀二十五両を頂いたならば、私も相応の金子と信頼出来る御仁に宛てた文一通を預けます、この旅は二人にとって必ずや役に立ちましょうぞ、と言い切った。
帆船「上海丸」の船長(ふなおさ)は、水夫(かこ)からカピタンと呼ばれている大きな体で和人とは思えぬ顔立ちだった。 →この船の行先は肥前長崎です、そなた方が何を為したか知りませんが、必ずや、長崎の地にお連れします、と頼もしく言い切った。 この船は、長崎の港を仕切る長崎会所の持ち船で、中国上海で建造されたが故の命名であり、和国の弁才船の何倍もの大きさであるという事や、長崎の町についても丁寧にあれこれ説明してくれた。 更に、→潮の流れにうまく乗れば一気に10日程で到着します、と言われて吃驚した小龍太は言葉を失った。 遠い土地だから数ヶ月かかるかも、と思っていただけに信じられ無いのであった。 桜子も驚愕の態だった。 そなたがたは兄妹かな?と問われて、→我ら、将来を誓い合った仲ではあるがまだ祝言はあげておらぬ、と小龍太が強張った表情で答えていた。 桜子が、→私は娘船頭で、大河内道場で棒術を修業しています、この若先生は道場の跡継ぎです、六尺程の棒を貸して下さい、船の中で若先生と棒術の稽古をさせて下さい、と願うと、快諾したカピタンは二人が驚くほどの洋室に案内された。 そして、江の浦屋から手配された荷物が届いており、二人の稽古着や新しい着替えが入っていた。 すると、偉人の血を引いているような女衆が両手に衣類のようなモノを抱えて、→よう、上海丸にお出でになりました、と西国の訛りのある和語で言い部屋着を差し出してきた。 →この船にはカピタン以下、47人が乗っています、私は杏奈、カピタン・リュウジロの娘です、女衆は3人、アトの2人は料理人です。 二人はまた吃驚! そんなに大勢の人が乗っているとは! 部屋には厠や顔を洗うところもあって二度吃驚! 食事の場所・コンパースも教えてもらって杏奈は去って行った。
相模灘から富士山が見える。 二人は霊峰に一礼してから、カピタンに主甲板で稽古する許しを願った。 →棒術とやらを拝見させて貰いまッしょ、と即答である。 →若先生、ご指導願います、→参れ! と挨拶しながらいつも通りに六尺棒を使う事に専念した。 激しいながらも流麗な立ち合いの後、どれ程の時が経過したのか、小龍太と桜子は阿吽の呼吸で互いの棒を引き、一礼し合った。 不意に舵場の全員の拍手が聞こえてきた。 カピタン・リュウジロが、→娘さんがどれ程のもんかと思ってましたが、こりゃ、本物じゃ、魂消ました、と賞賛の声を掛けてくれた。 →毎日、この舵場から棒術の稽古を見物させてもらう楽しみが増えた、主甲板、好きに使いなされ、上海丸も喜こんどる、東の風に推されて順調な航海たいね、と上機嫌だった。
同じ頃、桜子の親友、チビの横山琴女(ことじょ)は、船宿さがみ屋を訪ねて桜子の行方知れずを知った。 その足で大河内道場を訪ねて、立秋老から小龍太も居ない事を聞いた、→二人は一年ほど江戸を不在にしてどこぞで時を過ごす、それしか知らん、何やら危険が迫っておるらしい、だから身内にもそなたにもひと言もなく姿を消したのだ、と不機嫌だった。 それなりの腕を持っている二人なのに・・・と琴女が呟くと、→こう・・・ その腕を以てしても大勢相手には無力だ、と立秋老は言い返した。 こう・・・とは、公儀の事かしら?と琴女は漠然と考えた。
杏奈が船内を案内してくれた。 →この船は長崎から江戸へ異国の品々を積んで、帰りはオランダやヨーロッパの国に向けた荷を積んでるの、金・銀・銅や漆器、屏風や掛け軸や絵画、刀剣や鎧兜等々、異国との交易で長崎会所は商いをするの、と言いながら両脇に詰まれた品々の狭い通路を歩いて行く。 コンパースは20数畳はありそうな広さで水夫達が各々食事中だった。 旨そうな匂いが充満している。 杏奈が運んできてくれた食事を頬張った途端、小龍太は、旨い!と声を上げ、桜子も、わたしも異国に行っても生きていけそう、と安堵した声で呟く。 →杏奈殿、我らお客扱いは御免蒙る、何か、お手伝いできる事はないか、と問いかけると、→そんなに退屈なら水夫達に棒術を教えてくれませんか、何万両もの荷を積んでいるから、海賊に襲われた時、それらを守る為にも・・・、勿論、わたしも習いたいわ、と言うではないか。 お安い御用である。 →その時はわれら二人も闘いますぞ、さっそく六尺棒を人数分揃えて頂こう、あすから始めようぞ。 部屋に戻って荷物に入っていた江の浦屋彦左衛門からの手紙を開けると、→困った事が生じたら肥前長崎を仕切る長崎総年寄の高島東左ヱ門殿に相談せよ、とあった。
エゲレス国のマスケット銃(先に剣が付いている)は結構重い。 これを自由に操るのはキツイだろう、実戦に余り向かない武器だ、と思っていたが水夫の「大力の勇太郎」がその達人だという。 二人の稽古を見物していた勇太郎が嘯いた。 →その稽古は馴れ合っている、俺なら一撃で刺し殺せる、と豪語したので、桜子は、→この船に私が乗っているのは誰も知りません、もし刺し殺したら海に投げ込んで下さい、勇太郎さんが責を問われることはありません、とマスケット銃を手渡し、棒術で相対した。 鋭く打ち込んだ勇太郎であったが、桜子の六尺棒が下から跳ね上げてマスケット銃を飛ばし、勇太郎の肩口に六尺棒が振り下ろされたが、ピタリと制止させた。 →嗚呼! と悲鳴を上げた勇太郎、見物の水夫たちは桜子の瞬時の動きに言葉を失い黙り込んだ。 突然大きな笑い声が響き渡った、→分かったか! この両人の棒術の恐ろしさが! とカピタン・リュウジロが吠えた。 →良いか! この両人を師匠と崇め棒術を学ぶのだ、分かったか!と一喝した。 カピタンの命令は絶対である。
流石に長崎で選ばれた水夫達である。 小龍太が基から教え込むと直ぐに形や動きを覚えた。 桜子が教える杏奈も男衆と比べても遜色なく覚えが良かった。 二人とも靴を履いている。 靴下と靴は、杏奈と大力の勇太郎の予備品が二人にピッタリだった。 紐を結ぶのが厄介だと思ったが、草鞋よりも強度があって滑らず身軽に動けるのだった。 海賊は何万両ものお宝を積んだ船を接近戦で奪うのが目的だから、大砲を撃たれることは無い。 乗り込んできた海賊どもを撃退するには棒術の会得が最高なのであり、教え甲斐があると同時に、水夫たちの意気も盛んなのであった。 (ここ迄全328ページの内、82ページまで。 桜子と小龍太は毎日毎日初めての事を知る。 海図を見て日本の姿や隣国のデカさに驚く。 本当に海賊が襲ってきたが二人の大活躍でカピタンを始め乗り組員全員から喝采を浴びる。 船に乗ってからの詳細を桜子は記録し始めた、江戸に一年後に戻った時、親友のちびっ子・お琴に教えてあげるのだ・・・ 題名の二枚の絵は長崎にあった。 そこに描かれていた船頭の父と小さな桜子、一体誰が描いたのか、不思議な縁が絡まっていた)
PGAは日本で開催されている。 選手78人中、日本人は14人が参加。 先祖が日本人のコリン・モリカワ、リッキ・ーフェァラー、ザンダー・シャウへレ、カート・キタヤマ達も、毎年参加してくれるのは嬉しい限りである。 ・・・2日目を終えてベストテンに、小平智、稲森祐貴、石川遼の3人が入っている。 この誰かが優勝してくれれば見応え充分なんだがなァ。 ・・・最終日、-7を出してダントツでコリン・モリカワが優勝(1,530千$)。 -3の石川遼が4位(374千$)、ボギーを5つも出しての-3が素晴らしい。 そして石川は華がある、髭を生やして色気もある。 51位に終った同い年の松山英樹と比べても格段に見栄えが勝る。 前回のメジャー戦の日本オープンでの2位もあり、往年の調子が戻ってきている。 この成績で再来週のPGA・メキシコ戦の出場資格を得たそうだからぜひ、挑戦して欲しいなァ。 そして21才・久常涼と22才・平田憲聖が6位タイ(275千$)、+2と落とした小平が12位(178千$)だったが、久常と平田も資格を得たのでメキシコ戦を闘って貰いたい。 若者の活躍は胸が躍る。 最終日のテレビ観戦は朝10時から4時まで、タップリ6時間を堪能した。
LPGAは韓国で78人のプレー。 古江彩佳、渋野日向子、畑岡奈佐、笹生優花の4人。 ・・・古江11位(42千$)、笹生34位、畑岡41位、渋野は56位に終った。 渋野はいよいよ危ない。
日本女子第32戦の道産子は、小祝さくら、菊池絵里香、宮澤美咲、阿部未悠、内田ことこ、藤田光里、田村亜矢の7人。 …小祝、内田、宮澤が予選通過。 ・・・23才・菅沼菜々が今季初優勝に次ぐ2勝目。 小祝28位、宮澤32位、内田45位と下位だった。 これで30勝2敗。
欧州ツアーはスペインで、比嘉一貴、星野陸也の2人、(岩崎亜久竜と久常涼は日本でプレー)
・・・共に予選通過したが、星野26位(32千€)、比嘉52位に終った。
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令和5年(2023年)10月23日(月)